19-神に死は許されない
野獣の遠吠えめいた高音をイリアスは発した。
すると、彼女の足元から地面を割り腕が生えて来た。
ぐずぐずに崩れ、腐敗した腕が。
「ウワッ、気持ち悪ィッ! 何だよあれ、マジでどうなってんだよ!?」
「ゾンビ、と言うのだったな。お前たちの世界の言葉では」
「いやなんでそんな言葉知ってんだよ。確かにそうだけどさぁ……」
鎧兜を纏った死体が大地からゆっくりと這い出て来た。もっとも、本物の死体ではないのだろう。地中に長く埋まっていたなら原形を留めているはずもない。
「死を、世界に死を。命を、無に、帰す。そのために……」
「何言ってんだ、あいつ。イカれちまってるってわけかい、こりゃ」
「……ファズマの精神汚染。あの女、力に耐え切れなかったのか?」
そう言えばそんなのもあったな。俺自身そんなのをまったく気にしていないから忘れていた。死を望む声に押されて、正気を失ってしまったのか?
「殺す、死ね、死ね! 命あるものすべて死ぬが定め、ならばここで!」
「うるせえな、死人の戯言にこれ以上付き合ってられるかよ。行くぜッ!」
俺とシャドウハンターは左右に分かれ、同時に駆けた。戦士の死体が行く手を阻み、予想よりも遥かに素早い動きで俺たちを狙う。だがそれでも遅い、ファズマによって強化された肉体は死体の反応速度を大きく上回っていた。
なぎ払われた剣を掻い潜り、盾で相手を吹き飛ばし、剣で首を刎ねる。恐るべき死者の群れの中を抜け、俺たちは女神の下へと到達した。間近でその目を見て確信する、彼女の目にはもはや理性の光など欠片も宿っていないということを。
「死者の妄念に囚われし、哀れな魂……俺が貴様を今生より解放する!」
シャドウハンターは胴を真っ二つに切り裂かんと剣を薙ぐ。女神はそれを手甲で受け止める。俺は反対側に回り込み、同じく剣を薙いだ。同じように手甲で受け止められる。二方向からの攻撃によく対応している、と思った時手甲が蠢いた。
生物の死体めいた禍々しい籠手が形を変え、骨の棘が俺たちに向かって高速で伸びて来る。避けようとするが敵わず、表面を抉り取られ鋭い衝撃を受ける。直撃を受けていれば無事では済まなかっただろう。俺たちの注意が骨の棘に逸れた瞬間を見計らい、イリアスは漆黒の爪を振り回した。俺は盾で受け止め、シャドウハンターは側転を打ち回避した。
凄まじい圧力。受け止めながらもまたそれを実感した。それに、イリアスの動きが先ほどと比べて迷いなく、そして良くなっているのに気付いた。これもファズマの、否、死した者の魂が作用した結果だろうか?
「これはこれは。どうやら、こっちも全力でやらないとマズそうだな……」
「最初から全力でやれ。敵を舐めて痛い目を見たいのか、貴様は」
ごもっとも。反動が強く先行きの見えない状況ではあまり使いたくない力なのだが、仕方がない。増設アダプタを取り出しファイターとシーフのROMをセット。再変身。激しい音と0と1の風の中、俺はジョブ:ストライダーへと変わった。
盾の代わりに現れたシューターの銃口をイリアスに向ける。しかし、それを横合いから纏わりつくように掴みかかって来た死体が邪魔した。舌打ちし、柄頭を側頭部に打ち込む。死体を引き剥がすことは出来たが、イリアスは射線から逃れた。上体を傾けながら俺に向けて爪を振るう。距離があるから当たらないだろう。
と、思うのは見込み違いだった。黒い爪が瞬間伸び、俺の体にかかろうとした。慌てて上体を後ろに逸らし爪の一撃を危うく回避。不定形の爪なのだ、これくらいのことは出来るだろう。だが避けたのも束の間、死体が襲い掛かって来る。
「何をしている、久留間! その程度の攻撃で狼狽えおって!」
発砲音がしたかと思うと、死体の頭部がいくつも弾けた。シャドウハンターの放った重金属弾だ。イリアスはシャドウハンター目掛けて爪を振るうが、彼はそれを容易く受け流す。そして無防備な土手腹目掛けて何度もトリガーを引いた。イリアスが悲鳴を上げながらのけ反り、胴体にいくつもの赤い穴が空いた。
「っかたねえだろう! 気持ち悪ィし! 引いても仕方ねえよこれは!」
とにかく俺を取り囲む死体が消えてくれたのはありがたい。残った僅かな死体の頭を拳と盾で飛ばし、俺は再びイリアス目掛けて切りかかった。イリアス片手を突きは体勢を立て直しながら俺の方を見た。闇色に染まった濁った目で。
俺は地面を蹴った。直後、足元からアリジゴクの牙めいた爪が俺を喰らい尽くさんと伸びて来た。ただ体勢を立て直すだけではなくトラップの意味も込められていたというわけだ。空中で身動きの取れない俺を、骨の棘が容赦なく襲う。
重心を頭の側に掛けて空中でぐるりと半回転。腹を狙った棘を避け、剣を振るい頭を狙う棘を打ち払う。逆の腕で俺を殺そうとするが、俺がトリガーを引くのが速かった。肩口に突き刺さった弾丸がイリアスの動きを縫い止める。
「いい加減、これで死んどけってんだよ! クソ女神ッ!」
更に空中で一回転。全身の力を剣先に乗せ振り下ろした。ありとあらゆる防御策を潰されたイリアスはもはや身動きを取ることさえ出来ず、ただ俺が振り下ろした剣をその身で受けることしか出来なかった。頭頂から股間まで、一気に切り下ろす。真っ二つに切り裂かれたイリアスが、血飛沫を上げながら倒れて行く。
「……ああ?」
そう思った、だがそうはならなかった。彼女の体から溢れ出た闇が互いの体を掴み取り、その傷をかりそめに塞いだのだ。まだ動く、直観的に俺はそう理解した。着地と同時にバック転を打ち、距離を取りつつ爪の連撃をかわした。イリアスはグネグネとした動きを取り、不安定な姿勢で立った。
「気持ち悪ィにも程があるぞ……!? なんなんだよ、こいつはいったい!」
「お前も知らなかった、ファズマの新しい使い方と言うことか……!?」
恐らく、それは違う。ファズマに使われているのだ。死してなお死を許されない哀れな女神を見て、俺はそう思った。