19-悪辣なる神の策謀
(さて、どうすべきか。この炎は厄介、左手はもはや役に立たんと見るべき)
ドラコは涼しい顔をしながら、必死で生き残るために計算を始めた。状況は極めてシビアだ。触れたものを燃やし尽くすまで止まらない黒い炎、それは徐々にだがドラコの体を浸食しつつあった。意識的に魔素を集中し、障壁を作れば進行速度を遅くすることは出来るが、消し去ることは出来ない。肉体が燃え尽きるまでの猶予は極めて短かった。
一歩、一歩ドラコと織田は大地を踏みしめ、敵の元へと向かう。雪は完全に溶けており、黒く焦げた地面が見えるだけ。足下のコンディションは良好。
左手を前に突き出し、右手でクルリと剣を回転させ切っ先を織田に向ける。織田は必殺の突きを防御するため、どこに来てもいいよう構えを取った。
「……これで終わりだ、織田くん!」
ドラコの左手に光が収束し、弾けた。何が起こったのか、認識することが出来たのは外野にいた人間だけだった。眩い閃光を受けて、さしもの転移者も虚を突かれたようだ。足を止め、顔を庇う。本能的な動きであり、そして致命的だった。
右足で突き出し、右腕を突き出す。喉、心臓、股間、両膝、両肘。目にも止まらぬスピードで放たれた必殺の突きが織田の硬い外皮を貫き、そして打ち倒した。織田は悲鳴を上げながら後ろに吹っ飛んで行く。その体が光に包まれ、元の織田正和が現れた。雪の上に織田が着地し、同時にドラコを包む黒い炎がが晴れる。
「そんな、バカな。私の従者が……ただの人間如きに、倒される?」
「ただの人間の力も侮るべきではないだろう? これで……フゥッ」
ドラコは左腕を振った。
燃えていた手甲は黒い煤を残すのみだった。
「うあぁっ……そ、んな。ま、負けるなんて……!?」
「すまないが、私は負けるわけにはいかないのだよ。背負っているものが違う」
ドラコは剣先に纏わりついた血と脂とを振り払い飛ばした。然り、血と脂である。比較的装甲の薄かった織田の膝と肘関節からおびただしい出血がある。彼の剣は戦闘態の恐るべき力を打ち破って見せたのだ。ただの人間でありながら。
「ローズマリー、降伏しろ。私はお前を殺したくはないのだ」
「ウソよ、兄さん。あなたは私を殺したくて仕方ないはず……だって!」
「私は父ではない。父は最後までお前を疎んでいた。しかし」
ドラコはローズマリーの目の前まで歩いた。ローズマリーもまた魔法を使い彼を吹き飛ばそうとするが、しかし動けない。動けば切られると本能的に理解しているからだ。ドラコは剣を地面に突き刺し、両手を広げた。抱擁するように。
「どんなことが起こっても、どんなに立場が変わっても……お前は私の妹だ」
誰もが現状を理解出来ずに、動きを止めた。
何が起こっているのか分かっているのは、ドラコとローズマリーだけ。
だから、その先も動けなかった。
唐突に光が瞬いた。木々の間をすり抜け飛来する矢はドラコとローズマリー、2人をまとめて串刺しにせんと突き進んだ。それに気付いたのはローズマリー、驚愕しつつも、顔を完全に歪め切る時間すらなかった。それでもドラコは動いた。
彼はローズマリーの肩を掴み、引き倒した。彼自身、避ける時間さえなかった。だからこそせめて、妹を守ろうと動いた。
ローズマリーはその瞬間、優しく、柔らかく微笑むドラコの顔を見た。
光の矢が彼の胸を貫いた。苦悶の表情、舞う血飛沫。ドラコは血のアーチを描きながら吹き飛び、雪に轍を作った。ぽっかりと空いた穴、致命傷なのは明白。
「困ったな。どちらも殺せれば僥倖だと思ったのだが、な」
白日の下に、それ以上に眩い輝きを纏った男が現れた。光輝の神、ラーナ=マーヤだ。右掌からは白い煙が朦々と立ち上っている、先ほどの攻撃の反動だ。その口元に浮かんだ微笑みと、この凄惨なる行いはあまりに不釣り合いだった。
「どちらも殺せればいいと思っていたが、片方だけでもいいだろう」
「まさか……このタイミングを狙ってローズマリーさんを利用した……!?」
「その通りだ、宵闇の子よ。まったく、上手くいかないものだがな」
ローズマリーは震えながら這いずり、死にゆくドラコの下へと向かった。ドラコも弱々しく手を伸ばす、ローズマリーの手を取るため。彼女は手を伸ばし、それを掴んだ。ファルナも、レニアも、ドラコが心の底から楽しそうに笑うのを見た。
その手が力なく落ちる。
赤い染みが広がる。
死。
「ラーナ=マーヤ……なぜ!? どうして私まで……!?」
「宵闇の使徒に組した人間。それに連なる人間も処分せねばならん。
汚染されている」
ラーナ=マーヤは笑う。そして背後に強烈な手刀を打ち込んだ。隠れ潜んでいた苫屋の腹部に当たり、肋骨と内臓が弾ける音が辺りに鳴り響いた。口から大量の赤黒い液体を噴出しながら、苫屋は森の中へと吹っ飛んで行った。
「宵闇の子、王家の人間、転移者、そしてイリアス。すべてを殺す……」
ラーナ=マーヤが笑う。が、次の瞬間表情を硬くした。そして両手に生成した白熱球を森に向けて投げつけた。いくつもの爆炎が上がる、だが彼が攻撃したものはそんなものを意にも介さない。黒い影が木々の間を潜り抜けて来る。
「……なるほどな、それがキミの切り札と言うわけか」
ラーナ=マーヤが獰猛に笑った。その視線の先にいたのは、漆黒の装束を身に纏った宵闇の女神、イリアスであった。