18-ただ自分のために
「神がパンチで死ぬかよ、バカがッ!」
八木沢は激怒し、腕を振るった。墨汁めいた暗黒のエネルギーが多良木を襲う。多良木は連続側転でそれを回避、冷や汗を流しながら立ち上がった。
(あれに触れたら、死ぬ。話は聞いてたが、目の前で見るとな……!)
多良木にとって、八木沢は特に関心のない相手だった。
数カ月経ったらいきなりいなくなっていた、不思議な男。
ただそれだけだったはずだ。
「イライラするんだよ、お前らみたいなのを見てるとさァーッ!」
それでも多良木は八木沢を憎む。理不尽に。
八木沢は地を蹴り多良木に殴りかかった。『蒼穹鎧』の青い拳が多良木に迫る。単なるパンチ、受け止めた。だが止め切れず、多良木は無様に地面に転がされた。加護の力で強化された己の力よりも遥かに強い力。
「なんつーバカ力だよ……! ふざけやがって、クソッタレが!」
多良木は自ら転がり、打ち下ろされる死を必死で避けた。圧倒的なパワーの差、これを埋めるためにどうすればいいか。多良木は考え、そして動いた。
ネックスプリングの要領で立ち上がり、構えを取る。対人格闘の心得はあるが、しかし相手はそんなものを気にも留めない化け物だ。腕を振り払うだけで、人間であろうと建造物であろうと何でも飲み込む暗黒の飛沫を放つことが出来る。
多良木は屈んで一撃をかわす。背後にあった柱が闇に飲み込まれ、消えた。全身のバネを使って体を跳ね上げ、掬い上げるように放たれた一撃も避ける。八木沢の舌打ちが多良木の耳に届いた。振るった右腕を返し、八木沢は上を取った多良木を殺そうとした。多良木は壁を殴り強引に軌道を変え、寸でのところで一撃を避ける。
「跳んだり跳ねたり忙しい奴だなァ! ダニかノミか、お前はァ!」
八木沢は右手を多良木に向ける。ボウリング球大の暗黒球体がそこに現れ、そこからいくつもの弾丸が放たれた。いずれも性質は同じ、すなわち受ければ命はない。多良木は連続バックステップで距離を取りつつ、左右に体を振り弾丸をかろうじで避ける。背後にあった柱がスイスチーズめいて穴だらけになった。
(ッ……! とんでもねえな、こいつは。何だって、こんな力を)
自分の持つ力とも、誰が持つ力とも、八木沢の力は違っている。それを多良木は感じていた。折れそうになる心、くじけそうになる意志。しかし。
(相手がどんだけの力を持っていようが……俺は、守る!)
それは、悔悟。あの時多良木はシオンを助けられなかった。腕を切り飛ばされ、無様に地面を転がった。手を伸ばし、それでも届かなかった。愛する人が死ぬのを黙って見ているしかなかった。もう2度と、あの後悔を味わいたくなかった。
多良木鋼は、お世辞にも幸福な人生をたどって来たとは言えなかった。親はなく、周りはすべて敵。それでも曲がらず生きて来られたのは幼き日の教え故だ。
(鋼、人のために生きなさい)
誰に言われたのかは覚えていない。
それでも、心の奥底に残っている。
(そうすれば、みんな僕のことを助けてくれるの?)
(それは分からない。でも、見返りを期待して動けばそれは誰にでも分かるわ。
誰も助けてくれないかもしれない。誰からも後ろ指を指されるかもしれない。
それでも、あなたが納得出来るように生きなさい。それだけでいいの。
最後にあるのは自分なんだから)
業を煮やした八木沢は球体そのものを打ち出して来た。あまりにも巨大な弾丸を、多良木はわき目も振らずに走って避けた。追撃の弾丸が壁を抉る。
(誰に認められなくたっていい。誰が俺のことを恨んだって構わねえ……
ただ、一本筋を通す。俺が俺に、後ろ指を指さねえでいるために!
俺の生き方を貫き通すために!)
追いかけるだけでは殺せないと八木沢も悟ったのだろう、彼はもう片方の腕も使い始めた。挟み込むようにして放たれた暗黒の弾丸が多良木に迫る。
多良木は脚部に意識を集中させ、魔素を収束させた。一時的に数十倍にまで高められた脚力が地面を蹴る。硬い金属を多く含んだ床板が砕けた。多良木は高く跳び攻撃を避け、部屋の隅にあった柱を蹴り砕き軌道を無理矢理変えた。
「いい加減! 諦めて! 手前はとっとと! 死んじまえよっ!」
八木沢は力任せに地面を蹴り、多良木を追った。応対した八木沢と、能動的に動いた多良木。一瞬多良木が勝り、彼は再び柱を蹴り軌道を変えた。八木沢の拳は空を蹴り、柱に突き刺さった。彼は憤怒の表情のまま振り返った。
「ちょろちょろと! いい加減鬱陶しいんだよ、お前!」
八木沢は右手に闇を収束させ、エントランスの中央に降り立った多良木へと突進した。その時、彼はガラガラと何かが崩れ落ちる音を聞いた。
(……!? 瓦礫、柱。まさか、この部屋を支える柱を……)
あれほど激しい戦闘を行っていたのだ。当たり前だ。ましてや多良木は、意識的に部屋を維持していると思しき柱を重点的に狙っていたのだから。
(落ちる、生き埋め、死!? 落ち着け、僕の力なら瓦礫程度……)
そう、戦闘態、ましてや『蒼穹鎧』を纏った八木沢を押し潰せるような瓦礫など存在しない。それでも、彼は迷った。その隙は致命的なものだった。
多良木は強烈なカウンターパンチを繰り出した。散漫な意識、突っ込んで行く体、条件は整い過ぎていた。あまりに突進の力が強すぎ、そして鎧が硬すぎたことを除けば。殴った多良木の拳は砕け、骨が肘から突き出した。
それでも多良木は止まらない。前蹴り、回し蹴り、後ろ回し蹴りの三連打を繰り出し八木沢を蹴る。若干浮いた八木沢に向け、無事な腕で突き込む。
「この、程度で……死ぬかよ、僕がァーッ!」
八木沢はそれでも揺らがない。力の籠められない空中、不安定な姿勢、それでも繰り出した突きは多良木の腹を貫いた。赤黒い血を多良木は噴き出す。
「お前は弱い! 弱いから、こんなところで死ぬんだよ!」
「はっ……弱い? こんなもん……屁でもねえっつうの」
多良木は絶対的な死を前にして、笑った。
残された力を――加護も、全身の力も、意志も、すべて頭に込めた。
そして、振り下ろす。多良木の額が八木沢のハチガネと激突する。
そして2人を大量の瓦礫が飲み込んだ。