16-エラルド領撤退戦
残された僅かな時間を、俺たちは出来る限り有効に使った。住民を逃がすための手続き、調練、逃走ルートの算出。出来る限り多くの人を逃がし、そして安全を確保するため、タートルとイーグルは避難民の護衛に付くこととなった。
つまり、天使たちは俺とシャドウハンター、レオールさん。そして選りすぐられた数十名の戦士たちが対応するしかない、ということだ。
「……見えました! 敵、目視距離に入り……エッ!?」
幾度か夜が明け、夜が訪れる。4度太陽が天に昇った時、稜線から怪物が現れた。それはエラルドに住まう誰をも威圧する、巨大にして強大な天使だった。
「……冗談だろ。あんなの、聞いてないとかそんなレベルじゃねえぞ……」
さすがに引き攣った笑みを浮かべざるを得なかった。全長20mを越える巨体に、それに比例する強大なエンジェルハロ。軌道上にあった山が抉り取られた。どうすればあんなのを倒せるというのだ。早くも兵士たちに絶望感が伝播する。
「恐れるな。どれほど強大であろうとも、敗走は許されていないのだ」
シャドウハンターは厳めしい表情で低く言った。その表情は万の戦を掻い潜った歴戦の戦士のそれ。誰もがシャドウハンターを見て、二の句を待った。
「お前たちの後ろにあるのはなんだ? 領土か、地位か、それとも名誉か?
いずれ劣らぬ大切なものだろう。だが何よりも大切なのは、民の命であろう」
シャドウハンターは俺に目配せをした。あいつを倒すのは任せる、ってところか。まったく、仕方ねえな。頼られて悪い気はしねえからやるけどさ……!
「例えここで終わるとしても……! レッツ・プレイ! 変身!」
0と1の風の中俺はファンタズムへと変わった。すぐにシーフROMとマジシャンROMを取り出し、増設アダプタにセット。アダプタをスロットに挿入し再変身。0と1の暴風が吹き荒れ、俺はジョブ:ニンジャへと変身を遂げた。
マジシャンの力、そしてシーフの知覚能力。俺の目には天使の肉体にかかる負荷がすべて見えた。あれだけのデカさ、集中している負荷もさぞ多いだろうと思っていたが案の定だ。ほんの一点突いてやるだけで自分から崩壊していきそうな雰囲気だ。そして、その人押しをするのは俺の力ってわけだ。
ボタンを押し込む。『ミスティック・ストライク!』の機械音声が流れ、両手に光の粒子が収束する。俺は中腰になり天使を真っ直ぐ見据え、左手を腰だめに構え右手をそこに乗せた。光が混ざり合い、手裏剣を形作る。大きくなくていい、より強く、より速く。目の前のあらゆる障壁を崩してしまえるほどに!
「……イヤーッ!」
放つ。手裏剣は光線と化し、真っ直ぐ天使に向かって飛んで行く。手裏剣は天使の脆弱部位を貫いた。手裏剣によって生じたひび割れは非常に小さいものだったが、すぐに蜘蛛の巣状のヒビが広がって行く。卵型の天使は中心に折り畳まれるようにして崩壊していき、やがて光の粒子とかして消え去った。
「敵は不死の怪物ではない! 有限の存在だ! 意志すら存在しない!
恐れることなかれ、お前たちが恐れるべきことはただ一つだけしかない!
民を犠牲にすることだ!」
シャドウハンターは激を飛ばし、剣を抜いた。そしてそれを旗の如く掲げる。熱狂的なシャウトが辺りに響き、大気すら揺らす。シャドウハンターの説得力、というかアジテーション能力は一流なんだな。これまで知らなかった。
その時、俺は山の向こう側から迫り来る悪意を感じた。ニンジャの鋭敏な知覚力は、山麓を飛び越えてエラルド領へと侵犯して来る天使を完全に捉えていた。その数、12。奥には異形も控えている。アスパイトスよりも小さく、エロアイオスよりもなお小さい。異形の幼生と言ったところか。それでも戦闘能力は推して知るべし。だが。
(……少ない?)
ワードナ脱出の際現れた天使の数はこんなものではなかった。次元皇帝が減らしてくれたということか、それとも。だが考えている時間はない。
「いつも通りだな。俺があの化け物どもを受け持つから……」
「天使の相手は任せよ。お前はあいつらがこちらに来ないよう押さえていろ」
「難しいこと言ってくれるな。別に倒しちまっても構わねえんだろ――!」
駆け出す。黒い影はエンジェルハロを避け、間を飛び抜け、頭越しにそれをかわし異形へと向かう。異形の数は3、その恰好はすべて同じだ。
(次元皇帝との戦いに現れた量産型の異形! 戦闘能力は低いが……)
異形たちは一斉に両腕を広げた。すると、背負っていた黒い翼が解け糸状の結界が展開された。単純な威力で言えば、恐らくアスパイトスのものと恐らく遜色はないだろう。絡め取られ、バラバラにされるのはごめんだ。幸い発動したての時は糸と糸の隙間が大きい。2つのROMの力を組み合わせれば、いける。
ベリーロール回転で被弾面積を最低限にしつつ糸を避ける。飛距離が足りない分はマジシャンの飛行能力で対処する。地面に降り立つと同時に力を発動、足裏から地面に向けてファズマを叩きつけた。土遁術、とでも言うべきか。巻き上がった煙が瞬間俺と異形の視界を塞ぐ。これにどれほどの意味があるかは分からないが。
異形は近付いてきたこちらに攻撃を仕掛けて来る。だが、遅い。視界が通じない中おっかなびっくりに攻撃を行っているかのようだ。軽く腕を添え打ち込まれた拳を受け流し、がら空きになった脇腹に強烈なフックを叩き込む。
くの字に折れる体。更に鹿のような体勢でバックキックを繰り出す。背後から襲撃を仕掛けて来た偉業を迎撃するためだ。異形の腕よりも、俺の足の方が長い。胸筋を押し潰し、肋骨をへし折る感覚が足裏越しに伝わって来る。この打ち合いで分かったことがある、こいつらは少なくともアスパイトスよりも弱い。
ベルトのボタンを押し込む。1戦闘に2回のブースト、デュアルロムの不完全さも合わさって無視出来ぬ痛みと倦怠感が襲い掛かって来る。だが、俺はそれを気合で吹き飛ばす。そうとも、こんなところで沈んでなんかいられない。
3体目の異形が羽を引き戻し、それを両手に巻き付けて接近戦を仕掛けて来る。だがそれよりも先に俺はその場でコマのように激しく回転した。
「オオォォォォォォォーッ!」
グルグルと回転しながら俺は何度も手裏剣を投げる。3対1、不利な状況を覆すためには全方位攻撃を行うしかない。回転しながらも正確に手裏剣を投げ、3体の異形たちに一撃として外さず手裏剣をお見舞いした。ファズマの量を増幅した手裏剣は異形の肉体を貫き、確かな傷をつけた。まだまだ、これからだ。
俺は3度目のブーストを発動させた。脳がチリチリと焼ける感触がする。ここまで自分を追い込んだことはなかった、恥ずかしながら。だがまだ戦える、まだまだいけるという感触がある。そうとも、俺はいままで全力で戦ってこなかった。本当の全力をぶつけるべき相手はこの世界にも、向こう側の世界にもいなかった。
この惰弱さが俺から大切なものを奪った。
もう迷わない。強くなってみせる!
「こいつで……とどめだ! 化け物どもがァーッ!」
両足にファズマが収束する。強化された脚力で地を蹴り、最初に一撃を叩き込んだ異形の頭部に回し蹴りを叩き込んだ。頭がブチリと音を立てて千切れる。その反動で後方跳躍、遠心力を加えたいわゆる浴びせ蹴りを2体目に叩き込む。左肩から右腰に掛けてまでを両断する一撃を受け、異形の存在は瞬時に爆発四散した。
両足で着地し、最後の1体を見る。破壊的な力を纏った腕が迫る。俺はそれをスウェーで避け、前蹴りを異形の顎に叩き込んだ。ブチブチと筋繊維が千切れ、脛骨が剥離する音が聞こえた。異形の頭部が宙を舞い、爆発四散した。
「……どうだ! もう俺は、お前たちなんぞには負けん!」
「やはり危険だな、あなたは。確実にここで、始末しなければならない」
聞き覚えのある、敵意に満ちた声。側転を打った次の瞬間、俺がいた場所を何者かが叩いた。巻き上がる土埃、あんなものを受けたらタダではすまない。
「あなたは我々の確かな障害。故に、それを排除するのが眷属の役目」
フラットな体つき。だがその表皮には痛々しい裂傷がいくつも刻まれている。バイソンが与えたダメージは、いまもなお回復し切っていないらしい。
「出て来てくれて助かったぜ、エロアイオス。探す手間が省けた」
俺はファイティングポーズを取った。
今度こそ仇を討つ。