16-黒い翼の破滅天使
「我が名はアスパイトス。すべてを否定し、すべてを消し去る者なり」
どうやら名乗りはこいつらにとって必須らしい。そんなこと、俺には関係ないがな。力いっぱい地を蹴り、トップスピードで突進しアスパイトスの柔らかそうな腹筋に肘打ちを叩き込んだ。が、硬い。見た目に反して鉄板を殴っているようだ。アスパイトスは少しも怯まず緩慢とも思える動作で俺を掴もうとしてくる。
あれに掴まれるのはヤバイ。直観的に何か、予感を覚え俺は迫り来る手首を横合いから殴りつけた。狙いは僅かに逸れ、頭の羽根飾りを細い指が掠めた。それだけで、頭部装甲の一部が損傷。羽根飾りが嘲笑うように宙を舞った。
(冗談だろ、なんてバカ力だ! 転移者ども以上だぞ、こりゃ……!)
距離を取らなければ。バックステップでアスパイトスの腕から離れ、体勢を立て直そうとした。だがそんな俺を解けた翼が襲う。取り出してたファイターへの再変身を諦め、連続側転で迫り来る攻撃を避けた。凄まじい威力とスピード、ファイターの反応速度では対処し切れないだろう。これはむしろ良かったかもしれない。
「全力で叩き込んだ、仕舞いにしてやるぜ! アスパイトスとやら!」
増設アダプタを取り出し、ファイターとシーフのROMを叩き込む。スロットに挿すと同時に無視出来ないフィードバックダメージが俺を襲う。が、この程度のリスクを許容出来なければアスパイトスには敵わないだろう。
(全力で、でもそれをぶつけるだけじゃダメだ!
全力で、無理のない無理をする! それだけがこいつに勝つ一手……!)
清涼なフルートの音とともに、俺はジョブ:ストライダーに再変身した。手元で剣をくるりと回転させ感触を確かめ、ファズマシューターをなぎ払いながらトリガーを引く。知覚能力とスピードとが合わさり、寸分違わず羽根を撃つことが出来た。僅かに軌道を逸らした羽根が俺を掠めて虚空へと消えていく。
「これは……なるほど。ではこの一手はいかがでしょうか?」
バラバラにほどけていた羽根がいくつかの束にまとまり、槍のような形になった。先ほどまでのスピードと手数を重視した攻撃から、威力を重視した攻撃へとシフトさせたのだろう。俺は剣と盾を構え、迫り来る死を真正面から見据えた。
音速を越えるスピードで迫る槍の穂先。槍の穂先を剣先で逸らし、致命部位を狙って突き放たれたものを盾で受け止める。攻撃を受け流しながら、俺は一歩一歩アスパイトスへと近付いて行った。コンマ一秒の間に数度放たれる攻撃、それを受け流しながら近付く。それは永遠に等しい長さに感じられる攻防だった。
だが最後には俺が打ち勝った。
俺の間合いにアスパイトスが入る。
「オオォォォォォォーッ!」
「……!? これは、まさか……!」
アスパイトスが驚愕し、一瞬対応が遅れる。俺は逆袈裟にアスパイトスを切り上げ、手首を返し袈裟掛けに切り下ろす。斬撃を受けよろめいたアスパイトスの胸板に剣先を突き込む。都合三度の攻撃を、俺は一呼吸の内に叩き込んだ。
「グウーッ!? 人間、あなたにこれほどの力が……!?」
アスパイトスの表皮は強固であり、そしてその生命力は強靭だった。しかしダメージを受けていないわけではない、攻撃を続ければいずれ殺せる! 俺は更に踏み込み、畳みかけようとした。しかし、アスパイトスの指先がピクリと動く。
反射的に俺は踏み止まった。軽く、ただ撫でるようにアスパイトスは腕を薙いだ。込められたエネルギーは俺を吹き飛ばしてまだ余りあるだろうと感じられる。この力は危険すぎる、ありとあらゆるものを粉砕する力だ……!
「な、何なのこれ……っきゃあ!」
見上げると、イーグルの羽根を黒い糸が掠めていた。その時、不思議なことが起こる。糸は僅かに羽根に触れただけだった。だが、触れたところからイーグルの羽根が崩壊を始めたのだ。さらさらと風化するように風に溶けて行き、やがて翼はその姿を維持出来なくなる。空力を失ったイーグルは重力に引かれ落下する。
そして一瞬、アスパイトスから目を離してしまった俺も手痛い反撃を受ける羽目になった。アスパイトスは俺の懐に潜り込むとギュッと拳を固め、そこに羽根のエネルギーを纏わせて殴りかかって来た。ガードを行うが一瞬間に合わず、無防備な胸部装甲に凄まじい力が叩きつけられた。経験したことがないほどの。
胸を強く圧迫され、息が詰まる。全身を電流めいて衝撃が駆け巡り、一瞬遅れて痛みが俺を襲う。胸部装甲がへこみ、砕けるのを感じた。俺の体は大きく後方に投げ出され、何度もバウンドしてようやく止まった。
「ゲホッ……! なんだぁ、あいつ! とんでもねえ力だぞ……!」
俺が受けた衝撃はファズマと魔力の反発によって生まれたものだが、それを差し引いても驚愕すべきパワーだ。この世界にも、あるいは向こうの世界にも、これほどの力の持ち主はいなかった。恐るべき強敵、アスパイトス。
「驚くべきことです。こちらの世界に我々を脅かし得る存在がいるとは」
アスパイトスは事も無げに呟きながら近付いて来る。黒い翼は再び解け、空を覆い尽くさんばかりになっている。黒い網に砲弾は絡め取られ、爆発し、天使どもに有効なダメージを与えることは出来なくなる。そうしている間にも卵型の怪異が城へと近付いて行き、哀れな犠牲者たちに血を啜っている。
「あなたたちはここで確実に始末しなければいけないようですね」
感情を感じさせぬ冷たい物言い。
こいつは、そして天使とはいったい……
『退くがいい、久留間武彦。この場は私に預からせてもらおう』
威厳ある声がイヤホン越しに聞こえて来た。
これはまさか、次元皇帝の声?
「預かる、って……アンタいったい何をする気だ! ってか……」
あいつ動けるのか? そう考えた時、地面が大きく揺れた。俺たちだけではない、アスパイトスも突然の事態に驚き、体勢を崩す。いったい何が?
それを確認しようとして振り返って、俺たち一同は間抜けな顔を浮かべることとなった。そこにいたのは、直立する次元城だったのだ。