14-闇に選ばれた男
覚悟を見た。受け入れ、そして後押しした。
それでも。
ハルはそれでも、何故押し出してしまったのかと自分を悔いた。立ち昇る黒煙、火炎の反動で弓なりに体を逸らし、だらりと四肢を投げ出しながら飛んで行く。彼女の体には、すでに頭がなかった。火炎弾の反動で吹き飛んだのだ。
(生きろと……それでも生きろと、言うべきだったのではないのか――!?)
ハルは歯を噛み締め、力なく崩れ折れながらも雪を叩いた。この世界で初めて出来た友だちを、みすみす死なせてしまった己の無力を悔いながら。
「……ゼロ距離であれだけの威力の魔法を撃つとは。捨て身というわけか」
ハルは弾かれたように顔を上げ、黒煙の向こう側を見た。黒煙の向こう側から出て来たのは、八木沢六郎。しかし、彼の姿はそれまでのものとは違っていた。
全身を覆う鎧は、蒼穹を思わせる吸い込まれそうなほど、寒々しいほどの青だった。腰には豪華な装飾の施された両刃剣が掛けられており、その姿は勇壮なる騎士か、あるいは伝説に語られる高貴な勇者の如きものであった。
「何だ、それは……!? それが、お前の戦闘態の力なのか……」
「戦闘態であろうとも至近距離で、しかもあれほどの威力の魔法を受ければ死ぬ。
だが、僕は単なる転移者ではない。転移者よりも進んだところにいるんだよ。
これは蒼穹鎧、神より与えられし最強の鎧。魔法の力では僕を傷つけられない」
ハルは瞬時にいくつもの魔法陣を作り出し、手加減なしの攻撃をいくつも叩き込んだ。だがどれも結果は同じ。火炎弾は鎧に当たると同時に霧散し、風の刃は傷一つ付けることも出来ず、複合魔法でさえ八木沢に害を及ぼすことは出来ない。
「僕は神にも等しい存在になった。誰も僕に勝つことは出来ないんだよ。
力の差を理解して――僕にひれ伏せよ、ゴミども!」
八木沢は何の力も込めていない裏拳でハルの頬を打った。それでもハルには、首が千切れるかと思うほどの衝撃が感じられた。彼女の体は裏拳の一撃で3mばかりも浮き上がり、家屋の屋根から落ちてできた雪溜まりの上に落ちた。
「……ッハッハッハ! 凄いぞ、僕は凄い! これが僕の本当の力なんだ!
向こう側の世界は間違いだったんだ、僕はこっちで生まれるべきだったんだ!
間違いが正されたいま、恐れるものなんて何一つありはしないじゃないか!
僕はこの世界の神なんだ!」
八木沢は狂気に満ちた笑みを浮かべ、陶酔するように哄笑を上げた。
「誰が生きるも誰が死ぬも僕次第! 僕を崇め奉れ、下等なクズども!
お前たちは僕に傅く、だけどそれはとても幸せなことなんだよ!?
僕がお前たちの価値を――」
八木沢の言葉はそこで切れた。突然舞い上がった雪が彼の視界を塞ぎ、撃ち出された岩石が彼の顔面を打ったからだ。戦闘態の身体能力、そして蒼穹鎧の力を持つとはいえ、物理的な力を受けて、そしてショックで八木沢は一瞬言葉を失った。
「……は? 何を、しているんだ。お前は?」
震える声でそう言うのが精いっぱい、という様子だった。ハルはゆっくりと立ち上がり、挑発的なファイティングポーズを取った。
「クソ喰らえだ、ゴミ野郎。
お前を崇めるならその辺の石を部屋に飾った方がマシだ」
八木沢の顔が憤怒に染まるのを、ハルは幻視した気がした。
「……なら、死ね! お前は神の世界に不要なんだよォーッ!」
八木沢の両腕から闇が生じる。ハルはそれを真っ直ぐ見据えた。
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広場が見える位置、そこで俺は八木沢を見つけた。両腕には闇が収束している。もはや迷っている時間はない、俺は八木沢に跳びかかり、蹴りを叩き込んだ。側頭部を打ち抜かれ、八木沢は奇妙な格好をしながら水平に飛んで行った。
「ッ……! ハル、無事か!」
「武彦! 私は、何とか。けど、リニアが……」
見れば分かる。雪の中に倒れているのは、首を無くしたあの人だ。
「すまない、武彦。私は、あいつを止められなかった……」
「仕方ない。ハル、気に病むな。リニアさんが死んだのはお前の……」
「私のせいだ! 私があいつの背中を押してしまったからッ!」
ハルは泣いていた。様々な感情がないまぜになった複雑な表情で。
「力づくでも止めりゃあよかった! 復讐なんて下らないと嘯けばよかった!
そうすれば、あいつが死ぬことだってなかった……! 殺したのは私なんだッ!」
「違うよ、ハル。それは違う。お前はリニアさんの心を守ったんだ」
あの人がどんな思いを抱いていたのか、俺には分からない。今わの際に何を思ったのかなんて分からない。それでもそれは絶対に、ハルのせいじゃない。
「望んで死んだんなら。そうするしかもう他に道がなかったってことだろう。
そう言うことにしておけ。そうしなけりゃ、俺たちはやっていけないんだから」
八木沢が立ち上がる、奇妙な鎧を纏った男が。この前王都で戦った時とまた格好が違っている。そう、殺したのはハルじゃない。こいつなんだ。
「ハル、下がってろ。村人を頼む。俺はこいつを殺して、全部終わらせる」
俺は構えを取った。ハルは泣きながら頷き、走り去っていった。
「僕を殺すだと? 不遜に過ぎるな。僕が何者か知ってのことか?」
「知らねえし、知るつもりもない。俺が知っているのは1つだけだ、八木沢。
手前はここで殺さねえと、もっと多くの人を傷つけるってこと。それだけだ」
「僕はこの世の神。この世で最も強き者。故に――」
「笑わせんな。手前が向こうで銃を持っても同じセリフを吐いただろうぜ」
これ以上のやり取りなんて耐えられない。でも言わずにはいられない。
「手前はただのいじめられっ子で、んでその奥底にあるのはいじめっ子だよ。
自分より弱い奴を虐げるのが楽しいだけだろ? 神だのなんだの、取り繕うな」
「……不遜な物言い! 久留間ァッ! お前、何様のつもりだ!」
闇の詰めを振りかざし、八木沢が突進してくる。青の鎧からは恐ろしい力を感じる。せり出す闇からも威圧感を覚える。そして何よりも、迸る闇よりも暗い八木沢六郎の精神性に戦慄を覚える。奴は俺とは違う意味でイカれている。
傷つけられたわけではない。
世間から疎外されてきたわけではない。
それでも八木沢は己の精神性だけでここまで歪んでみせた。
危険すぎる心。
「何様だと言うつもりもないが、向こうじゃヒーローってのをやっててな!」
ここで殺す。俺は突っ込んで来る八木沢に拳を叩き込んだ。