13-何度やっても結果は変わらない
学ランが変形したような、詰襟のロングコートを八木沢は纏っていた。無論、それは単なる布ではない。不気味に波打ち、胎動している。戦闘態へと変身した彼の肉体はこれまでと全く違う、筋骨隆々とした恐ろしいものになっていた。
「いいのか、こんな街中でやり合って。お尋ね者じゃ済まねえぞ、それ」
「もう気にする必要なんてない。邪魔するものは……全部滅ぼしてやる!」
八木沢が俺の方に手をかざす。掌がグニャリと歪むのが見えた。反射的に側転を打ち何らかの攻撃を避ける。レニアとファルナを守るために立ちはだかったハルと多良木は歪みから伸びて来た衝撃波を受け、ふっ飛ばされてしまった。
あれは消滅波の応用だ。何らかの方法で空間を撃ち出しているのだろう。自分で言っていてさっぱり訳が分からないので、他人に説明はしたくない。
「ハル、多良木。2人のことを頼む。ちゃんと守ってやってくれよ?」
「危険だ、武彦! こんな奴とたった1人で戦うつもりか、お前は!?」
ファンタズムROMをセット。
ああそうだ、俺がやるしかないだろう。
「こういう危険な奴の相手は慣れてるのさ……レッツ・プレイ! 変身!」
ヒップホップ調の音楽が流れ出し、0と1の風が俺の体を優しく撫ぜる。八木沢は右手を上げ、消滅弾を生成した。黒い稲光を上げるバスケットボール大の球体が出現、八木沢はそれを投げる。俺は真横からそれを弾き飛ばした。
「何……!? お前、僕の『キルスイッチ』を弾き飛ばしただと!?」
「悪いけど、そういう喰らっちゃいけない攻撃は得意なんだよッ!」
ファズマと魔素は相反する。少なくともそう言うことになっている、受け入れない限りは。ならば、ファズマの塊であるファンタズムが転移者に対して優位性を持っているのは当然だ。だからこそ俺はここまで戦ってこられたのだ。
白い雪を踏み、八木沢に突撃する。突進の加速を乗せた全力のストレートを彼の胸板に叩き込んだ。意外にもあっさり、八木沢は拳を受けた。
(……あれ? 避けたり防いだりするもんじゃねえの、こういうのは?)
意外に思いながらも、反撃に警戒しその場で残心した。八木沢は吹っ飛び、地面に叩きつけられ、バウンドして白い雪に大きな轍を作った。あれ?
「くっ……よくも。僕を殴るなんてよくもやってくれたな!」
「あー、もしかして八木沢。お前殴ったり殴られたり、そういうの初めて?」
多分そうなのだろう。降れたやつを問答無用で吹っ飛ばすような力を持っておいて、接近戦をするような奴はいないだろう。こいつに近寄ることすら出来ずに殺される人ばかりだったのだろう。しかし、ここでそのパターンが崩れた。
「クソ……! ふざけやがって、俺に手を触れやがってェーッ!」
「一人称が崩れてるぞ、八木沢。そっちがお前の素なんだろうけどさぁ……」
八木沢は両腕を広げた。背中から稲光を上げる黒い球体が7つ出現した。それらは雷の糸で肉体と繋がっており、いかにも彼の意志で自由に動くような、そんな見た目をしていた。結構速そうだ、これは気合を入れて避けなければ。
2つの球体が左右から俺を挟み込むようにして突っ込んで来る。ショートジャンプでそれを回避、したところに上方から押し潰すようにして球体が迫って来る。背後には先ほどの球体がある、回避は不可能。ならばより先に進むだけだ。着地と同時に地面を蹴って加速。落ちて来る球体を間一髪で避ける。
4つの球体がまとめて俺に近付いて来る。その場で回転跳躍、ベリーロールめいた回転で俺は球体の隙間を縫って飛ぶ。八木沢まで残すところあと数歩。
「バカめ、避けられたとでも思ったか! 死ねェッ!」
最初に飛ばした2つの球体が戻って来る。それで俺を殺すつもりか。
サンドバッグを殴るような音が辺りに響いた。八木沢は自分が何をされているのかすら理解していないだろう。球体が戻って来る前に横っ面を殴りつけた。視線誘導を失った球体は明後日の方向に飛んで行き、物体を巻き込み消えた。
左フックでもう一度顔を殴り、腰を入れた右ストレートで八木沢の胸を打つ。咽ながら後ずさる八木沢、だがその目に籠もった闘志が消えることはない。右手に闇のエネルギーを収束させ、俺を殴ろうとしてきた。だが、遅い。
フッ、と息を吸う。そして一呼吸の内に4発の連打を放った。上半身の正中線を打ち抜かれ、機先を際された八木沢は無様な悲鳴を上げながら後ずさった。
「ゲヒッ……!? な、何だ……!? お前、いったい何をしている!?」
「何をしているか見えないか? お前を殴っている、ただそれだけだぜ」
「ふざけるな! 俺が、ただの打撃なんかでこんなに追い詰められてッ……!」
切羽詰まった声。八木沢は爪のような形に力を展開させてきた。
圧倒的な力。だがそれは当たらなければ何の意味もない。俺は八木沢が爪を振り上げるよりも先に連打を放ち、奴の機先を潰し続けた。肩を打ち腕を止め、胸を打ち呼吸を止め、顔面を殴り意志を止める。面白いほど打撃は当たり続けた。
八木沢は両手に力を籠め、滅茶苦茶に振り回す。俺はそれをスウェーとダッキングでかわし、腹に何発も打撃を打ち込んだ。お前に勝ち目はない。
何の取り柄もないものなんて存在しない。それは人間も、ROMも同じことだ。ファンタズムROM、それに込められた力は無手の速さ。何も持たぬが故の身軽さ。単純な連撃の速度では、ファンタズムはシーフのそれをも凌ぐ。
「そんなバカな……!? 有り得ない、俺よりも強い転移者が……」
ベルトのボタンを押し込み、ファズマを右手に収束させる。『フリーダム・ストライク!』の機械音声とともに、俺は右の拳を振り抜いた。
「ギャァァァーッ!?」
胸部装甲、その奥にある胸骨を粉砕した手応えがある。ファズマの衝突が生み出した衝撃が八木沢を駆け巡る。この期に及んで彼はまだ立っていた。
「大口叩くだけはあるな。大した耐久力だよ、お前」
「ゆ、許せねえ……! お前、お前は絶対に、ころしてやる……!」
最後の方は涙声になっていた。
意外にプライドが高いんだな、こいつ。
「久留間ッ! この騒ぎはいったいなんだ!?」
その時、予想もしていなかった声を掛けられた。走って来るのはバイソン、そしてリニアさん。あの2人がなぜこちらに来ているんだ?
「断続的な破砕音が聞こえると思って来てみれば……転移者か!」
リニアさんは剣を抜き、バイソンは構えを取る。これは、マズいかも。
「ハァーッ、ハァーッ! 久留間、武彦! お前、絶対に殺してやる!
おっ、俺に恥をかかせてくれやがった、お前を、絶対に許さないィッ!」
八木沢は両手から暗黒のエネルギーを迸らせ、腕を薙ぎそれを辺りに撒き散らした。舌打ちしながらもう一度ボタンを押し込む、必殺のエネルギーを蹴りに乗せ叩きつけることで暗黒のエネルギーを散らした。ぶつかり合う衝撃が雪を吹き飛ばし、劣化していた煉瓦を砕いた。黒い霞と風が晴れた時、そこには誰もいなかった。
「チッ! 八木沢の野郎、逃げやがったか……あと一歩だったってのに!」
「オイオイ、何なんだよあいつは。とんでもない力を持っているじゃあねえか」
バイソンが行った時、リニアさんが手に持った剣を地面に叩きつけた。その表情は様々な感情が――憎悪が大半を占めるが――混ざり合った言葉にしづらいものだった。彼女は気付いていた、あの男がいったい何者なのかということを。
「父の、仇ッ……! ようやく、ようやく見つけたぞ。転移者ァッ……!」
憎悪に染まった顔を見て、俺はあいつをさっさと殺さなければと思った。