11-闇の血族
「スゴイ、あれが……ファンタズマ本来の力……」
ハルがごくりと息を飲むのが聞こえた。マーブルたちも親玉である女神がいなくなったせいか姿を消した。これ以上戦う必要などない、ということだ。
「ハル、レオールさん。それにアルフさん。大丈夫か、怪我はないな?」
「怪我はあるが……倒れるほどじゃねえ。小僧、一応感謝しておくぞ」
レオールさんは顔をしかめながら言った。
無事ならいい、それだけで。
「それにしても、武彦。お前どうやってここまで戻って来たんだ?」
それに関しては俺もよく理解していない。超自然的な何かが起こったことだけは確かだ。それもレニアやファルナに関することで、だ。彼女たちを守るために駆け出し、彼女の願いに応じて俺はここに戻った。偶然だとはとても思えない。
「何があったか、説明できる限り説明します。場所を変えませんか?」
俺の提案に全員が頷いた。
この話を聞くべき人間は他にもいるのだから。
俺たちは屋敷に戻り、応接間に集合した。一応外には兵士を残してきている、何かがあったらすぐ俺たちを呼ぶように言っておいた。応接室内に集合したのは俺、ハル、多良木、レオールさん、ナーシェスさん。それからレニアとファルナ。シャドウハンターはいないが、話が終わったら伝えることになっている。
「へぇ……なんて言うか、にわかには信じられない話だねぇ……」
「俺も信じられません。あの距離を一瞬にして移動してしまう、なんてね」
ため息をつき、水を一気に流し込んだ。転移者との戦闘、その後の全力疾走、そして女神との死闘。色々なことがあり過ぎて疲れを感じる暇すらもなかったが、意識すると疲労感がどっと押し寄せて来る。一休みしないと倒れそうだ。
「一応聞いておくが、武彦。そんな力はファンタズムの仕様にないんだな?」
「ありゃもっと前から使ってるよ。俺がやったことじゃない、間違いないよ」
もしあの力が前にもあったら……そんなことを考えても詮無きことだ。
それに、2人に無駄な罪悪感を抱かせることもないだろう。
「いままでのこととかも踏まえて、話したいことがあるんだ」
「ならさっさと始めようぜ。これから忙しくなるだろうからな」
女神に踏み潰された村の復興作業も行わなければならない。そう考えると、確かに忙しくなりそうだ。命の取り合いをしなくていいのが幸いだが。
「俺はこの世界に来る時、あの場に現れた女……女神に出会った」
「あいつァいったい、何者なんだ? あんなのを見たことがねえぞ、俺は」
レオールさんは首をひねった。
ほとんどの人は同じ反応をするだろう。
「七天神教の教義には詳しくないけれど、光と闇とが戦ったんですよね?」
「『陽光』と『宵闇』の戦いだね。この世界に住む人なら誰でも知ってるよ」
ファルナが言い、みんな頷く。
「あれは『陽光』に敗れて封印された『宵闇』そのものじゃないかと思う」
「そんなバカな……神が仕損じたとでも言うのか?」
敬虔な信徒には信じられないことだろう。だがこれまでの出来事といい、遺跡で見たあの石像といい、偶然の一致とは到底考えられなかった。
「俺は『宵闇』教徒の遺跡で女の石像を見たぜ」
「さすが多良木。俺もあれが証拠だ、と思っているんだが……」
真実はすべて瓦礫の中。いまさ確認する術など存在しない。あの時会った少年、ムルタと会えれば彼が証人となってくれるのだが……
「まあともかく、あの女は『宵闇』の女神なんです。自称かもしれませんけど。
で、俺がここに戻って来れたのもあいつの力のせいじゃないかと思うんです」
「神を自称する存在だからな。空間程度なんてことはない、と言うことか……
だとすると解せないことがある。なぜお前をここに戻す必要があったんだ?」
この世界の出身でないからか、ハルは比較的すんなりと俺の話を受け入れてくれている。話の進みがよくなって大変好ましい。
「理由はいくつか考えられる。
1つはあの黒い剣でまた俺を乗っ取ろうとしていた、っていう可能性だな。
戻って来るなり飛んで来たから、その可能性も高いだろう?」
ここから先は想像になる。というか、あの時女神と話した俺だけしか理解出来ないかもしれない。そもそも彼らに許容出来ることではないかもしれない。
「そしてもう1つ。これが一番デカい理由だと思うんだけど……
女神は、自分の血を引いた一族を守るために俺をこの世界に連れて来たんだ」
「女神の血を引く一族? それはいったい、どこの……どいつ……」
そこまで行って、ハルはその可能性に思い至り振り返った。レニアとファルナは一同の視線を受けて身を竦ませる。誰もがその可能性を考えてしまった。
「2人が……シオンさんの娘が、神の血を引く一族だと思うんだよ」
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肉体と精神が途絶する感覚を味わい、女神イリアスは身をのけ反らせた。
「おのれ、久留間武彦……いったい何なのだ、あの力はいったい……!?」
イリアスは白魚のように美しい指で顔を掴んだ。皮が歪むほど強い力を込めて。青い両目からは鮮血が涙のように零れた。自らの分体を生成し、遠隔地に送り込むことが彼女には出来る。だがノーリスクではない、精神を同調させているのならば尚更だ。ダメージは彼女の体と心を強く蝕んでしまう。
「……まあいい。ファズマが使えることは、分かりましたから」
彼女は一息吐き、全身をふかふかのソファに預けた。彼女がいまいる場所は、闇。久留間武彦がここにいれば、転移の瞬間訪れた場所だと瞬時に気付くだろう。ここは牢獄、ここは墓場。女神イリアスのために宛がわれた隔絶空間。
気も遠くなるほどの昔、彼女は光の神、悪神ラーナ=マーヤに戦いを挑み、敗れた。彼は神のよしみでイリアスを殺さず、別次元に幽閉することを選んだ。あるいはそれは、彼女に永遠の屈辱を味合わせるためだと解釈することも出来る。
(ラーナ=マーヤ。あなたは後悔するでしょう。私を殺さなかったことを)
幸い時間はあった。彼女は精神の力で空間に干渉する術を、例えるならばラーナ=マーヤが作り出した空間をすり抜けるためのプログラムを作った。何度も失敗し、試行錯誤を続け、ようやくそれが形になった。彼女のための牢獄はいまや用を成さなくなり、彼女は自在にこの世界から脱出することが出来るようになった。
同時に、彼女は様々な並行世界を観察した。例え脱出したとしても、いまの力ではラーナ=マーヤを殺すことが出来ない。だからこそ、誰も知らない力を手に入れなければならなくなった。そしてそれはファズマの登場で成し遂げられた。
「私はここから必ず脱出して見せる。そして、この世界を救ってみせる……」
彼女が自由を目指す意味。それは愛するラナ=グレンを守るためだ。
(そして、愚かな人をこの地上から滅ぼし、死の世界を……)
思考にノイズが走るのを、イリアスは感じた。違和感はすぐになくなり、彼女の脳裏には疑問だけが残る。すぐにそれは思考の波に押し流されて行った。
彼女自身に訪れたものの正体を、まだ彼女は知る由もなかった。