01-その二つ名って自分で考えたの?
「ったく、避けられたからよかったけどね? 当たってたら俺死んでたわけよ?」
人差し指で机をトントンと叩き、ハルを圧迫した。時々『トン』を強くすると、ハルはビクリと震えた。自分のした事が悪いことだというくらいの自覚はあるらしい。
「まあまあ、久留間さん。ハルさんも反省しているようですし……」
「やっ、まあ別に本気で起こってるわけじゃないんで気にしないで下さい」
「ちょっ、本気で起こってんじゃなかったのアンタ!?」
春は顔をガバっと上げ、大声を上げた。俺は静かにするようジェスチャーを作った、ここは天翅の塔から離れた宿屋のラウンジ、当然他にも他人がいっぱいいる。いきなり騒ぎ出した女の子を、みんな好奇の、そして侮蔑的な目で見ている。
「うぐっ……ま、まあ、あたしも悪いことしたけどさあ。
こんな晒し者にするような」
「悪いことしたんだから晒されとけ。俺は本気で死にかけたぞ」
これは本当だ。リニアさんが使ったものよりも見事な火炎の魔法、それを俺はギリギリのところで避けた。直撃を喰らっていれば上半身はこの世から消え去っていただろう。それにしても、怒っても物を投げるような子じゃなかったのに。
「まあ……無事でよかったよ。色々あった、んだよな?」
俺は改めてハルを見た。背格好はほとんど変わっていないが、顔つきは引き締まった油断のないものだ。また、ああした魔法も加護があるとはいえ一朝一夕に身に着けられるものではないだろう。かなりの修羅場を潜って来た証だ。
「ああ、ここに来てからの6年間。命の危機に晒されたことも何度もあったよ」
「ああ、大変な6年間……うん? ちょっと待て、ハル。6年間だって?
俺がこっちに来たのはつい何日か前なんだぞ?
つかお前に最後にあったのって一月前だよな?」
「違うよ、武彦。アンタに最後に会ったのは6年前なんだよ」
頭が痛くなってきた。
どういうことだ、これは? どうしてこんな齟齬がある?
「きっとこの世界と私たちがいる世界とでは時間の流れが異なっているんだよ」
「つまり俺たちの世界よりもこっちの世界は時間が進むのが早いってことか?」
「そう、私の知っている限り……この世界の1年は向こうの1日に相当する」
1対365ってことかよ。つまり、ハルが転移したのは6日前ってことか。
「始業式の日に来れなかったのはそのせいか。こっちの世界にいたんだな」
「目が覚めたらこんなところにいたんだ。しかも戦いの真っ最中。
リニアがいなければ、私は何度も死んでいただろう。
こっちに来て最初に会えたのが彼女でよかった」
「6年前の戦いってことは……いわゆる大跳躍の時に?」
「ああ、そう呼ばれているな。信じられないかもしれないがな……
東方騎士団1万、西方軍2万5千に対して、転移者はたった3人だった。
その3人が、両軍を壊滅させたんだ」
リニアさんが言っていた、オーバーライド時の大虐殺と言う奴か。シオンさんの顔を見る、夫を殺した戦のことを聞いても、彼女は眉一つ動かさなかった。ただ、沈痛な内心があるということはよく分かる。ハルは続けた。
「大虐殺を行った転移者は、何処へかと消えた。
その後も小刻みに転移者は増え続け、王国と七天教会を悩ませた。
そこでリニアが、私を教会上層部に紹介してくれたんだ」
「よく殺されなかったな。お前も敵の一味として見られたんだろう?」
「正直、賭けだった。
転移者としての力と知識、そのどちらかに利用価値を見出してくれるかどうか。
おかげさまで何とか命を長らえ、その後の体制を整えたってわけさ」
転移者の持つ加護を水晶球を使って証明し、彼らの存在を神学的に規定した。更に転移者の力を取り込むことで、実際的な利益を提供したのだろう。その中には、転移者同士を食い合わせようという意志もあるのだろう。彼女はそれも理解している。
「いやー、ホント……
6年経って変わらねえところと、変わるとこがあるんだな」
「おい、武彦。お前どこ見て言いやがった? ええ?」
こんなドスの利いた声も、昔の彼女ならば出せなかっただろう。
「言っておくがな、成長していないのは向こうの時間に体が合っているからだ!
6年経ってもこの姿だと思うなよ!
事実、転移者がかなり長く生きたという文献がこっちに」
「ああ、分かった分かった。悪かったよ、変なこと考えたりしてさ」
そうそう、こういう理屈っぽいところもハルらしい。色々変わったところをもあるが、それでも俺にとってはあの頃のハルだ。彼女と会えたことが素直にうれしい。
「向こうでの友達に会えて嬉しいよ。二度と会えないかと思っていた」
「それはこっちのセリフだ。お前だけ来なかったんだと思っていたよ」
……どういうことだ?
「クラスのみんなは、1年前こっちの世界に来ているんだよ。
それなのに、お前一人だけがこっちに来ていなかったんだ」
「オイオイ……俺がこっちの世界に来てから、まだ数日しか経ってないぞ」
決定的な食い違い。俺がここに来てからまだ数日しか経っていない。それなのに、みんなは1年前にこちらに来た。いったいどういうことなんだ?
(もしかして、これも女神とやらの仕業なのか?)
だとしたらなぜ1年間のズレを作ったのか分からない。
どんな意味がある?
「……ま、いいや。それより、ハル。聞きたいことがあるんだ」
とはいえ、いまここでそれを考えても仕方がない。考えるだけの材料がないのだから。いまはまず、この世界の現状を把握しておく方が先決だ。
「そういえば、こっちの世界にはどれだけの人間が来ているんだ?」
「まず、私たちのクラス40人は確定だ。先生はまだ確認が取れていないが」
なんてことだ。単位の認定が緩く、よく相談に乗ってくれたいい先生なのに。それに体調不良で欠席することが多く、自習になることも多かった。あんなにいい先生がどこにいるか分からないなんて、世界はつくづく残酷だ。暗澹たる気持ちになる。
「いま、武装神官協会には9名が在籍している。
会う機会もいずれあるだろう。
人伝に生存を確認した例も多くある。
ただ……こちらと敵対しているものもいるんだ」
「敵対……って、いったいどういうことなんだよ?」
俺たちが敵に味方に分かれている?
どんな冗談だ、それは。笑えない。
「話には聞いていると思うけれど、西側にも国家が存在するんだ。
七天教会が認定した国家がね、名をウェスタ開拓者連合という」
「名は体を表す、って感じだな。開拓者たちが作った国なんだな?」
「その通り。彼らは王国に不当な搾取を受けているとして独立を宣言。
その後、7年にも渡る凄惨な戦いの末に彼らは王国の支配を脱した。
とはいえ、まだ王国を滅ぼさんとする火種はくすぶっているのだがね。
だからこそ彼らは、我々と同じように転移者を求める」
独立戦争を勝ち抜くための道具にするため、か。
勝手にやってくれよ、もう。
「あちらには14名ほどが在籍している。
いずれも生存は確認されているが……」
「……ん? ちょっと待て。それだと計算が合わなくないか?」
「……色々あるんだ。姿を確認されて、すぐに姿を消した奴もいる」
「どういうことだ? その二つの組織に身を置かず、どうやって……」
「自ら組織を立ち上げた、ってことさ。
彼らは自分たちを『界渡りの連合』と呼んでいる。
極めて危険な力と思想を持った連中さ」
未知の力を持った、未知の思考様式を持つ集団。それは両国にとって大きな脅威なのだろう。そして、そんな状況の中立ち回る力を持っているということでもある。
「あるいは、完全に一匹狼になって姿を消している奴もいる」
「……水田くんを見つけたんだ、ハル。死んでしまったけど……」
「水田を? そいつは、行方不明の8人の中の一人だ。そうか……」
彼女の口調には落胆があった。彼の死を悲しんでいるのか、それとも。
「誰がやったんだ? 与えられし者を殺せるような使い手となると……」
「分からない、だがどっかで見たことがあるような気がするんだ」
どこだったか、それを思い出せない。もどかしさが募って行く。
「……まあいい、とにかく世界はこんな状況だ。お前にも協力してほしいが……」
「するさ。シオンさんにもまだ、恩を返し切れていないんだからな」
そういうと、ハルはようやく笑みを作った。相当緊張していたのだろう。
「ありがとう、肩の荷が下りた気分だ。で、お前はエラルドに戻るんだろう?」
「ああ、お前も来るか? いいですよね、シオンさん?」
シオンさんは快く了承してくれた。
「そうだな、行く場所があるわけでなし。私も同行させてもらいたい」
ハルが言うと、シオンさんは笑って頷いた。