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夏の三日間

その日は季節が夏に戻ったような、茹だる熱気が神社を包んでいた。

 木々の隙間から降り注がれている太陽光。木や髪が靡かないほどの無風。自分の足元に映る影。

 全てが嘘のようで、自分がそこにいないようだった。

 しかしそんなことよりも目の前の境内に腰掛けている神秘的で、可憐な、清純な一つの存在に目が動かなかった。

 純白のワンピース。艶のある黒い髪。キリッとした顔立ちと大きな瞳。見たところ十六歳~十八歳くらいだろうか。

 なぜだか彼女が(ふか)(しま)神社(じんじゃ)の一部のように映った。

 少しだけ彼女のことを知りたかった。



()(きり)、今日は何をするんだ? 昨日の虫取りだけはやめてくれ。この秋空の中で高校三年生になっても虫取り網を持つのは辛い」

 Tシャツから長袖に変わった肌寒い季節の中、いるはずのないものを追って神社の周りを走るのは身体よりも心が辛かった。

「昨日の滑稽に走り回る姿は面白かったわ。それじゃあ今日はばーんべきゅーというのをやりましょ」

「ムリ」

 彼女にしたり顔をさせる前に突き刺すように言った。

 こんな季節にやりたくないのはもちろんのことだが、神社なんかでBBQをやり始めたら110番ものだろう。

「まず道具がないだろう。それに具材も」

 俺は呆れながら彼女のほうを見た。

「そんなもの必要なの? なら服部(はっとり)が用意しなさい。場所なんて知らない。ここでやりましょ」

 彼女はさも当たり前のように、初めて会った時と変わらない大きな二重の瞳で、俺を真っ直ぐに見た。

「しょうがねぇな。チャリで飛ばしていくから、待ってろよ」

 相変わらず俺はこの顔に弱い。

 俺は深島神社の横の柳原北(やなぎはらきた)公園(こうえん)に止めておいた自転車に跨ると、マンションへと漕ぎ始めた。

 神社が見えなくなる前に少し後ろに首を向ける。

 彼女はいつかのように白いワンピースで境内に腰を掛け、こちらを見て笑っていた。

 あの笑顔は真っ白で汚れがない澄み切った空。

俺は柳原通りをいつもより早いスピードで、頬をゆるましながら、一直線に自分の住むマンションへ向かった。



「遅すぎ。もう少しで名古屋城の金のシャチホコになるとこだったわ」

彼女は送り出したときとは逆の大きな瞳を細めながら、不服そうに言った。

「いや、待て。シャチホコのくだりは知らんが、あの時の俺は風よりも速かったぞ」

 全力で自転車を漕いだせいで、激しく動いていた心臓と荒れた息を整えながら言った。

「光より速くないじゃない」

 彼女はそんなことで自慢しないでと続けて言いながら、ため息を吐いた。

「いやいや、まず風より速い時点で人間じゃないからな。光より速いとか何者だよ……」

 彼女はネタとかの区別がつかない。

 今この場でバーベキューというのは、鰻という魚を開いて、素焼きしたものを甘辛なタレをつけて焼いたもの。と土用の丑の日に食べる鰻の蒲焼のことを言っても信じるだろう。

 ネタの区別などではなく、彼女は何も知らないのだ。                     

自分の住んでいる場所がどういう町ですらかも。

 なぜなら彼女はこの(ふか)(しま)神社(じんじゃ)の祭神。()(きり)(ひめ)(のみこと)なのだ。

 最初は、そんなわけないだろ。と思っていたが、昔の時は広い土地を保有していたが、戦争で今の状態になったとか、名古屋城の守護神として崇拝されていたなどの話を聞かされた。

まさかな……と思い、調べてみると彼女の言ったことがあてはまっていた。

 深島神社の祭神田霧姫命たきりひめのみこと。名古屋城の鬼門の守護神。

 今考えると真実味のない話。

 しかし夢ではない、現実。

「ねぇ!早くばあーべんきゅーやりましょ!」

 少し怒ったような大きな声が右耳を震わせた。

「まかせろ。俺のバーベキューのテクニックとくと見ろ!あと田霧、最初とバーベキューの発音違わないか?」

「服部、そんなの気にしてる場合じゃない!早くばーべるきゅうーやるわよ!」

 彼女があの大きな澄んだ瞳で笑いながら、俺の手を引っ張る。

それだけでさっきの神妙な考えは吹き飛んでいた。

 最初に会った時だってそうだった……。



 その時の俺は進路という高校生ならよくある壁にぶつかっていた。

 気が付けば夏休みは明けており、周りの奴らは夢という大きな目標に向かってオープンキャンパスやら願書などを出して着実にその道を選んでいた。

 一人一人自分は何をするのか決まっているのだ。

 高校生ならそんな悩み当たり前。みんな迷いながら選択している。とかそんな言葉は聞きたくなかった。

 今の目の前にある壁が自分の全てで、周りのことなど知ったことではなかったし、今の自分の現状を他人にあてはめるような言い方も好きではなかった。

 進路の先生は、

「ならどうするんだ。結局決めなければいけないんだ。お前はどうしたい? 」

 と言ったが、将来という大きな分岐点に対してすぐにアンサーを求めてくるのが俺は嫌だった。

 家にいても親と進路のことを話すのが飽き飽きしていた俺は自転車に乗り、一人で家の周りを徘徊していた。

 そんな時だった。

 住宅街の中にひっそりと佇む(ふか)(しま)神社(じんじゃ)

 家の近くにあると言っても、対していく必要もないその神社。中に入ったのは小学校以来だろうか。

 なぜその神社に足を踏み入れたのか、こんな理由のない場所に入ったのか、それはたった一人の女の子に俺が惹きつけられたからだろう。

 その女の子はただただ綺麗で、ひどく眩しかった。

 夏が再び戻ったかのような日差し。蝉の音が聞こえそうな暑さ。

 この現象は怪奇。

 でもそんなことは俺にとってはどうでもよくて、目の前の存在に魅入っていた。

 気が付けば彼女に近づき口から言葉が出ていた。

「なぁ、あんたは何者なんだ?」

 初対面の人に対してこの言葉はなかったな。と言葉を放った後思ったが、俺の声帯はひとりでに動いていた。

「私はこの神社の祭神よ!」

 正に得意満面で、白いワンピースの胸に手をあてながら、[どや顔]で俺の目を真っ直ぐ見た。

 普通なら危ない人だなと思い回れ右をするところだが、木々の隙間から日差しを浴びる彼女は美しく、真実だと言われれば首を縦に振るぐらいに綺麗だった。

「俺に明日を生きる力をくれないか?」

 日々に光を見つけれなかった自分。そんな俺は気がつけばそんな言葉を発していた。

 今のがんじがらめな生活をうつした一言。

「いいわよ。その願いを叶えるから、私と花火をしましょ」

 最初の方は神妙な面持ちだったが、最後には最高の笑顔。

 純粋な向日葵。

在り来たりなものではなく、俺にとっては特別な、ものだった。

秋に咲く向日葵。

そんな彼女を見てるだけで、心が躍った。進路の問題など溶けて消えた。



「ねぇ、服部。あんたはこの神社が好き?」

唐突な一言だった。

田霧がやりたいと言っていたバーベキューの片付けが終わった、そんな時だった。

辺りはもう薄暗く、少し気味が悪かった。

おぼろげな顔で田霧は俺を射抜くような眼差し。いつも笑顔の絶えない彼女とは反対的な表情は怖かった。

「この三日間は(ふか)(しま)神社(じんじゃ)を毎日見てきたが、いざそんな風に問われると、分からねぇよ」

 今まで見たことのない表情の田霧。儚そうで、ここでこの質問に対して何か核心に触れてしまうと壊れそうだった。

 俺は田霧の質問の答えを濁した。

「私はこの神社の祭神。田霧姫命」

 今まで見たことのない彼女だった。輝いていた瞳は濁り、目の焦点が合っていない。

 両手は鉄棒にぶら下がっているように、両手は左右に揺れている。

 田霧は続けて、聞き取りにくい声で何かを口ずさんでいる。

「おい、何いってるんだよ……」

 怖かった。ただ怖かった。

 自分の全てだった彼女が、紙芝居のように一瞬で何かに切り替わった。

 今まで見たことのない田霧。

 そんな姿を呆然としながら、もっと言うことはあるはずなのだが、俺は豆鉄砲を食らった鳩のようなことしか言えなかった。

「なぁ……。明日は何をするんだ? 」

 怒っている相手に対して、伺うように言った。神に媚びる民のように。

「ねぇ服部、本当は私がここに立っている現状はイレギュラーなのよ……」

 自嘲気味に田霧は言う。定まらない瞳で。

「ど、どういうことなんだ? 」

 訳が分からなかった。

 こんな重苦しい空気も、彼女の言動も。                                                                                                                                                                                                                                                                                      

「本当は明後日の十月十三日深島神社の例大祭が行われる日にここに存在するはずだった! 例大祭はその神社にとってもっとも重要な祭祀。私は毎年この例大祭の前日と当日、それと例大祭の後日にこの場所にいることを許されているの! けれど私はあの日、あなたが意気消沈な様子でここに向かってくる様を、ほっとくことができなかった。気が付いた時はその場所に立っていた……」

 止まることを知らない川のように、勢いよくしゃべり続ける田霧。表情は今にも崩れ落ちそうだった。

「なぁ、田霧……」

「でも!」

 俺の言葉は、一切入ることを許されない。少しでも俺はこんな空気を打開したかったが、田霧はそれを受け入れない。

「でも、私はあの時のことは後悔してないし、この例大祭の代わりの三日間は、今までよりもとても楽しくて、瞬きする暇がないほど、一瞬だったわ!」

 彼女はいつもより饒舌で焦っているようだった。艶めいていた髪も、左右に激しく動いたせいか散らばっていた。そして頬に一筋の線ができていた。

「やめてくれよ! なんかお別れみたいで、俺は嫌だよ! 」

 こんな終わりを俺は望んでいなかった。走馬灯のように今までの田霧との思い出が伝い落ちていく。

 俺も自分の瞳からは感情が止めどなく流れ落ちていた。

 一日目の昼間から花火をした時は、明るすぎて花火の色が何も見えなかった。

 二日目は小さい子供のように、二人で虫取り網をもって走り回った。

 そして三日目のバーベキュー。

 一つ、一つの田霧と共有していた思い出の欠片が、俺にとっては宝石よりも価値があるものになっていた。

 煌めきだしていた日常が、急に崩れる。

 そう考えると、目の前が急に真っ黒になってしまうように感じた。

「服部。私のために今まで無茶なお願いもあったかもしれないけど、今までありがとうね。この思い出は私の中でずっと大切な存在になるわ。今のあなたなら前に進めると私が断言する」

 田霧が一歩前に出て、強い意志をもった瞳で俺のことを見据えた。彼女の腫れた瞳からは俺の姿が映っていた。

 映る自分の顔は今にも倒れそうな、不安そうな顔をしていた。

 結局自分は三日前のままなのか? 

 しかし彼女の潤んだ目と心配そうな顔。それを見たとき自分の心の中から何かが湧き出るように、体全体を支配した。

 明日を生きる力。確かにその力は田霧からもらっていたのだ。

 何か自分ができるようになったわけでもない。

 彼女の笑顔が俺にとっては何者にも変えがたいエネルギーになっていた。

 「田霧に言われると、なんだかいけるような気がしてきた。俺明日から頑張るよ! 」

 簡単な言葉。

 それ以外に伝えたい言葉はのどから出なかった。我ながらチキン。

 こんなにも心が熱く、胸を揺り動かしているもの。

 「うん。服部。お前ならいける! 」

 それはこの世には二つとしてないだろう。

 世界中探したって、こんな衝撃的な出会いは、ないと思う。

 高校三年の季節はずれの夏の思い出。

 その三日間だけは俺にとって夢のような、泡のような出来事だった。

 


 気が付けば、桜の木は緑から茶色、そして桃色の季節になっていた。

 今日は卒業式。

 あれからいろいろなことがあった。

 しかし辛い場面や苦しい場面を救ってくれていたのは、あの三日間の思い出だった。

 いつもリピートされる君の笑顔と声。

 [うん。服部。お前ならいける! ]

 この言葉にどれだけ救われただろう。

 夢のような夏の三日間。

 「なぁ田霧。ホントありがとな。お前がいたからこそ俺ここまでこれたよ。全然大袈裟なんかじゃなくてさ。あれから県内の大学に入学することができたんだ。今でも試験番号を見つけた時を覚えてる。今度の例大祭の時には一緒に祭を回ろうぜ。それじゃ、またくるわ! 」

 毎日恒例の俺の一方的な語りが終わると、境内に背を向けた。

あれから田霧の姿を見たことは一度もない。

別に何も不思議じゃないことは、分かっているが六カ月経っても、心にはあの時の衝撃が深く残っていた。

 時とともに忘れていくことはあるけれど、この思い出だけは、俺が死ぬまでずっと残っていると確信できた。

 一陣の風。

 「服部! 祭はあんたの奢りね! 」

 あの元気な声が、聞こえたような気がした。


つたない文章ですが、よろしくお願いします。

アドバイスなどありましたらうれしいです。

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