擬人草忌憚
それは人間のようなものだった。だが決してヒトではない、ましてや生き物ですらないのだ。
それは夏の午後の茹だる暑さの中で、銀色に煌めく花弁の海で、剥き出しになって侵食していた。
初めに見た時は、何かの飾りか、もしくはイベント用の大きな被り物ではないのかと目を疑った。
しかし、それは紛れもなくヒトの姿であった。
その様子はまるで、眠りに就いたばかりの幼い子供のようだった。
だがその瞳には生気はない。十歳前後の少年の死体そのものだった。
いや、死体というには、出血もなければ傷跡もない、まるでその花のようなものに、命を吸い上げられたかのようだった。
それから私はそれを持ち帰るために青いビニールシートで包み込んだ、できるだけ傷つけないようにそっと抱きかかえると、それは確かに重みを持っていて、少年がいまさっき息を引き取ったという錯覚に陥る位に温かかった。
「収穫の時期によっては、青年くらいにまで成長させる事も可能です。もちろん女性の形のものも」
黒服の男たちは、なにやらニヤニヤとわたしに向って笑いかけた。私は、汗を拭った。
「こんな子供が他にも沢山生えているというのか?」
「イエス」
確信に満ちたその言い方は、私の好奇心と恐怖を引き出した。
「どうゆうことだ、まさか本物の子どもを誘拐しているのか?」
「違います。これは生えてきます。形や色や大きさにもばらつきがあり、多種多様な姿を用意してあります」
それが彼らの商業用のトークなのだと分かった。
「つまり、顧客好みの花を揃えてるってことか……」
「イエス」
まだ信じられないが、私は決めた。
「本当に息子そっくりの花があるのか?」
「イエス」
肌身離さず持っていた息子の写真を取り出して、黒服の男に見せると、大きく頷いた。
これは了解したという事だろうか。
「一週間したらアナタの自宅にお届けいたします。お金は現金で商品と引き換えに200万。その子はサービスとして値段に入れてありますが、お持ち帰られますか?」
大きな花を不気味に携えてビニールシートに包まれた子供の方には興味が無くなった、私はわが子をこの手で抱きたいのだ。
「いや、処分してくれていい」
「イエス」
私にとってわが子に再び会えるのならば200万など大した代金ではない。
一週間後、約束通りクール便で花が届けられた。あまりにも普通に送られてきたので少し拍子抜けした。
息子の生き写しというよりも、その花は死んだ息子そのものだった。確認の後、すぐにその場で代金を支払って、私は息子を取り出した。
先日見た花よりはやや小振りの銀の花弁に、瑞々しく水滴がしたたり、それがわが子の涙のように感じられた。そして、透き通る肌の色や、薄紅色の唇の形、手足のすっきりとしたか形状は、寸分狂わず息子の姿をしている。
私は仕事ばかりしていて、育児は妻にまかせきりだった。
八歳の息子は、育児ノイローゼになった妻に突き飛ばされ、交通事故で逝った。
妻が生きている間は、お前のせいではないと言い聞かせてきたが、妻が病気で死ぬと、後悔ばかりが募った。
お金に余裕がでてくると、ある筋の人間を通して、人間そっくりの花を売る会社があると聞いた。その内容は眉唾物としか思えなかったが、実際にその実物を見てしまうと、信じざるを得なかった。
そして今、息子は目の前でスヤスヤと眠ったように横たわっている。もちろん目を覚ますことはないのだが、分っていても一日中、我を忘れて息子の姿に魅入った。裸だった息子に遺品の中でも、印象的だった青のストライプのシャツと半ズボンを履かせた。するとそれは、ますます生前の息子が蘇ったように感じられる。
「ごめんな、これからはずっと可愛がってやるからな」
手のひらを握り、髪を撫で、話しかけた。
食事や睡眠も忘れて、私は息子を、息子の形をした花を愛でた。」
私は本当に幸せだった。これで、もう何もいらない。二人だけでずっと生きていけると思っ た。それから毎日欠かさず風呂にいれ、体をきれいにして、新しい服を着せた。
息子が家に来て三日目、夏の暑さのせいか様子がすこしおかしい。
顔色が悪く、肌にもハリがない。病気にでも罹ったのだろうかと心配でたまらなかった。
父親というには、歳をとりすぎていた私は何もできずにオロオロとしていた。
「大丈夫か?苦しくないか?」
声をかけ続けているとしだいに、小振りだった銀の花が成長しているように見えた。
それと引き換えに、息子の頬は病人のように痩せこけ、手足は小枝のように細くなっていった。
青白い顔は、ますます青くなり、苦悶の表情を浮かべていた。
「頼む、私から息子を奪わないでくれ」
そう何度もうわ言のように繰り返したが、息子の体はもはやミイラのように縮みあがり、肌の色は褐色からどす黒い色へと変わった。
息子の体の養分を吸い取って、銀の花びらは禍々しく肥大化していく、もしかしたら、この花を切り落とせば息子は元の姿に戻るのではないだろうか。
私は物置から錆びた鎌を持ち出してきて、息子の頭部に根を張っているグロテスクな花の付け根に刃を突き立てた。
ブシュ、ドバッ。
最初はなかなか、刃が刺さらなかったが、一旦刃が入ると真っ赤な溶液が血のように噴出して、私の顔に降り注ぐ。それでも私は鎌を深く切り裂き、花をなぎ落した。
すると、急に息子の白い両目が大きく見開いて、口をあけた。私はその恐怖に引き攣った顔を凝視した。痙攣している顔は、まるで息子が生きていたかのように
「ぎひゃぁぁぁぁぁぁぁー」
と甲高い金切り声が耳を劈くように響き渡り、まるで断末魔のように轟いた。
私は恐怖のあまり、その場にあった鎌で、息子の姿をした異形の化け物を切り刻み、四肢を切り離し、その度に真っ赤な溶液が私の体を濡らした。
私の息子の身体だったものは、首を切り落とされ無残にもバラバラ死体のように私の眼
前に横たわっている。
「これは息子じゃない、息子なんかじゃないこれは息子じゃない、息子なんかじゃないこれは息子じゃない、息子なんかじゃないこれは息子じゃない、息子なんかじゃない、まして人間でもないんだ……はは、そうだ、なんだこれは花だ、そうだ花なんだ、どうなったっていいじゃないか、クック、ふははははははは」
私は発狂した、銀色の花弁を毟り取り、鮮血のように真っ赤な溶液の海のなかで跪き、涙とも鼻水とみいえないものを流し、胃の中にあったすべてのものをその場で吐き出した。
窓からは真っ赤な夕日が差し込んで、まるで殺人事件のあった現場のように飛散した臓物や血液のような溶液、今も恐怖で歪んだ顔をしている子供の首、手足、胴を照らした。
真っ暗な部屋で、どうやって後始末をしたのか思い出せないまま、私は横たわっていた。
二度も息子と死別し、しかも二度目は自らの手で殺したといってもよかった。
喪失感よりも、虚無感に襲われた。この部屋には何もない、蒸し返る暑さと腐敗臭を放つ黒い染みだけがある。
突然、置いてあった電話が鳴り出した。私は無気力ながら、それをとった。
「はい」
「モシモシ、実はとっておきの話があるんですよ」
それは、あの黒服の男の声に違いなかった。
「動いている息子さん、いや奥さんに会いたいと思いませんか?」
「う、動いている息子?」
思わず私は聞き返した。
「実は、人間の顔に非常に良く似た哺乳類が手に入ったんです。ええ、実はそれぞれが全く異なった姿をしていて、息子さんや奥さんと全く同じ姿なんです。今なら二匹セットで800万にオマケしておきますが、どうしますか?」
暗闇の中で、私の耳はイエスという言葉を聞いた気がした。