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え? とここにいる誰もがそう思ったに違いない。男の体がダンプカーに轢かれたかってくらいのもの勢いですっ飛んだのだ。空中でありえない方向に体が曲がり、ずざざーっと床を滑り、静止した。ぴくぴくっと痙攣して、その痙攣も数秒もするとなくなり、やがて動かなくなった。リリスが見えない両親にはさぞ不可思議な光景だろう。見えている僕には何が起こったのか分かっている。
「私を悪魔扱いってどういうことよ! てめえ呼ばわりはまだしも悪魔呼ばわりは許せないわ! 私は物語の神様なのよ。ただでさえあやふやな設定なのに周りがそういうこと言ったら色々とぶれちゃうでしょ!」
「自覚してたのか。いやいや今はそういう話じゃなくて泥棒のこと」
「え、泥棒?」
そういえばどこにいったのかしらという風にリリスがきょろきょろ周りを見渡す。ぴたっと視線が止まった。今初めて見つけたみたいだ。血こそ流れてないが、人間なら本来曲がらない方向に手とか足とか曲がっているように見える。
「ええと……殺人?」
「僕を見られても困る! 僕じゃないからな! お前だからな!」
「面白いこと言うわね」
「状況が笑えないんだよ!」
ひとまず泥棒の脅威からは解放された。そのことはいい。だが、これはいけない。人死にが出たとなると話が違ってくる。過度な正当防衛は法律違反に当たる。僕がナイフで刺されようとしていたのは両親が警察に証言してくれるとは言え、この状況を説明するのは無理がある。そもそもリリスは人には見えないのだから、誰が殺したとか矛盾が生じるし、いろいろ不審な目を向けられるのは間違いないだろう。
「あ、でも大丈夫よ耕太。私のグーパンチは<見た目とは違って、殴られるとただ眠くなるだけ>という設定だから!」
「……ほんとかよ」
「ほら、よく見て幸せそうにいびきをかいて寝てる」
「うーん、むにゃむにゃ。それだけは、命だけはおたすけをぉぉぉ! ぎゃああああ。むにゃむにゃ」
僕にはそれは断末魔にしか聞こえなかった。どう見ても幸せそうじゃないのだが。
「耕太は心配しなくていいよ。なんとかなるわ。だって私は物語の神様だもの!」
リリスはそう言って微笑む仕草をしたが、僕には悪魔が狡猾な表情で笑った風にしか見えなかった。
「朝から大変でしたね水野君」
学生かばんをやっとのことで机の上に置くと、前の席の磯野さんが僕に話しかけてきてくれた。シャンプーの匂いなのかふわっとした桃の香りにちょっとドキドキしながらも受け答えする。