雪女
身体が溶け出すのを感じ、あぁもう終わりなのか、と嘆きたくなった。
人間の温かな心、温かな感情。それに触れて、私の身体は溶けてゆく。
それを私は男に、汗っかきなのだ、といって嘘をついて誤魔化してきた。
けれど、そんな誤魔化しももう効きはしない。
男は見てしまったからだ、私の正体を。
昔、私は雪山で、この男を殺そうとした。
男の隣にいた男を殺し、さぁ次はこいつだと狙っていた。
だが、この男は命乞いをした。
誰にも言わないから、と。
その時の男の心は凍てついていた。
私に対しての恐怖、死がせまっている恐怖で、これ以上となく凍てついていた。
温かな心は天敵だが、凍て冷え切った心は味方だ。
そんな心をしているこの男は、敵ではない。
きっと、この言葉通り、誰にも言わないだろう。
信じた私は、男を生かした。
そして、男と約束をした。
男がこのことを話したら、私がすぐさまその命を奪いにいく、と。
そして私は普通の娘と自身を偽り、男の元へ嫁に入った。
男は嫁が私だと気付かず、ただ純粋に嫁が来たことを喜んだ。
そして、純粋に嫁を……私を、愛してくれた。
それは、温かな心故に生まれた、温かな感情。
生まれてはじめて感じたその思いに、私の身体は溶け始めていた。
身体が溶けるから近付かないで、なんて言えなくて、私は色々と誤魔化して男を遠ざけていた。
男は不審に思っていただろうが何も聞かず、本当に私を愛してくれていた。
私は人間ではないのに、それも知らずに。
いつでも、自分よりも嫁を、私を大切にしてくれているのが、よく分かった。
それを間近で感じる私の身体はいつも溶けかけていたが、それでも、なぜか男から離れようとは思えなかった。
見張る為だけではなく、また違う思いで、私は男の傍にいることを望んでいたのだ。
それがどういう思いかは、分からなかったけれど。
ある冬の夜、外は吹雪におおわれ、何も見えない。
それをみていると、私は男と初めてあった日のことを自然と思いだしていた。
戸が、風と雪に中てられ震える。
そんなガタガタという音を聞きながら、男がふと口を開いた。
あのときもこんな吹雪だった、と。
冷静なフリをしつつ、私は男に問いかけた。
あのときとはいつのことですか、と。
男は少し悩んだ雰囲気だったが、静かに首を降った。
いくらお前で話せない、すまない、と言って。
男があの日のことを言おうといていたのは確実だった。
だが、男はそれを言うことはなかった。
私は安心していた。
このまま男と暮らしていたい。
そう思うようになっていたから。
子供が生まれたのは、その数年後。
人間たちで言う、幸せの絶頂期、というやつだろうか。
本当に幸せな時間が過ぎた。
だが、終わりは唐突だった。
男から与えられる温もりと、子供から与えられる温もり。
二つの終わりなき温もりが、どんどんと身体を溶かしていった。
もう、人間としての身体を保っていられないほどに。
限界を感じた私は、夜闇にまぎれて家を抜け出し、本来の姿に戻り、人間の精気を奪っていた。
もうそうすることでしか、身体を維持するだけの力が残っていなかったから。
一度や二度では足りず、私は毎夜の如く家を抜け出しては人間の精気を奪って過ごしていた。
殺さないよう、見つからないよう極力の注意を払いながら、人間の精気を奪う。
そうすることで、人間の形を保っていた。
そうしてでも、このままでいたかったのだ。
「お前、なにをしてるんだ!?」
終わった。
その声が聞こえた瞬間に、そう思った。
どうして、という疑問よりも先に、絶望だけが身を占める。
現れた男が私の手を掴む。
手を通し、温かな感情が流れこんできた。
瞬間、どろり、という解ける感触が足元から発せられた。
どろどろ、どろどろと身体が溶け出す。
身体が保てない。
自然と、身体は人間から本来の姿に……バケモノの姿になっていった。
見ないで、という言葉も発せられない。
あの時の、と男が言葉を漏らす。
ばれてしまった、そんな絶望に晒される。
もう終わりだ。全てお仕舞いだ。
そんなことを思いながら、口元が弧を描いた。
自身を、嘲笑する。
唖然とする男に対し、私は言った。
「よく、黙っていれたな。私はもう消える。これでお前は自由だ」
男がハッとした表情を見せ、何か言おうとする。
しかし、私は何も返せないまま。
返せないまま――――――溶け逝った
残された男は、水の冷たさと女の手の温もりを併せ持った掌を見つめ、涙を零した。
「……知っていた。知って、いたんだ」
女が以前男を殺そうとした雪女だということを、男は理解していた。
それでも、愛していたのだ。
「愛してる。いつまでも……お前を」
掌を握りしめ、男は確かに呟いた。




