優しい雪と、甘い檻
BLに慣れていない作者の書いた、それっぽい何かです。苦手な方はご注意ください。
診断メーカーにて、お題「逃げ切れない、檻、食べる、お手を拝借」で恋愛ものっぽく、という結果に添って書いてみたお話。
「へえ~意外と綺麗にしてるんだ」
部屋に入ってきての、第一声。半ば決まり文句的な発言をしたのは、俺にとって至極残念かつ不運極まりないことに、可愛いカノジョなんかじゃなかった。いや、それ以前女の子ですらないというか。
可愛くない--わけじゃないところが余計に複雑というかなんというか。
ものすごくモヤッとしながら俺が適当な答えを口に出そうとした、瞬間。
「でもやっぱ……いかにも男の子の部屋って感じだよね」
これで俺はキレた。間違いなくぶつ切れた。それで、つい口走っていたのだ。こう、思いっきり不機嫌な顔と声で。
「だから--その、初めて異性の部屋に遊びに来ちゃってドキドキ、みたいな初々しい発言はやめろ! しかも男の子の部屋って感じってどういう感じだよ! お前の部屋はそうじゃねーのか? 俺と同じ、オトコノコのお前の部屋はっ!!」
俺の怒鳴り声に、くるりと振り返り大きな二重の瞳をぱちくり瞬かせたヤツ--しかも、愛原ミチル、なんていう名前までややこしく中性的なものを持つ友人は、れっきとした男である。
たちの悪いことに、色白の滑らかお肌に薄茶の髪と瞳、ほっそりとした手足と体格で、ぱっと見ただけではそうとはわかりにくい、なんていう特徴付きではあるにしろ、男。
中学校からの仲で、修学旅行できっちり一緒に風呂も入ってるから間違いない。なのに、赤と茶色のチェック柄大きめシャツをあくまで『可愛らしく』着こなしたミチルはただやわらかく微笑むのだ。
「えー? だって本当にオトコノコっぽいんだもん。しょうがないじゃん。それに僕の部屋がそれっぽくないことくらい、ユキだって知ってるでしょ?」
天然なのはふわふわな髪だけではなく、頭もであるらしい。そんなミチルに果たして俺と同じ二十歳の青少年の血が流れているのかどうなのか、かなり疑わしいくらいに、その微笑みは愛らしかった。
そりゃもう……こいつが女なら、今すぐ抱きしめたくなるくらいに、だ。
ゴホン、と大きな咳払いをして、俺は一瞬浮かんだ妙な妄想を断ち切った。
集中、集中--大学に進んで離れ離れになって、なんだかんだで一年ぶりに故郷の旧友と会えたから、嬉しいだけ。変にテンションがあがっているだけなんだ。うんうん、だって外国じゃ男同士でハグやほっぺにちゅーなんかもしちゃう国もあるみたいだし。……って、ここが日本なのは忘れておこう。うん。
「ま、いいや。適当に座れよ。あ、それよりその呼び方、まだやめねーの?」
「え? ああ、これね。なんで? いけない?」
「いけないっていうか……」
ユキ。先ほど確かに俺をそう呼んだ笑顔のまま、ミチルは小首を傾げる。色素の薄いガラス玉みたいな瞳に見つめられると、高校時代とまるで変わらない気分になった。心の中が痒くなって、なんだか落ち着かない。
「だってさ、なんか女みたいだし。俺にはちゃんと、小泉 武幸っつー親からもらった立派な名前があるわけで……」
「だーって、呼びにくいんだもん。た、け、ゆ、き。ダメ、舌噛みそう」
「はあ? それはお前の舌が短いだけで、別に俺の名前のせいじゃ……!」
「いいじゃん、ユキで。名前の一部なんだしさ」
繊細な顔立ちに似合わない大雑把なO型加減を発揮して、ミチルは床に腰を下ろす。こんな時でも胡坐じゃなく、膝を抱えて縮こまってる姿は室内犬みたいだ。
「ほらほらっ、乾杯! お互い二十歳になってやっと会えたんだから、今夜は飲もうよ。ユキは何がいい? チューハイ? それともビール?」
嬉しそうに尋ねるミチルの髪が、ふわりふわりと飛び跳ねる。まさに、尻尾を振る子犬状態。
「何が悲しくてこんな日に男同士で乾杯……」
ぶつぶつ言いながらも、さっき迎えに行った駅近くのコンビニで買ってきた酒類を物色する。
本当はもっと前から酒の味を覚えていたし、一人暮らしを始めてからなんて特にやりたい放題で、感慨なんてありゃしない。今日が俺の誕生日だってことにさえ、恨みを覚えるくらいだ。
なんでよりにもよって、大学の悪友どもは揃いも揃って用事があって、ちょうど冬休みで時間ができたから、なんて突然こいつが遊びに来ることになるんだ。当然のようにアポなしでいきなり駅まで来て、そこから呼び出されて俺はホイホイ出てこれるくらいに暇なんだ。お泊りセット携えてウキウキ上がりこんできたのが男で、俺には誕生日を祝ってくれる彼女もいないんだ。
ぶちぶち頭の中で愚痴をこぼしていた俺は、膨れ面で選んだビールの缶を突き出す。迎え入れてしまったものは仕方がない。それに--文句を言いつつも、自分がこの可愛すぎる友人との再会を喜んでいることは確かなのだから。
「……ねえ、知ってる?」
ただでさえ雑然とした部屋の、お世辞にも綺麗とは言い難い丸テーブルの上に並んだ空き缶たち。
俺のビールと、ミチルのチューハイ。仲良く並んだそれをぼんやり見ていた俺に、ミチルが聞いた。
はらり、といつの間にか落ちてきた雪の欠片を指差しながら。
「雪って、檻なんだよ」
意味不明の言葉に、眉を寄せる。手はつまみのピーナッツを口に運びつつ、それでも目線はけだるげに頬を赤くしたミチルに向けていた。
「これくらいハラハラ降るだけなら綺麗で、ロマンチックで、幻想的でしょう? でも雪国で育った人間にとっては、雪は人を閉じ込める檻にもなれば、降りすぎると傷つけ殺すこともできる凶器にもなる」
そういえば、こいつは北海道の出身だったっけ。思い出してみれば、確かに豪雪地帯の雪かきの大変さ--屋根が重みでつぶれる前に雪下ろしをしなければいけないこと、その際に足を滑らせて落ちることもあること、また、あまりにも降り積もった雪のせいで家の扉が開けられなくなること--等々を聞かせてもらった記憶が蘇る。
どうやらあまり飲めない性質であるらしいミチルが、潤んだ目で俺を見つめ、また落ち着かない気分になった俺は、ふざけた風に笑ってみせた。
「じゃあ、俺も檻なわけ? だって、ユキと雪じゃ同じ読みじゃん」
当然、笑ってくれると思っていた俺は、予想外に真剣なミチルの目に笑いを収めた。否--笑えなくなったのだ。立てた自分の膝に片方の頬を預けていたミチルが、ゆっくり顔を上げ、ずいっと顔を近づけてきたからだった。コロンらしき甘い香りが、鼻腔を突く。
「檻に、なってくれる?」
え、とも、う、ともつかない音だけが喉から漏れた。飲みかけのビール缶を思わずテーブルに置いてしまった。そしてフリーになった俺の手を、ミチルが取った。
「お手を拝借」
冗談めかして言ったミチルに引っ張られた手は、自分のものじゃないみたいに動かされる。ぐいっと力強く、そして強引に両腕まで持っていかれ、華奢なミチルの体を抱きしめる形にされたのだ。
「な、に……やってんだよミ--」
「ミチル」
「あ?」
「名前も外見も、部屋まで女の子みたいな、ミチルだよ。なら――もうそれでいいと思わない?」
「何が……」
腕を外そうとする俺の力を、そこだけはちゃんと男の力で押さえつけて。
それなのに俺を間近で見つめたミチルは、今にも泣きそうな、弱々しい目をしていた。
「ほら、もう逃げ切れない」
ふっと、強張っていた頬の辺りを和らげた。ミチルが笑って――いや、笑おうとしているのがわかったけれど、俺は笑わなかった。笑えなかった。ぎゅっと押し付けられた、平らな胸から、トクトクと震える心臓の鼓動が伝わってきたからだ。それは、俺と同じスピードだった。
「ユキ」
呼ばれたのが自身に付けられた、ただ一人だけが愛用してきたニックネームなのか、それとも窓の外で降りしきる白い雪片のことなのか。何もわからなくなるくらいに、互いの鼓動が重なり合っている。今までの危うい関係のように、寄り添い、それでいて離れようとしている。不自然で妖しい、緊迫感が漂う。
「僕を……食べてよ」
赤い唇。白い肌。滑らかで、やわらかで、触れれば壊してしまいそうな美しいもの。
何年も保ち続けてきたはずの常識と理性の壁を、かすれた声一言が粉々に崩した。
「ミチル……ッ」
荒々しくかき抱いて、既に密着していた体をより近づけて、禁断の赤に触れようと――俺が顔を傾けた、その刹那だった。ぐらり、と力を失ったミチルの頭と激突。
「あがっ」
突き上げるような衝動のままに距離を詰めたから、勢いは相当だったらしく、頭とぶつかった唇がじーんと痛む。その痛みをなんとかする前に、更に傾いでいくミチルの体をあわてて受け止めた。ラグマットの上になんとか下ろすと、ミチルは世にも幸せそうな微笑を浮かべながら――眠っていた。
「おい……」
そんな。俺のこの燃える想いは。必死に打ち消してはくすぶり続け、今ようやく大きく燃え上がろうとしたこの滾る炎は。
「ユキい……」
「ミ、ミチル?」
可愛らしく寝言で呼ばれ、再びドキリとする。そして、俺は知っているのだ。
こいつが非常に眠りが深く、また、寝相が悪いことを――。
ヤケ酒後、もちろん一つしかないベッドに寝かせてやったミチルの隣に滑り込む俺。
季節は冬、外は雪。布団がなければ風邪を引くから。
そう自分に言い聞かせ、この部屋の主人なのだから当然の権利なのだと論点をすり替え、俺は眠るミチルを眺めて。そして、気づいたのだ。
ひょっとして、檻に入れられた(未遂とはいえ)のはミチルではなく、俺のほうだったのではないかと。あの甘く愛らしい声でユキと俺を呼ぶ友人――世界一危険で魅力的な男に捕らえられたのは、一生の不覚だったのでは……。
「最低最悪の誕生日だな、まったく」
何が悲しくて、可愛すぎる男に抱きつかれながら眠らなくてはいけないのか。眠れないで悶々とする自分の本心をはっきりと自覚して、嘆かなくてはならないのか。それなのに一番の問題は、
「……おめでと、ユキ」
どうやら夢の中で祝ってくれているらしいミチルの笑顔に、何もかも許したくなってしまう自分自身。
最低で最悪で、最高の誕生日。
二十歳になった夜、俺はこうして『オトナ』の仲間入りを果たした。