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第9話:最初の来訪者と始まりの香り

ネルが仲間になってから、俺たちの生活は日に日に豊かになっていった。

 俺の【ギャグ】スキルによる荒唐無稽な「創造」と、ネルの神業がかった職人技による「改良」。この二つの相乗効果は凄まじく、俺たちの拠点はもはやただのログハウスではなく、要塞か王宮かと見紛うほどの快適性を誇るようになっていた。


 今日の昼食は、ネルが開発した『全自動石窯くん一号』で焼いたピザだ。

 全自動畑で採れたトマトとピーマン、そしてシルフィが森で見つけてきた珍しいキノコをふんだんに使い、生地を石窯に入れると、あとは全自動で完璧な焼き加減に仕上げてくれるという優れもの。


「んんー! このチーズの伸び、最高だ!」

「ネルの石窯、すごいわ……。お店で食べるより美味しい」

「ふ、ふん。これくらい、当然よ」

 俺とシルフィに褒められ、ネルはそっぽを向きながらも、その口元は嬉しそうに綻んでいる。すっかりこの生活に馴染んだ彼女は、以前よりずっと表情が豊かになった。

 薪がはぜる音、俺たちの笑い声、そして石窯から漂う、食欲をそそる香ばしい匂い。

 完璧な平和。完璧な日常。この幸せが、ずっと続けばいい。俺は心からそう思っていた。


 その、日常を破る最初の兆候は、クロからもたらされた。

 ピザを堪能し、食休みをしていた俺たちの足元で丸くなっていたクロが、不意にむくりと顔を上げたのだ。


「グルル……」

 喉の奥で、低い唸り声が響く。だが、それは敵意に満ちたものではなく、どちらかというと警戒に近い。

「どうしたの、クロ?」

 シルフィがクロの首筋を撫でるが、クロは唸り声を止めず、じっと森の一点を見つめている。その視線の先には、もちろん何も見えない。

「誰か、この領域に近づいているみたい。魔物じゃない……人の気配ね」

 森の番人であるシルフィの感覚は鋭い。彼女の表情が、わずかに引き締まる。

. . . . . . . . . . . . . . . . . . .

 この「嘆きの森」は、危険な魔獣が跋扈する、人に忘れられた場所。偶然迷い込んでくる人間がいるとは考えにくい。俺たちは武器こそ持たないが、警戒しながら、気配のする方へと向かった。


 そして、俺たちの拠点の境界線ともいえる小川のほとりで、それを見つけた。

 地面に、一人の少女が倒れていた。

 歳は、ネルよりもさらに幼く見えるだろうか。着ている服はボロボロで、泥と埃にまみれている。長い黒髪の間から、ぴんと張った猫のような耳が覗いていた。腰からは、力なく垂れた尻尾が生えている。獣人族――猫人ケットシーの少女だ。

 彼女はぐったりと気を失っており、その痩せ細った身体は、長く苦しい旅を物語っていた。


「……生きてる」

 シルフィがそっと首筋に触れて、安堵の息を漏らす。

「ひどい消耗だわ。何日も、何も食べていないのかもしれない」

「とにかく、運んで手当てをしないと」

 俺は、ためらうことなく少女の身体を抱き上げた。驚くほど軽い。この小さな身体で、一人、どれほどの困難を乗り越えてきたのだろうか。

. . . . . . . . . . . . . . . . . . .

 ログハウスに運び込み、ベッドに寝かせると、シルフィが手際よく手当てを始めた。幸い大きな怪我はなく、極度の飢餓と疲労が原因のようだった。

 俺は、ネルに頼んで栄養のあるスープを作ってもらう。ネル作の神器包丁と鍋を使えば、どんな食材も、たちまち滋養に満ちた極上の一品に変わるのだ。


 温かいスープの匂いが部屋に満ちた頃、少女の猫耳がぴくりと動いた。

 そして、ゆっくりと、その瞼が開かれる。

「……」

 琥珀色の大きな瞳が、不安げに俺たちを捉えた。

「気がついたか。大丈夫、もう安心だ。まずは、これを飲むといい」

 俺が、スプーンですくったスープを口元に運んでやると、少女は一瞬ためらった後、こくりとそれを飲み込んだ。


 その瞬間、少女の瞳が、カッと見開かれた。


「おいし……!」


 次の瞬間、彼女はガバッと身を起こすと、俺の手からスープ皿をひったくり、凄まじい勢いで飲み干し始めた。あっという間に空になった皿を、名残惜しそうに舌でぺろりと舐めている。

 そのあまりの食欲に、俺たちはあっけに取られていた。


「あ、あの……ご、ごめんなさい! お腹が、すいてて……!」

 我に返った少女が、慌てて頭を下げる。

「気にするな。おかわりなら、たくさんあるぞ」

 俺が笑顔でそう言うと、彼女は「ほんと!?」と顔を輝かせ、その後、俺たちが止めるまで、大鍋一杯のスープを綺麗に平らげたのだった。

. . . . . . . . . . . . . . . . . . .

 腹が満たされ、少し落ち着きを取り戻した少女は、自分のことを話してくれた。

 彼女の名前はミオ。生まれつき魔力が少なかったために、故郷の村を追い出され、ずっと一人で放浪していたらしい。盗みや物乞いをしながら、何とか生き延びてきたという。

「もう、何日も何も食べてなくて……森の中で、いよいよダメかと思った時、信じられないくらい、いい匂いがしたんだ。天国からのお迎えなのかなって、匂いのする方へ、夢中で……」

 ミオは、俺たちが焼いていたピザの匂いに、命を救われたらしかった。


「ここは……天国なの?」

 温かい部屋、ふかふかのベッド、美味しい食事。そして、自分を助けてくれた優しい人たち。過酷な人生を送ってきた彼女にとって、ここは天国以外の何物でもないのだろう。

「天国じゃないさ。俺たちの家だ」

 俺がそう言うと、ミオの瞳から、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。

「……行く当てがないんだ。お腹が膨れたら、こんなこと、図々しいってわかってる。でも……でも……!」


 彼女が何を言いたいのか、痛いほど分かった。

 俺は、シルフィとネルの顔を見る。二人は、優しく頷き返してくれた。

「ミオ」

 俺が名前を呼ぶと、彼女はびくりと身体を震わせる。


「行く当てがないなら、ここにいればいい」


 その言葉を聞いた瞬間、ミオはわっと声を上げて泣き出した。それは、悲しみの涙ではなく、安堵と、喜びの涙だった。

「……ありがとう、ございます……! ご主人様……!」

「ご主人様はやめろ」

 俺は苦笑しながら、その小さな頭を撫でてやった。


 こうして、俺たちの共同体に、三人目の仲間が加わった。

 元気で、食いしん坊で、そして、誰よりも懐っこい猫人の少女、ミオ。

 彼女の存在は、この静かだった辺境の地に、新たな賑わいと、そして、外の世界へと繋がる最初のきっかけをもたらすことになる。


 この楽園の噂が、風に乗って広まり始めるまで、あと少し。

 俺はまだ、自分たちのスローライフが、やがて多くの人々を巻き込む、大きな物語の序章に過ぎないことを、知る由もなかった。

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