表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

21/30

第21話:魔王の娘、土いじりに目覚める

私が「リリ」として、この奇妙な楽園に潜入してから、一週間が過ぎた。

 そして、私の調査は、完全に行き詰まっていた。

 中心人物であるユウキは、信じられないほどの「普通」だった。彼をいくら観察しても、魔力の流れも、策略の気配も、何も感じられない。ただ、あくびをしながらお茶を飲み、時々、私たちの様子を見て、気の抜けた笑みを浮かべているだけ。他の少女たちも、ただただ毎日を幸せそうに暮らしているだけだった。


(ありえない……! これほどの異常事態を維持しながら、これほどまでに気配がないなど……!)


 私の焦りは募る一方だった。父上への定期報告も、「現在調査中。特異点多数なれど、敵意は確認できず」という、曖昧な内容を送るのが精一杯だった。

 このままでは埒が明かない。私は、より核心に近づくため、この集落で最も不可解な奇跡の源泉である、あの『全自動畑』の調査に乗り出すことにした。


「あの……私にも、何かお手伝いさせていただけませんか?」

 私は、か弱い少女を完璧に演じ、朝食の席でユウキに申し出た。

「畑仕事に、興味があるのです。土に触れることは、生命に触れることだと、父も申しておりましたので」

 もちろん、魔王である父上が、そんな牧歌的なことを言うはずがない。真っ赤な嘘だ。

「へえ、リリは感心だな。いいぜ、やってみるか」

 ユウキは、あっさりと許可した。そして、こともなげに、こう続けたのだ。

「やり方は、ザーグが教えてくれるから」


「……は?」


 私の耳を、疑った。

 ザーグ。それは、私の父の腹心、魔王軍四天王ザルガスが、この場所で与えられた偽りの名。

 魔王の娘であるこの私が、父の部下……それも、記憶を失って腑抜けた裏切り者(仮)に、手ほどきを受けろと? これ以上の屈辱があるだろうか。

 だが、潜入調査中の身。断ることはできない。私は、表情を引きつらせながらも、笑顔で「よろしくお願いいたしますわ」と、頭を下げるしかなかった。

. . . . . . . . . . . . . . . . . . .

. . . . . . . . . . . . . . . . . . .

 そして、私の人生で最も奇妙な農業実習が始まった。

「リリ殿! 農業の基本は、まず土への感謝から! ユウキ様から賜った、このありがたい大地に、まずは一礼!」

 ザーグは、なぜか教官役として、異様なまでに張り切っていた。彼は、畑を前に、深々と頭を下げる。

(……こいつ、完全に洗脳されている……!)

 私は、内心で悪態をつきながら、仕方なく彼に倣って頭を下げた。


 ネルが私のために作ってくれたという、驚くほど手に馴染むクワを手に、私は、人生で初めて、土に触れた。

 魔族の姫として、土いじりなど、考えたこともない。汚らわしい、下賤な行為だと思っていた。

 だが。


(……温かい?)


 クワを通して伝わってくる土の感触は、驚くほど柔らかく、そして、生命力に満ちて温かかった。ネルのクワは、力を入れなくとも、すっと土を掘り起こしていく。

 ザク、ザク、というリズミカルな音。額にうっすらと浮かぶ汗。それは、決して不快なものではなかった。


「リリ殿、筋がいいですな! では、次に種を蒔いてみましょう!」

 ザーグに促され、私は小さな種を、耕したばかりの畝に落とす。

 すると、私の目の前で、信じられない光景が繰り広げられた。

 種が、芽を出し、ぐんぐんと成長し、青々とした葉を広げ、可憐な花を咲かせ――そして、見る見るうちに、艶やかな赤い実をつけたのだ。

 完璧な、宝石のようなトマト。


「……」

 私は、その奇跡に、言葉を失っていた。

 これが、この楽園の力の根源。生命そのものを、意のままに操る、神の如き御業。

(これを、解析しなければ……!)

 私は、当初の目的を思い出し、そのトマトに手を伸ばし、もぎ取った。

 太陽の光を浴びて、温かい。ずしりとした、生命の重み。

 解析のためには、まず、その性質を知る必要がある。私は、意を決して、その赤い実に、かぶりついた。

. . . . . . . . . . . . . . . . . . .

 次の瞬間、私の全身を、経験したことのない衝撃が駆け巡った。


(――ッ!?)


 甘い。酸っぱい。瑞々しい。

 そんな陳腐な言葉では、到底表現できない。

 凝縮された太陽の恵みと、大地の生命力が、私の口の中で、交響曲を奏でている。

 魔力とは違う、清らかで、純粋なエネルギーの奔流が、私の身体を満たしていく。

 魔族である私の身体は、本来、瘴気や負のエネルギーを糧とする。だが、このトマトが持つ、圧倒的なまでの正の生命力は、私の魂の根幹を、心地よく揺さぶった。

 美味しい、という感情の、遥か先。それは、幸福そのものを、食べているような感覚だった。


 私は、調査のことも、父上の命令も、全て忘れて、夢中でそのトマトを頬張っていた。

 一日中、私はザーグと共に、畑仕事に没頭した。

 土を耕し、種を蒔き、実った野菜を収穫する。その単純な作業の繰り返しが、信じられないほどの充実感を、私の心に与えてくれた。

 魔王城での、権謀術数が渦巻く、息の詰まるような日々と比べて、なんと満ち足りた時間だろうか。


 その日の夕食。

 食卓には、私が収穫した野菜を使ったサラダが並んでいた。

 自分で収穫した野菜の味は、また格別だった。

 私は、食卓で笑い合うユウキたちの顔を、ぼんやりと眺めていた。

 私を警戒する者は、誰もいない。皆、私を「リリ」として、仲間として、温かく迎え入れてくれている。

 私の任務は、ザルガスを救出し、この楽園の脅威を排除すること。

 だというのに。


(……本当に、ここは、排除するべき脅威なの……?)


 私の心に、初めて、迷いが生じた。

 ひょっとしたら、ザルガスは、洗脳されているわけではないのかもしれない。ただ、私と同じように、この抗いがたいほどの「幸福」に、その魂を奪われてしまっただけなのでは……?


 そして、恐ろしい考えが、私の頭をよぎった。


(父上を裏切るつもりは、ない。でも……もし、この任務が終わっても、ここに……もう少しだけ、いられたら……)


 潜入調査は、大失敗だ。

 私は、敵の正体を探るどころか、自分自身の心が、この楽園に囚われ始めていることを、認めざるを得なかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ