第18話:魔王の娘、お忍び調査に来る
魔王城、玉座の間。
この大陸における全ての魔族を統べる絶対者、魔王ゴルベザは、普段の威厳に満ちた姿からは想像もつかないほど、深く、深いため息をついていた。
「……それで、ザルガスの音信が途絶えてから、すでに半月が過ぎたと」
「はっ。最後に反応があったのは、『嘆きの森』と呼ばれる人間領の辺境。そこで、一度彼の魔力反応が完全に消失し、その後、奇妙な形で安定したまま、途絶しております」
側近の報告に、魔王はこめかみを押さえる。
ザルガスは、四天王の中でも随一の忠誠心と、剛力を誇る腹心中の腹心だ。彼が任務を放棄するとは考えられない。となれば、何者かによって討たれたか、あるいは捕らえられたか。
「……リリス」
魔王が、玉座の影に向かって呼びかける。
すると、影が揺らめき、そこから一人の少女が音もなく姿を現した。
夜空を溶かし込んだような、艶やかな黒髪。血のように赤い瞳。そして、人間とは明らかに違う、滑らかな肌と完璧なまでの美貌。彼女こそは、魔王ゴルベザが唯一の子にして、魔王軍最強の切り札、リリス姫その人だった。
「お呼びでしょうか、父上」
「うむ。お前に頼みたいことがある。ザルガスの身に何が起きたのか、突き止めてほしい。ただし、事を荒立てるな。彼の魔力反応を消し去った何者かがいるとすれば、相手は相当の手練れ。お忍びで、正体を隠して調査するのだ」
「御意」
リリスは、感情の読めない瞳で、静かに頷いた。
彼女は、父である魔王の命令を受け、すぐさま転移魔法で、問題の地へと飛んだ。
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『嘆きの森』に降り立ったリリスは、まずその異常な魔力の流れに気づいた。
(……何、この森。瘴気と聖気が、滅茶苦茶に混じり合っている? まるで、世界の法則そのものが、不安定になっているかのよう……)
そして、彼女はすぐに、探し人の魔力反応を捉えた。
微弱だが、間違いなくザルガスのものだ。しかし、その魔力は、邪悪さや闘争心といった、彼本来の性質を完全に失い、ただただ、穏やかに、平坦に、そこにあるだけだった。
(……生きている。だが、これは一体どういうこと?)
リリスは、気配遮断の魔法を完璧に施し、慎重に、魔力反応の源へと近づいていった。
そして、森が開けた場所に出て、彼女は、自身の目を疑うことになった。
そこには、小さな、しかし信じられないほど豊かで平和な集落があった。
エルフ、ドワーフ、獣人、そして人間。本来であれば、決して相容れないはずの種族が、一つの家で、家族のように笑い合っている。
家の傍らには、見たこともない理論で作られた畑や、謎の娯楽装置まである。
異常な光景だ。
だが、リリスにとって、最も衝撃的だったのは、その集落で働く、一人の男の姿だった。
カンッ! カンッ!
額に汗を浮かべ、上半身裸で、巨大な斧を振るい、黙々と薪割りをしている、筋骨隆々の男。
魔王軍四天王、剛力のザルガス。その人であった。
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(……は?)
リリスは、思考が完全に停止した。
あれは、ザルガス? 魔王である父上に絶対の忠誠を誓い、その剛腕で幾多の勇者を屠ってきた、あの誇り高き将軍が……なぜ、エプロンをつけて、薪割りを?
しかも、その表情は、苦痛や屈辱に歪んでいるわけではない。むしろ、やりがいに満ちた、充実感に溢れた、清々しい笑顔だった。
「おお、ユウキ様! 本日のノルマ、完了いたしました!」
薪を割り終えたザルガス――いや、ザーグは、ガゼボでのんびりとお茶を飲んでいた、一人の人間の青年に向かって、満面の笑みで報告した。
「お、ご苦労さん、ザーグ。いつも助かるよ」
ユウキと呼ばれた青年が、ひらひらと手を振る。
ザーグは、「もったいないお言葉です!」と感涙に咽びながら、深々と頭を下げていた。
(……何、アレ)
リリスは、木陰で頭を抱えた。
洗脳? いや、それにしては魔力の流れが自然すぎる。幻覚? この私の目をごまかせるはずがない。
全ての中心にいるのは、あのユウキという人間の男。
リリスは、魔力を集中させて、ユウキを分析する。だが、結果は、彼女をさらに混乱させた。
(魔力、ゼロ……? 闘気も、神聖力も、何もない……? ただの、人間……?)
ありえない。
ただの人間が、魔王軍幹部を、あのように従えられるはずがない。
この集落で起きていることの全てが、彼女の理解と常識を、遥かに超えていた。
正攻法は、悪手だ。力でねじ伏せようとすれば、ザルガスをあのような状態にした、未知の力に返り討ちにされる可能性がある。
(……仕方ないわね)
リリスは、ため息をつき、決断した。
この謎を解く鍵は、間違いなく、あのユウキという男が握っている。ならば、彼に直接接触し、内側から探るしかない。
彼女は、自らにかけた気配遮断の魔法を解き、代わりに、幻術魔法を自身にかけた。
完璧なまでの魔王の姫としての姿は消え、代わりに、着ているドレスは少しだけほつれ、艶やかな黒髪は乱れ、美しい顔には、疲労の色が浮かび上がる。
完璧な、「旅に疲れ、森で遭難したか弱い少女」の姿だった。
準備を整えたリリスは、おもむろに、木々の影から、集落の広場へと向かって、よろよろと歩き出した。
そして、ユウキたちの視線が自分に集まったのを確認すると、計算され尽くしたタイミングで、その場に、ふらりと倒れ込んだ。
「……きゃっ」
か細い悲鳴は、男の庇護欲を掻き立てるには、十分すぎるほどの可憐さだった。
遠のく意識(を演じる)の中で、リリスは、ユウキが「またかよ」と、どこか呆れたような声を上げたのを聞いた。
(……計画通り)
内心でほくそ笑みながら、魔王の娘は、ターゲットとのファーストコンタクトに、見事、成功したのだった。




