第1話:無能の烙印と追放宣告
「ユウキ! 邪魔だ、下がっていろ!」
勇者アレクの怒声が、湿った地下迷宮に響き渡る。彼の視線の先、パーティーの最後尾で立ち尽くす俺――ユウキは、小さく肩をすくめて数歩後退した。
いつものことだ。
俺が所属するこの勇者パーティーは、魔王討伐の勅命を受けた、大陸最強と謳われるエリート集団。
先頭に立つのは、聖剣に選ばれた勇者アレク。金色の髪をなびかせ、端正な顔立ちとは裏腹に、性格は傲慢そのものだ。
その隣で古代詠唱を紡ぐのは、王宮魔術師の筆頭、賢者のリナ。彼女の氷のような視線は、敵だけでなく、時として俺にも向けられる。
屈強な肉体で前衛を固めるのは、聖騎士団長のゴードン。脳みそまで筋肉でできているような男で、俺を「役立たず」と呼ぶのが口癖だ。
そして、後方から神聖な祈りで皆を支えるのが、慈愛に満ちた聖女ソフィア。彼女だけは俺に同情的な視線を向けてくれるが、パーティーの決定に逆らうことはない。
そんな輝かしいメンバーの中で、俺の存在はあまりにも異質だった。俺が持つ異能力、それは【ギャグ】。
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そう、【ギャグ】だ。
効果は、戦闘中に唐突に発動し、敵や味方にくだらない現象を引き起こす。例えば、オークの棍棒が紙製のハリセンに変わったり、スケルトンの進軍に合わせて軽快なサンバが流れ出したり。
直接的な攻撃力は皆無。防御に役立つわけでもない。ただ、場の空気を台無しにするだけの、文字通り「ふざけた」能力。それが、神々から与えられた俺のスキルだった。
「チッ、やはりユウキがいると集中できん!」
ゴードンが巨大な戦斧でリザードマンを薙ぎ払いながら、忌々しげに吐き捨てる。
「ええ。彼の能力は、戦いの神聖さを冒涜していますわ」
リナも同意し、指先から放たれた氷の矢が別のリザードマンを貫いた。
聞こえているが、反論はしない。いや、できない。事実、俺はこのパーティーで何一つ役に立っていないのだから。荷物持ちと、たまに発動する【ギャグ】で敵の意表を突く(そして味方の士気も下げる)ことくらいしか、できることがなかった。
「もうすぐ最深部だ! 幹部クラスが待ち構えているぞ、気を引き締めろ!」
アレクの号令で、パーティーの緊張が一段と高まる。
迷宮の最深部は、だだっ広いドーム状の空間になっていた。その中央、禍々しい紫のオーラをまとった一体の魔族が、玉座に腰掛けて俺たちを待っていた。
「ククク……よくぞ来た、勇者一行よ。我は魔王軍四天王が一人、剛力のザルガス。貴様らの旅は、ここで終わりだ!」
ザルガスと名乗った魔族は、牛のような角と鋼鉄の如き肉体を持つ、見るからに強敵だった。その威圧感だけで、肌が粟立つのを感じる。
「抜かせ!」
アレクが聖剣を抜き放ち、ゴードンと共に突撃する。リナは後方で大魔法の詠唱を開始し、ソフィアは神への祈りを捧げ始めた。
凄まじい剣戟と魔法の応酬が始まる。ザルガスは見た目通りのパワーファイターで、アレクとゴードンの猛攻を巨大な斧一本で捌ききっている。
「邪魔だ!」
「そこをどけ、役立たず!」
前衛の二人が俺を怒鳴りつけながら、戦場を縦横無尽に駆け巡る。俺はただ、邪魔にならないように壁際へ移動し、戦況を見守ることしかできない。情けなく、惨めな気持ちが胸を渦巻く。
(俺だって、好きでこんな能力だったわけじゃない……)
転生者である俺は、この世界に生を受けた時、神からこの【ギャグ】というスキルを授かった。前世はしがないお笑い芸人志望だったから、その影響かもしれない。だが、剣と魔法の世界で、お笑いの才能など何の役にも立たない。
戦いは熾烈を極めていた。リナの放った最大火力の上級魔法も、ザルガスの魔力障壁によって防がれてしまう。
「クハハハ! 小賢しい魔法など効かぬわ! 喰らえ、我が奥義! デモンズ・カタストロフ!」
ザルガスが斧を天に掲げると、彼の全身から闇色の魔力が噴き出し、ドームの天井に巨大な魔法陣が形成された。まずい、アレはパーティー全員を巻き込む殲滅魔法だ。
アレクもゴードンも、ザルガスの牽制に阻まれて詠唱を妨害できない。リナの顔から血の気が引いていく。ソフィアの防御障壁も、あの一撃を防ぎきれるとは思えなかった。
絶体絶命。誰もが死を覚悟した、その瞬間だった。
(……なんか、ムズムズする)
俺の体の中から、いつものあの感覚が湧き上がってきた。意思とは関係なく、世界に介入しようとする、おかしな衝動。
(やめろ、今じゃない……! 今発動したら、絶対に……!)
俺の願いも虚しく、スキルは強制的に発動した。
ピロリン♪
場違いにもほどがある、気の抜けた効果音が響き渡る。
そして、奥義を発動させようと最後の魔力を練り上げていたザルガスの足元に、忽然と、一本の黄色いバナナの皮が出現した。
「ぬぉっ!?」
ズテーンッ!!
凄まじい勢いで振りかぶっていたザルガスは、その勢いのまま、見事にバナナの皮で足を滑らせた。鋼鉄の巨体が見事な放物線を描いて宙を舞い、後頭部から地面に叩きつけられる。
ゴシャッ!という鈍い音と共に、ザルガスの意識は完全に刈り取られた。
天に掲げられていた斧は主の手を離れて虚空を舞い、天井に形成されていた殲滅魔法陣は、主の意識が途切れたことで、まるで幻だったかのように霧散していった。
静寂が訪れる。
勇者パーティーの面々は、何が起こったのか理解できず、呆然と立ち尽くしていた。
そして、全員の視線が、ゆっくりと俺に向けられた。
「……ユウキ」
最初に口を開いたのは、勇者アレクだった。彼の声は、地を這うように低く、怒りに震えていた。
「貴様、この期に及んで……ふざけているのかッ!!」
アレクの絶叫が、迷宮にこだました。
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その夜、野営の焚き火を囲む空気は、氷点下まで冷え切っていた。
ザルガスは気絶しているところをゴードンが首を刎ね、一応の勝利という形で戦闘は終わった。しかし、パーティーの誰も、その勝利を喜んではいなかった。むしろ、屈辱に顔を歪めている。
「単刀直入に言う。ユウキ、お前は今日限りでこのパーティーを追放だ」
アレクが、冷酷な声で宣告した。
俺は黙って彼の顔を見返す。驚きはなかった。いつかこうなるだろうと、心のどこかで覚悟していたからだ。
「今日の戦闘、我々は全滅の危機にあった。それは貴様も分かっていたはずだ。そんな神聖な決戦の場で、貴様はなんだ? あのくだらない道化は! 我々への、いや、世界を救うという使命への冒涜だ!」
「ええ、アレクの言う通りですわ」とリナが続く。「あなたの貢献度は今までもゼロでした。いいえ、仲間たちの士気を下げるという意味ではマイナスです。これ以上、あなたという重荷を背負って進むことはできません」
「全くだ。敵の魔王軍幹部を、バナナの皮で転ばせて倒したなどと、後世の吟遊詩人がどう歌うと思ってるんだ! 俺たちの名誉が汚される!」
ゴードンも、鼻息荒く俺を非難する。
どうやら、彼らにとっては、世界の危機を脱したことよりも、自分たちの名誉や戦いの美学の方が重要ならしい。
俺は、最後に聖女ソフィアに視線を向けた。彼女は悲しそうに顔を伏せ、か細い声で呟いた。
「ごめんなさい、ユウキさん……私……」
彼女が俺を庇えないことは分かっている。このパーティーの力関係で、それは不可能だ。
(ああ、もういいか……)
彼らの言葉を聞きながら、俺の心は不思議と凪いでいた。怒りも、悲しみもなかった。ただ、解放されるという安堵感だけが、ゆっくりと広がっていく。
もう、役立たずと罵られることもない。戦闘のたびに、無力な自分に絶望することもない。命のやり取りが行われる緊迫した戦場で、場違いなスキルが発動しないかと怯える必要もなくなる。
「……わかった」
俺が静かにそう答えると、アレクたちが一瞬、虚を突かれた顔をした。俺が泣いて懇願でもするとでも思っていたのだろうか。
「今まで、世話になったな」
俺は立ち上がり、彼らに背を向けた。
「ま、待て。これが餞別だ。王都には戻らず、どこか遠くへ行くがいい」
アレクが、小さな革袋を投げてよこす。中には、雀の涙ほどの金貨が入っていた。追い出す者が見せる、最低限の情けのつもりだろう。
俺はその革袋を拾うと、一度も振り返ることなく、暗い夜道へと歩き出した。
王都へ戻る気など、毛頭なかった。
どこへ行こうか。特に当てもないが、人の少ない、静かな場所がいい。そうだ、辺境と呼ばれる未開の地なら、俺のような役立たずでも、ひっそりと暮らしていけるかもしれない。
街の明かりが完全に見えなくなり、満天の星空が頭上に広がった。
俺は大きく息を吸い込む。ひんやりとした夜の空気が、肺を満たしていく。それは、ここ数年で一番、美味い空気に感じられた。
「自由、か……」
追放されたというのに、口元が自然と綻ぶ。
最強の勇者パーティーから追放された、役立たずの俺。
持っているのは、何の役にも立たない【ギャグ】スキルと、わずかな金貨だけ。
だが、なぜだろう。
これからの人生が、最高に面白いものになる。そんな予感だけが、胸いっぱいに広がっていた。