プロの居候
「……は、かせ」
スイは、夢の中にいた。
遠くて少しだけ近い、あの日を、思い出していた――。
これは、甘い甘い、スイの記憶。
スイが今以上に砂糖とレモンに塗れていた、
博士の家の居候時代の記憶である。
その日、博士の家に、一人の来客が訪れていた。
ミカンという、ジェムット協会の女性である。
ジェムット協会には、ジェムットの調査・管理義務がある。
ミカンは、スイのデータを収集する為、協会から派遣されたのである。
「博士」
「ん?どうしたんだい、スイ」
「レモンジュースがありません」
「なに?」
「そんなはずは………」
博士は口をぽかんと開けていた。一月前には、200本発注したレモンジュース。
それが既に、空となっていたのだ。
「では、また急いで発注しないといけないね」
(おい!!!!)
ミカンは、椅子から崩れ落ちそうになった。
「発注数を250に増やせませんか?レモンジュースは、乙女の美容に良いのです」
「ふむ。構わないよ。でも、ちょっと困った事があってねえ」
(そうだ、そうだ………言ってやれ。)
「なにがですか?」
「先月発注したレモネス300は、ちょうど販売が休止されてしまったんだよ。
なんでも……、ジュース工場がシトラスト教団のテロにあったらしくてね」
「そうでしたか。」
(れ、れもねす300って………、一本700ルクするぼったくりドリンクじゃねえか!)
ミカンは、仰天した。
(あの居候チビジェムット……ッ、1月でレモンジュースを200本――14万
ルク分も飲み欲しやがったのか!?)
レモネスシリーズは、レモネスのレモンドリンクの中でも格違い
の酸度を誇る。
通常で倍すっぱいレモネスレモンが更に倍以上すっぱいという激ヤバシリーズなのである。
常人なら、数本飲んだらゲロ祭り。
彼女にもその酸っぱくて苦い経験があった。
「すぐに販売を再開するとは思うんじゃが……」
博士は、少し困った顔で言った。
「じゃあ、レモネス500で手を打ちましょう。スイもちょうど、更なる刺激を
求めていたタイミングなのです」
「ふむ。でも、いいのかい?」
「なにがですか?」
「カタログには、レモネス1000というのがあるよ。」
ピクリ。
「ぶーーーーーッ?!!!」
彼女は、お茶を勢いよく噴き出した。
「ごふっ、ぶふっ……っ、けほっ、けほっ……!!」
胸を押さえて苦しそうに咳き込むミカン。
そんな彼女の様子を他所に、二人は会話を続けた。
「確かに1000は魅力です。でも、本当のレモラーはトップギアは封印するんです」
スイはそういうと、小さく舌打ちした。
虚空を睨め付け、右親指をギリギリと噛んだ。
「そうなのかい?」
(そうなのかい?……じゃねぇ!
コイツが本部の天才って、マジかよ。コイツもヤバすぎんだろ?!)
「味として一番なのは、200~500です。
人が最も美味しく感じる発酵度に、調整されてるんです。
それ以上は、エクスタシーを求める領域なんです」
やや早口になるスイ。
(お前は人じゃねぇだろ!! 発酵してんのは、お前の頭だ?!)
律儀に突っ込むミカン。
「エクスタシー?」
「はい。キマるんですよ、すごく」
ほんの少しだけ、スイの口の端が吊り上がった。
「なら、500で………」
「おい!!!!」
「ん?」
「あ、甘やかしすぎだろっ……!!レモネスを250本??
それも、一か月で?? レモンプールでも作る気か、おい!!」
怒涛の勢いでまくしたてるミカン。
「ほぉ」
「言いたい事は分かる。確かに、数は多い」
博士は静かにうなづく。
「よ、よし。だよな……、そうだよな……やっぱり――」
「でも、若いうちにはやりたい事はやったほうがいい。なんでも経験だよ、ミカンくん」
「そういう話じゃねぇだろぉ……っ?!」
「なんですか、貴方。ワタシのレモネス道の前に、立ちふさがるおつもりですか?」
スイの瞳の色が、暗く沈んでいく。
「いかんいかん。喧嘩はいかんよ、スイ」
「そうですか?」
「うむ。人類皆ニコニコ。怒ったら、幸せは逃げていくぞ。たとえ、相手が悪くてもな。」
「おい!!!!」
ミカンは、いよいよ椅子から転げ落ちた。
(マジでイカレてやがるぜぇ……、この博士も、ジェムットもよ!!)
ミカンはふと、思い出したように腕の時計を見た。
滞在時間は、あと5分。
だが、報告書に書けるようなことは、まだ何もわかっていなかった。
(一体、どう評価すりゃいいんだよ?!)
ミカンの苦悩も無理はない。
まったく、見た事もないタイプのジェムットだ。
しかも、博士の常軌を逸した甘やかしっぷりにより、
その個性は更に強烈なモノとなっていた。
カタッ、カタカタカタッ!
ミカンは、持参のノートパッド端末に、やけくそのように勢いよく
打ち込んだ。
(ファック!!)
…………
……
結局のところ、ミカンは調査報告書にこう記した。
『レモネス中毒の、真新しい感性・味覚を持ったジェムット。同居人の影響で、さらに個性マシマシ。それ以外に記載出来る事はない。百聞は一見に如かず。
気になるなら、自分で見に行け』
半ば職務放棄とも取れるが、これ以上ないくらい的確な文章でもある。
そこには、彼女の真面目な性格が良く表れていた。