第7話 塔の上で待っている
広がる青空の下、どこか懐かしい草原をエリゼはゆっくりと歩いていた。風に乗って運ばれる、かすかに甘い花の香り。草葉の間を駆け抜ける涼やかな風が、そっと彼女の赤髪を揺らす。
遠くには壮大な山脈が連なり、その稜線は柔らかな陽光を浴びて、ぼんやりと輝いていた。どこかで小川が流れる音がする。すべてが静かで穏やかで——けれど、どこか現実離れしていた。
これは……夢?
そんな疑問が脳裏をかすめた瞬間、背後から柔らかな声が響いた。
「エリゼ。」
はっとして振り返る。そこに立っていたのは——銀髪の女性。
母、アリエス——
彼女は静かに微笑みながら、エリゼに向かって手を差し伸べていた。その姿は、記憶の中にあるよりもずっと近く、そして温かかった。
「お母さん……?」
エリゼの声はかすれた。胸が締めつけられるように熱くなる。言いたいことは山ほどあるのに、何から話せばいいのかわからない。
アリエスは穏やかな声で語りかける。
「エリゼ。あなたはよくやっているわ。自分を信じて進みなさい。」
その言葉に、込み上げる感情が一気に溢れた。
「お母さん……なの!? 本当にお母さんなの!? どこに行ってたの!? 一緒に村へ帰ろうよ! 私たち、ラグナもミレイアもリュシオンも、4人でずっとお祈りや修行を頑張ってるんだよ! 明日は——やっと、神器を授かる日なの!」
必死に言葉を紡ぐエリゼに、アリエスは静かに首を振った。
「私は帰れないわ。」
その一言が、冷たい刃のようにエリゼの胸を突いた。
「なんで……?」
問い詰めようとするエリゼの前で、アリエスは優しく微笑みながら、まるで祈るように両手を重ねる。
「エリゼが私を探しに来るの。塔の一番上で待っているから。」
——塔?
何を言っているのか理解するより先に、アリエスの姿が淡い光に包まれていく。
「待って、お母さん!どういうことなの!? 行かないで!」
手を伸ばす。けれど、その指先は何も掴めない。ただ白い光が、母の輪郭を霞ませていく。
「お母さん!」
次の瞬間——エリゼは、はっと目を覚ました。
夢だった——。
けれど、母の声も、姿も、まるで現実のように鮮明に脳裏に焼き付いていた。鼓動が早まるのを感じながら、彼女は天井を見つめる。
「塔の一番上……。」
小さく呟いたその言葉に、心の奥底で何かが確かに動き出していた。