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「ママ〜、何してるの?」


「刺繍の図柄を考えているのよ。キルトは何が良いと思う?」


「ん〜、お花!」


「素敵ね。じゃあどんなお花がいいかママと庭園を散歩して探しに行きましょうか。」


「うん!行く〜!」


 王宮の庭園はストランド家の屋敷とは比べ物にならないほど広く、様々な種類の花や草木が植えられていた。そして流石と言うべきか、どれもしっかりと手入れが行き届いており美しい。夫もこんな場所では屋敷のように堂々と厳重な監視をするわけにもいかず、今のところはメイドを一人側に付けるぐらいで済んでいる。そのため屋敷にいるときよりも少し自由になれた気がして、なんだか息がしやすい。


「ねぇねぇ、これ可愛いね。何てお花?」


「何だろう?ピンクで可愛いお花だね。」


 それは小さい花が集まって一つになったような見た目をしており、なんだかふわふわとしていて可愛らしい。


「それはアスチルベですね。花言葉は自由。」


「あっ……昨日の……」


 背後から声をかけられて振り向くと、そこには昨夜テラスで顔を合わせた黒髪の男性がいた。


「昨夜ぶりです。今日は小さなお客様もご一緒なんですね。」


「はい、息子のキルトです。……キルト、ご挨拶して。」


「こんにちは。キルト・ストランドです。」


「これは……ストランド家のご子息でしたか。ということは貴方は……」


「ご挨拶が遅くなりました。ダーツ・ストランドの妻、ルレット・ストランドと申します。」


「貴方が噂の……てっきり何処かのご令嬢かと思ってしまいました。私のことは、グレンとでもお呼び下さい。」


 グレンと言うのは多分略称だろう。どこからどう見ても苗字のない平民には見えないし、あえて正式な名前を名乗らないということは何か理由があるのだろうか。気にはなるが、本人があえて隠しているのだからわざわざ深掘りする必要もない。


「グレン様、それでは私どもはお先に失礼しますね。お花の名前を教えていただきありがとうございます。」


 息子とメイドもいるとは言え、見知らぬ男性と話しているところを万が一にでも夫に見られるのはまずい。そう思った私は少々強引かもしれないが、早めにここから退散することに決めた。しかしそんなことが3歳そこらの息子に分かるはずもなく、今し方散歩に来たばかりだというのにという不満から帰ろうとはせず、一向に言うことを聞いてくれない。


「やだー!もっとお花見たいもん!」


「ごめんね。でも、ママちょっと疲れちゃったな。戻ってお茶にしよ?」


「やだー!お散歩するー!」


 こうなった息子は手強い。私も好きなだけこの広く美しい庭園を散歩させてあげたい気持ちは山々だが、そういう訳にもいかないのだ。どうやって息子を説得しようかと頭を悩ませていると、思わぬところから助け舟が出された。


「キルトくんはお花が好きなのですか?」

 

「……うん!」

 

「そうですか。では、これをどうぞ。」


 グレンがそう言ってキルトに差し出したのは、まるで花の様な形をした色とりどりの砂糖菓子。


「わぁ…!お花みたい…!」

 

「ふふ、そうでしょう?食べられるお花ですよ。帰ってお母上と召し上がられてはいかがですか?」

 

「うん、そうする!お兄さんありがとう!」


「すみません、ありがとうございます。」

 

「いえ、こちらこそお忙しいところを引き止めてしまいすみません。宜しければルレットさんも召し上がってみて下さい。」


 そうして私たちはグレンと別れ、庭園を後にした。あの可愛らしい花はアスチルベと言うのか。花言葉は、自由。今の私が何よりも欲しているものだった。


 離宮に戻った私とキルトは、貰った砂糖菓子を食べながらしばしの間2人でゆったりした時間を過ごした。その後はシェル嬢との刺繍の時間がきたため、キルトをギャザーに預けて約束していた場所へと向かう。


「あっ!ルレットお姉様…!こちらです。」


「こんにちはシェル嬢。もしかして、お待たせしてしまったかしら?」


「いえいえ!そんな…!私もついさっき来たところで……」


 シェル嬢はそう言いながら必死に手を振り否定してくれているが、テーブルにある紅茶の減り具合からしてもそれは嘘だというのが伺える。きっと私よりもだいぶ早くに来て場所をとり、そわそわと待っていてくれたのではないだろうか。


「場所を用意してくれてありがとうございます。それから、夫には無事に許可をもらえました。」


「本当ですか!?良かったです…!それでは今日からよろしくお願いします!」


 そうして私たちはさっそく裁縫道具を広げて用意をする。丸い刺繍枠に王妃様からいただいた白いハンカチを挟み、色とりどりの糸を出してみる。


「まずはどんな図柄にするかですね。どんなモチーフがいいですか?」


「どうしましょう……花か動物か……ちなみに、お姉様はもうどんなものを作るかお決まりですか?」


「そうですね、私も考え中ではあるのですが……」


 ルレットの頭に浮かんでいたのは、今日庭園で見たアスチルベ。可愛らしい見た目もそうだが、なにより自由という花言葉に惹かれた。しかしそれだけでは寂しいので、アスチルベをメインに色の合う花を幾つか入れ、更に自由の象徴である鳥も入れたい。中央に花束を置き、周りをぐるっと囲むように花や鳥、リボンなどを淡いピンクや水色、白などで刺していってはどうだろうか。


「それはきっと素敵ですね…!」


「モチーフが多いと縫うのも大変なので、思うように出来るかはわかりませんが……」


「お姉様なら大丈夫ですよ!でも、私にはそんな細かなものは難しそうです……」


「それなら、一つのモチーフを大きく中央に置くか、簡単な模様を全体に刺していくのはどうでしょう?……例えば全体に簡単な小花を刺して、中央に好きなものを一つ置いたりするだけでも見栄えは良くなると思いますよ。」


「なるほど…!それなら中央のモチーフはうさぎにして、周りに水色の小花を刺そうと思います!」


「素敵ですね。良いと思いますよ。」


 そうして私たちは針を手に持ち作品作りに勤しんだ。シェル嬢には縫い方などを教えつつ、私も自分の作品に針を通していく。刺繍に限らずだが、針仕事は無心になれて心が落ち着くので好きだった。一つ一つ丁寧に、しかし時間はあまりないのでテキパキと縫っていく。


「今日はこの辺りでお終いにしましょうか。」


「そうですね。色々と教えていただきありがとうございました…!」


「いえ、完成まで頑張りましょうね。」


 シェル嬢と別れて離宮へ戻ると、自室で私の帰りを待ち構えている夫がいた。大方予想はついているが、おそらく庭園でグレンに会ったことをメイドか誰かから聞いたのだろう。夫は苛立ちを隠そうともせず、単刀直入に聞いてきた。


「おい、今日男と話したらしいな?」


「……はい。キルトと庭園を散歩中に話しかけられまして、身なりからして貴族の方でしょうし無視するわけにもいきませんので……」


「そんなことは聞いていない……!!」


 私の返答が不満だったのか、夫は声を荒げてテーブルを叩く。その勢いでテーブルの上にあった書類がいくつか床に落ちたがお構いなしだ。


「無駄なことは言うな!聞かれたことだけを答えろ…!!」


「申し訳ありません……」


「で?その男はどこの家の者だ?」


「それが姓を名乗られていなかったので、そこまでは……」


「何だと?名は……?」


「グレンと言っておりました。」


 名前を出すことに申し訳なさを感じつつも、正直に話すよりこの場を乗り切る方法はない。流石に夫も、一度話した程度の貴族の男性に何かするつもりはないだろう。


「グレン……聞いたことのない名だな。どうせ爵位の低い田舎貴族だろう。」


「……そうかもしれませんね。」


「お前はちゃんとストランド夫人と名乗ったんだろうな?」


「もちろんです。」


「まあいい。今回はキルトも一緒だったというし大目にみてやろう。」


 ひとまず夫の怒りは落ち着いたようだ。それにしても、偶然出会った男性と少し会話をした程度でこの騒ぎよう。私に対する夫の執着はやはり普通ではない。それは私をお金で買って無理やり自分のものにしたことに対する不安の現れなのか、それとも元来持ち合わせていた性質故なのか。まるで店頭のおもちゃが欲しいと駄々をこね、それを与えられると今度は誰にも貸したくないとおもちゃ箱の中にしまい込む子供みたいだ。


「……キルトが待っているので、そろそろ失礼してもよろしいですか?」


「待て。本当に何も無かったのか確かめなくてはな。」


「きゃっ……痛っ……」


 乱暴に掴まれた腕は振り払うことも叶わず、そのままソファーへと押し倒されドレスを捲られる。夫婦間の行為において、私の気持ちが考慮されることはない。ただ夫の好きな時に、夫の好きなように、夫に求められるがまま。私はなるべく早くこの時が終わるようにと、綺麗な模様で飾られている離宮の天井を見つめながら静かに祈った。

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