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その後も夫と親交のある貴族達との挨拶周りに連れ回されて、夫はまるで私を自分のアクセサリーか何かのように誇示している。一通り挨拶が終わると、今度は私を放置して他の男性貴族達に誘われるがまま飲みの席へと行ってしまった。屋敷の中ではあれほど警戒していたというのに、こんなにもあっさり監視の目から解放されるとは思わなかった。もしくは逆に、これほど大勢がいる場であれば間違いなど起こるはずもないと安心しているのかもしれない。
キルトは今頃何をしているのだろうか?初めてのパーティーを楽しめているといいのだが。そんなことを思いながらも、この慣れない場所でどうしたらいいのかもわからずに彷徨っていると、思いもよらぬ再開を果たすことになる。
「おぉ!ルレットじゃないか。」
声をかけてきたのは私の父であるヨーク・シェニール。そしてその隣には、あからさまに不満そうな顔をした弟のタックもいた。
「……お久しぶりです。」
「あぁ、実に久しぶりだな。元気そうで安心したよ。」
実の娘を売っておきながら心にも無いことを……と思いつつも、ただ笑顔で頷いておく。
「それにしても、随分良い暮らしをしているようじゃないか。」
父はジロジロと私のドレスやアクセサリーを見てそう言ってきた。そうだ、父はこういう人だった。そして後に続くであろう言葉も大方予想がつく。
「実は母さんが病気にかかってしまってな。今日もここに来れずに屋敷で休んでいるんだよ。」
「そうですか。それはお気の毒に。」
「……それでだな、お前も家族なんだから母さんに見舞いの一つでも送ったらどうだ?」
何が家族だ。子供時代は使用人同然の扱いをしておきながら、成長して女としての価値が出てくると途端に売りに出したような親を家族と呼べるのだろうか。それに病気というのも大袈裟に言っているだけで、どうせ流行り風邪程度だろう。もしも本当に大変な病気にかかっているとしたら、こんなところで話題に出す前にストランド家に連絡が来ているだろうから。
「旦那様にお話ししておきます。それでは他の方に挨拶がありますので失礼しますね。」
「あっ、おい……!ルレット……!!」
もちろん私に貴族の知り合いなどいないので、挨拶の予定も無い。この場を離れたいが為の嘘である。私はとりあえずこの人たちの元から離れたいという思いで会場内を1人歩き回り、ふと目に入ったテラスの方へと向かった。
テラスからは王宮の庭園が見渡せられ、その広さに改めて感嘆する。今は暗くてあまり見えない庭園も、きっと昼間の晴れた日に見たらそれは美しいことであろう。そんなことを考えながら、1人夜風にあたる。外の空気は少し肌寒いぐらいに冷たく澄んでいて、空を見上げると星たちがまばらに輝きを見せる。こんなに空は広いというのに、私はどうしてこうも窮屈なのだろう。答えの出ない問いに頭を悩ませていると、誰かがテラスの扉を開ける音が聞こえた。
「おっと……すみません、先客がいたとは。」
「いえ、大丈夫です。私もそろそろ戻ろうと思っておりましたので……」
そう言って会場の中へと戻ろうとしたのだが、入って来た男性に声をかけられ足を止める。
「休憩ですか?」
「はい、そんなところです。少し疲れてしまって。」
「僕もです。こういう場はどうも苦手で。」
「そうなんですね。私はこんなに大きな舞踏会自体初めてで……」
男性はその見た目からして歳の頃はおそらく私の少し上、27、28歳くらいでは無いだろうか。深く黒い髪に青い目、スラリと高い身長でありながら、威圧感のない優しそうな顔をしている。
「ご令嬢は首都にお住まいではないのですか?」
「はい、馬車で3日ほどかけて参りました。」
「それはさぞかし疲れたのではありませんか?」
令嬢なんて呼ばれる歳ではないが、もう会うこともないだろう人にわざわざ訂正する必要もないかと思い話を続ける。そんな穏やかでたわいもない会話をしていると、会場の中で何か探すように歩いている夫を見つけた。おそらく探しているのは私だろう。こんなところで知らぬ男性と2人でいるところを見られると、あらぬ誤解を生むかもしれない。誤解だけで済めばいいが、もしこの人にまで何かするようなことがあれば大惨事だ。
「すみません、そろそろ行かなくては……」
「あっ……」
私は挨拶もそこそこに、急いでテラスから戻り何食わぬ顔で会場を歩く。別に何をしていたわけでもなく、ただ偶然居合わせた男性と少し会話をしていただけなのだが、それでも夫に見られればどう思われるかはわからない。またあの様な悲劇を起こすわけにはいかないのだ。
「おぉ、ルレット。こんなところにいたのか。」
「旦那様、ご友人とのお話はもうよろしいのですか?」
「あぁ、だいぶ飲んだし今日はこの辺で帰ろう。俺がいない間、他の男に話しかけられなかったか?」
「はい、ご婦人方と少しお話をした程度です……」
「そうか、ならいい。」
私は嘘をついた。夫はその返答に一先ず満足したようで、お酒で上機嫌なのもあってかそれ以上問い詰められることはなかった。嘘をつくことに対する多少の罪悪感はあったが、そんなことよりも本当のことを言って罰を受ける怖さの方が大きかったのだ。その後キルトを迎えに行くと、ギャザーに抱えられたまますっかり眠ってしまっていた。
宿泊先の離宮に着くと、天使の様な息子の寝顔を眺めながら、私も眠りにつく。その日見た夢は、大きな黒い竜に見守られながらどこまでも続く広い草原を駆け回る息子と、それを笑いながら追いかける私の夢であった。あの夢のように自由になれたらどれだけいいか。私は豪華なドレスや宝石よりも、屋敷から出てヒールの高い靴を脱ぎ捨て、好きに走り回れる自由が欲しい。
期間中、舞踏会は夜になると開催されるが、集まった貴族達が昼間何をしているのかというと、仲間内でお茶会を行ったり、街に出て観光をしたり、はたまたこんな時でも仕事に追われる者もいる。
「ちっ……大公め、大人しく辺境に引きこもっておればいいものを出しゃばりおって。」
「旦那様、あまりそのようなことをおっしゃられるのは危険かと……」
「うるさい!執事の分際で口を挟むな!自室で何を言おうが俺の勝手だ…!」
どうやら前々から夫が狙っていた鉱山を大公殿下に先に買われたとかで、朝からこの機嫌の悪さである。私には投資などとんとわからない話だが、こういう時はなるべく刺激しないに限る。なるべく早く食事を終わらせ退室しよう。そう思っていると、何やらメイドが一つの手紙を持ってやって来た。
「何だ、誰からだ?」
「こちらは王妃殿下より奥様宛でございます。」
「私…?一体なんでしょう……」
「どれ、見せてみろ…!」
夫はそう言うと勝手に私宛の手紙の封を切り、いそいそと中を覗いた。
「……なんだ、また王妃様の気まぐれか。まあ適当にやっておけ。俺に恥はかかせるんじゃないぞ。」
それだけ言うと、夫は興味なさげに私にその手紙を投げてよこした。私はまだ直接お会いしたことがないが、噂によると王妃様は変わったことがお好きな方らしい。中に書かれていたのは、今回集まった貴族の夫人や令嬢を中心に刺繍のコンテストを行うとの内容だった。
刺繍はこの国の貴族女性の嗜みであり素養だ。花嫁修行の一つとも言われており、私も輿入れ前にさせられたものだ。実家では使用人達と同じような扱いを受けていたため、刺繍のような綺麗なものではないが、ほつれた自分の服を直したりといった針仕事は日常茶飯事に行っていた。そのため少なくとも夫に恥をかかせるというような心配はないだろう。
そしてそのコンテストに先立って説明事項があるからと、私は王妃様主催のお茶会に招かれた。お茶会にはデビュタントを終えたばかりのような令嬢から、私より歳上の婦人達まで揃っていた。
「皆さんよくお集まり下さいました。既にお手紙にてお伝えしておりますが、こんなに多くのご婦人、ご令嬢たちに集まっていただく機会もそうありませんし、皆さんで刺繍でもどうかしらと思いましてね。」
王妃様がそう言うと、侍女達が布や糸の入った小箱をそれぞれのテーブルへと持って来た。
「刺繍はこのハンカチに、モチーフは皆様のお好きなもので構いません。舞踏会の最終日のお昼頃、またこうしてお茶会を開くのでその時に作品を持ち寄って優れたものを選びましょう。」
「……王妃様、大事なことがまだ……」
「あぁ、そうそう。最も優れた作品を作った者……そうね、ソーイングクイーンとしましょう。ソーイングクイーンに選ばれた者には特別に褒美をとらせます。」
王妃様からの褒美という言葉に、会場がざわつく。王家からの褒美とは一体どれほどのものなのか、皆興味があるのだろう。
「ちなみに褒美の内容はソーイングクイーンに決めていただくわ。そうね……流石に国を寄越せとかは聞き入れられないけれど、私に与えられるものなら宝石でも土地でもなんでもいいわよ。ふふふ。それでは皆さん、頑張って素敵な作品を見せてちょうだいね。」
そう言うと王妃様は満足げな表情で足取りも軽く帰っていった。