2
⚠︎DV、モラハラなど非常に胸糞展開がありますので苦手な方はご注意下さい。
ある日いつものように庭へ向かうと、そこには両手を後ろに縛り付けた状態で地面に座らされ、顔に土が付くまで頭を垂らしているパイルの姿があった。
「パイル……!!一体どうしたの……!?」
私はすぐさまパイルに駆け寄ったが、近くで見ると彼は身体中傷だらけで、まるで拷問でも受けたかのように酷い状態だった。
「奥様……私のことは……どうか……お気になさらず……」
「何を言っているの!?こんな状況で放って置けるわけないじゃない!今すぐ誰か呼んで来るから……」
「その必要はない。」
急いで助けを呼びに行かなければと立ち上がろうとした瞬間、目の前から夫と騎士たちが現れた。
「旦那様…!ちょうど良いところにいらっしゃいました…!パイルが何者かに襲われたようで酷い怪我を……」
パシンッ……突然のことに、一瞬何が起こったのか分からなかった。しかし私の頬を叩いたのは、紛れもなく目の前の夫であったのだ。
「だ、旦那様……?」
「少しばかり顔が良いからと甘やかしていればこの有様だ。全く、これだから女は。」
ひりつくような頬の痛みよりも、何が起こったかわからないという動揺の方が大きい。私が状況を飲み込めずに放心していると、さらに夫は続けてこう言った。
「お前はその顔と身体にしか価値がない。それなのに他の男にも媚びてそれを売ってはその価値も下がる一方だ。」
「……申し訳ありませんが、仰っているお言葉の意味が分かりません。」
「はぁ……これだから低脳な女は困る。いいか?お前は俺の所有物だ。他の男と関係を持つことも、他の男に好意を寄せることも、またその逆も許されない。分かったか?」
「……もしかして、私とパイルの関係を疑っておいでなのですか?何か誤解があるようですが、私と彼はそのような関係ではございません。」
「ふん……お前がなんと言おうと、この男はそうは思っていないだろう。なぁ?」
「…………申し訳……ございません……」
そう言ってただ謝罪を述べただけのパイルの頭を、夫は靴のまま踏みつけ地面に擦り付けた。
「何をなさるんですか!?」
「ほら見たことか、お前はこの男の心配をしている。それが何よりの証拠だ。」
「何を言っているんです…!こんな状況で心配するのなんて当然のことでしょう!?たとえ相手が誰であろうとも、人を踏みつけるなんて見過ごせません…!」
「本当にコイツのことを何とも思っていないなら、何をされても平気なはずだ。赤の他人をいちいち気にする必要は無いからな。だからお前はコイツに気があるってことだ。」
「どうしてそんな……」
この時、私は夫の話す言葉の意味を何一つ理解できなかった。本当に同じ言葉を話す人間なのだろうか。同じ人間のはずなのに、どうしてこうも話が通じないのだろうか。どうしてこうも非道になれるのだろうか。
その後、ショックのあまり言葉を無くし唖然と立ち尽くす私を、夫は半ば強引に引き摺りながら寝室へと連れて行った。後に残されたパイルは、騎士たちがその身体を乱暴に抱えて屋敷の外へと連れて行くのが見えた。そしてそれが、この屋敷で彼を見た最後だった。
「いやっ……おやめ下さい……」
「何だ?アイツはよくて俺は嫌だっていうのか!?」
「違っ……本当にパイルとは何の関係もないんです……ただ散歩中に会ったら少し話をするぐらいで……痛い……もう、やだ……やめて……」
「お前は俺のものだ…!拒否することは許されない!!」
その後、パイルがどうなったのかは分からない。酷い怪我をしていたが大丈夫だったのだろうか。私と関わったばかりに、まさかこんなことになってしまうなんて。
私の心は彼に対する心配と申し訳なさ、そして罪悪感でいっぱいに埋め尽くされて、夫の言う好意がどうのなんてことは考える余地もなかった。それと同時に、もしまた間違えば、今回のように自分のせいで要らぬ人を巻き込み、迷惑をかけることになってしまうかもしれないという恐怖を感じるようになった。
その日を境に、私の生活は大きく変わることとなる。まず初めに、自由に外出することが出来なくなった。ここで言う外出とは何も街へ買い物に行ったり、貴族間のパーティーに出席することだけではない。屋敷の中から一歩たりとも、自由には外へ出ることができなくなったのである。つまりは敷地内といえども、以前のように庭園を気ままに歩くことすらままならない。更には男の人との接触も禁じられ、執事や使用人との接触も最低限に、基本的には夫抜きで会うこと自体許されなかった。
そして私は完全な人形となり、常に夫の視線に晒され、監視され、ただ美しく、夫を満たすことだけを目的としてこの家に存在させられた。最初のうちこそ夫にこの待遇に対する改善を訴えたこともあったが、もちろん取り合ってもらえるはずもない。
むしろ私が何か言うことにより夫の怒りをかい、腹いせのように私に対する扱いは酷くなるばかり。時にそれは叱責だけに止まらず、直接身体に傷を残すようなものまであった。それを学んでから、私は一切の期待を捨てた。夫を怒らせないように、ただ静かに人形として生きることが最善だと思ったのだ。
そうして心を無にして人形として生きる日々が3年ほど続いた頃、私の生活に大きな変化が訪れた。
「うっ……すみません、お手洗いに……」
「何だ、食べ過ぎか?」
「……もしやご懐妊では?一度、医者に診てもらった方がいいのではないでしょうか。」
執事の予想通り、私はお腹に新たな命を宿していた。そうして妊娠が判明すると、夫はその事実をいたく喜んだ。結婚してから長らく子が出来なかったため、自分が不妊なのではないかと考えていた矢先のことだった。初めこそ、夫は本当に自分の子だろうかと幾度か疑いの目を向けたこともあったが、日々の己の監視が何よりの証拠となりそんな懸念もすぐに消えた。
お腹に新たな命がいるということは、私にとっても希望の光となった。どれだけ嫌いな人との子供であろうと、この子が私の子供である事には違いない。父親が誰であっても、この子は誰でもない、この子という1つの命なのだ。だから私はこの子を産むということに対して、何一つの嫌悪感もなかった。むしろこうして私の元へ来てくれたのだから、絶対に私が守らなければならない、幸せにしなければならないという使命感、責任感がのしかかってきた。
それとこれは勝手な想像、いや、一縷の希望だったが、子が産まれて父になれば夫も変わるのではないかという僅かな思いがあった。しかしその希望も、子が産まれるより以前に一瞬にして消えて無くなることになる。
「すみません、悪阻で体調が悪くて……今日は……」
「何を甘えたことを言ってるんだ!お前は俺の妻なんだから務めを果たせ…!それぐらいしか役に立たないんだから黙って従ってろ…!」
「うっ……でもこの子に何かあったら……」
「皆してる事だから問題ない。つべこべ言うな。……ちっ、そのデカい腹は見苦しいから隠しておけ。」
妊娠中でも、夫はそれ以前と変わらず私を求めた。妊娠すればそういった行為からはしばらくの間解放されると思っていたのに、全くの誤算だった。更には悪阻で体調が悪かろうと、お腹にいる子供のことを心配していようと、そんなことは彼の中では関係ない。自分の欲が全てで、本当に子供を望んでいたのかすらももはや分からない。
「おい…!!人の部屋で吐くな!汚ないな!」
「すみません……本当に気持ち悪くて……」
「早く掃除しろ!!」
「はい……すみません……」
ダメだ、本当に気持ちが悪い。悪阻の気持ち悪さなのか、罵声に対する心の拒絶反応なのかも分からない。怒鳴られながら部屋にあった布巾で吐瀉物の処理をしていると、どうしてこんなことになってしまったんだろうという気持ちで涙が溢れてくる。
「今メイドを呼んできますから……」
「お前が汚したんだから全部お前がやれ!!ほら!!早く!!今すぐにだ!!」
そうして仮にも妊娠中の身だというのに、夜中から朝方にかけて、そのまま1人で何時間も何時間も部屋の掃除をさせられた。もちろんその間、夫は絶えず私に罵声を浴びせ続けてくる。永遠にも感じるほどの長い時間だったが、だんだんとそんな罵声にも慣れてきて、乾いた涙が皮膚に張り付く。朝日が昇った頃、ようやく夫の許しが出て、眠りにつくことができた。
そしてだんだんと大きくなるお腹は、人形のような私を人間らしく、母という生物に変えていく。しかしそれが、私の顔と身体だけを愛している夫には不満なようだった。
「おい、太ったんじゃないか?お前の価値は顔と身体だけなんだからちゃんとしろよ。」
「すみません……でもお医者さんに、もう少し栄養を取らないとって言われていて……」
「はぁ、まだ分からないのか?他人の言うことは信用するな。お前は俺の言う事にだけ従っていればいいんだ。わかったか?」
「はい、わかりました……」
そして長くも短い月日はあっという間に過ぎ去り、私は子を産んだ。度重なるストレスのせいかこの細く軟弱な身体のせいか、予定よりも1ヶ月ほど早い出産となったが、なんとか母子共にこうして生きている。産まれたばかりの小さな子を抱くと、母になったという実感が湧いてくる。あぁ、私の愛しい子。どうかあなたは誰よりも自由に、幸せに生きられますように。そう願わずにはいられない。
子供の名前はキルト。元気な男の子だ。念願の後継が産まれたことで、ストランド家も安泰かと言われていた。私は元気に産まれてくれさえすれば正直性別などどちらでも良かったが、女の子の場合私のように無理やり嫁がされることになるかもしれないことを思うと、男の子で良かったのかもしれない。
子供が産まれた後、しばらくの間私と息子は離れで過ごすことになった。産後1ヶ月は医師より夫婦生活を禁じられているのと、屋敷の母屋では夫が仕事をしているため、赤子の泣き声で気を散らさないようにとの名目で一時的に追い出された訳だ。しかし、私にとって夫と頻繁に顔を合わせなくていいというこの状況は何よりも幸運だった。このまま私たちの存在を忘れてくれたらどれだけ良いことか。
「大丈夫。何があってもママが守ってあげるからね。」
そんな独り言のようにポツリと呟いた言葉に反応するかのように、キルトは小さな手で私の指をぎゅうっと握りしめた。