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「――おめでとう。此度の刺繍コンテストの優勝は貴方ね。」
大勢の貴族女性達の視線を浴びながら、私は王妃殿下の前に立っている。以前の私では、とても考えられなかった状況だ。そしてこの後続けられるであろう言葉に、自分の胸がかつて無いほど高鳴っているのがわかる。
「さあさあ、ではソーイングクイーンに輝いたストランド夫人の願いを聞くとしましょう。貴方の願いは何かしら?」
「私の願いは……」
――――
「――おいっ!ルレット!ちゃんと話を聞いているのか!?」
「はい……」
「ちっ……これだから無能は……今日中にこの書類も終わらせておけよ。」
「わかりました……」
今机の上に乱暴に書類を放り投げ部屋を出て行ったのが私の夫、伯爵のダーツ・ストランドだ。何も出会った当初からこの様に粗雑な態度を取られていた訳ではなく、理由は明白にある。その話をするには、私たちがまだ結婚する前、私がただの子爵家の娘だった時まで遡らなければならない。
私の父、ヨーク・シェニールはよく新たな事業に手を出しては失敗して多額の借金を背負い、常に家計は火の車だった。そんな時に目を付けたのが娘の私である。私は父が若い頃メイドに産ませた子供であり、いわゆる婚外子と言うやつだ。メイドだった母は私を産んだ時に亡くなっており、その後父の正妻となった今の義母に育てられた。
当然自分の子供でもない、ましてやメイドが産んだ婚外子など良く思われるはずもなく、特に跡取りとなる弟のタックが産まれてからは酷かったように思う。家では下働き同然の扱いを受けてきたし、父もそれを黙認していた。そんな私に優しくしてくれたのは、母のことを知っている使用人達だけ。私は使用人たちと毎日屋敷の掃除や洗濯、それから針仕事なんかをしながら慎ましやかな日々を過ごしていた。
そんな扱いが変わったのは私が16、7になった頃だろうか。幸か不幸か、一介のメイドながらに父に見初められた母に似た私の容姿は人並み以上だったようで。年頃になり身体も成熟してくると、急に今まで身に纏ったことの無い様なドレスをあつらわれ、行ったことも無い社交界に頻繁に連れ出されるようになった。そんな時に出会ったのが今の夫、ダーツ・ストランドだ。
「こんなに美しい令嬢が1人で見物なんて勿体無い。よろしければ、一曲お付き合い頂けますかな?」
彼は慣れない社交界で壁の花となっていた私に声をかけ、ダンスに誘った。どうやら私の容姿をいたく気に入ったらしく、その後も行く先々のパーティーで顔を合わせたが、その度に声を掛けられダンスに誘われ、そして口説かれた。しかし当時の私は17歳、彼は35歳と10歳以上もの歳の差があったことや、私に恋愛経験が無かったことにもあり、若干の苦手意識を感じながらも毎回なんとか曖昧な返答でやり過ごしていた。
しかし、そんな状況を見ていた私の父が何もしないはずもない。ストランド家は自分たちより爵位も上の伯爵家であり、尚且つ莫大な資産を持っていた。これ以上の相手はいないだろう、と考えたのだ。父は私のあずかり知らぬ間にストランド家と取引をし、我が家の借金を全額肩代わりしてくれることと多額の結納金を交換条件に、嬉々として実の娘である私をダーツ・ストランドの元へと差し出した。そうして結婚という名目の元、私は18歳で事実上ストランド家へと売られていったのだ。
「あぁ、ルレット。これでやっと俺のものになったな。今日からその美貌も身体も全て俺だけのものだ。」
もう逃げようは無かった。貴族である以上、ある程度の政略結婚は仕方がないと言うことは理解している。私は恋も知らぬまま、好きでもないこの人と一生を添い遂げねばならぬのかと思いながら、初めての夜を終えた。
そこからは結婚してしまったものは仕方ないともはや抵抗する気力もなく、全てのことを諦め、出来るだけ夫の機嫌を損ねない様に過ごした。夫は妻である私には優しかったが、執事やメイドを始めとした使用人にはキツイ態度で当たることも多かったからだ。幸にも私のことは大層気に入っているようで、特に私を着飾るためのお金は惜しまなかった。
私は着せ替え人形のように、与えられた最新のドレスを身に纏い、いくつものアクセサリーを身につけて、脚の先まで綺麗に見える様にとヒールの高い靴を履いて過ごした。毎日寝室を共にしなければならないのは辛かったが、幼少期の実家での扱いに比べれば良い生活をさせてもらっているのは事実なので、これも仕方のないことだと思っていた。
そんな私の密かな楽しみは、夫の仕事中に広い庭園を1人で散策すること。しかし見栄えだけの高いヒールではすぐに足が疲れて痛くなってしまうので、時折ベンチに座ってはバレない様に靴を脱いで広い空を見上げながら寛いでいた。
「あっ、すみません……奥様がこちらにいらっしゃるとは知らずに……」
「いえ、謝らないで。私の方こそ、こんな所にいたらお仕事の邪魔になってしまうかしら?」
「そんなことありません…!むしろ仕事が捗るというか……どうぞご自由にお休みになって下さい。」
そんな時に出会ったのが庭師のパイルだ。彼はその当時、ちょうど私より1つ歳上の20歳。歳も近く温和で親しみやすい雰囲気だったため、私たちはすぐに仲良くなった。元より実家での私は使用人達と同じ扱いだったため、格式ばった貴族達との会話より落ち着くというのもあるかもしれない。
「この青い花、なんだか丸くて可愛い。」
「こちらはエリンジウムですね。ドライフラワーにしても綺麗なんですよ。」
「ふーん、詳しいのね。」
「一応、庭師ですので。」
「ふふ、そうよね。じゃあこっちの黄色い花は?」
「それはゴールドコインと言って、花言葉は……」
私はつまらない日常の中で、いつの間にかこうしてパイルと庭の花を見る時間が1番の楽しみになっていた。今思えば、たしかにパイルに対してその当時はほんの少し他とは違う特別な感情を抱いていたかもしれない。しかし私と彼との関係がそれ以上になることは当然のようになかった。