ダンジョン帰りの夜
「……っはぁ」
琥珀色の液体が喉を焼き、思わず雨木は息を漏らした。
そうしてようやく身体と心が落ち着く感覚を取り戻す。
ダンジョンという異空間。
ゴブリンという魔物との戦闘。
そこを抜けて、現代社会へ戻る。
日常に戻ったはずなのに、張り詰めていた感覚は、すぐにはほどけない。
一人でダンジョンに潜る雨木にとって、ダンジョン上がりの焼肉とビールは、
それを鎮める為の儀式のようなものになっていた。
今日は、ゴブリンダンジョンを出た時点で、まだ夕方には少し早い時間だった。
一度自宅へ戻ると、ちょうど大衆焼肉チェーンの口開けに、滑り込める時間になった。
雨木は荷物を置き、そのまま店へ向かってビールを頼んだ。
空になったジョッキが、コト、と音を立てて置かれる。
タイミングよく、サラダとタン塩が運ばれてきた。
ビール、サラダ、タン塩。
ここまでが、体重を気にする雨木の、焼肉屋での定番の流れだ。
もっとも、気にするのは序盤だけだ。
焼肉屋での雨木は大概、羽目を外してしまう。
だが、それもまた儀式の一つなのだと、そう割り切るようにしている。
サラダを口に運びながら、トングでタン塩を七輪の上の網に並べていく。
ガスと違い、肉の脂が炭へ落ちる。
立ち上る煙と匂いが食欲を刺激する。
七輪ならではのその感じを、雨木は好んでいた。
タン塩を焼きながら、タブレット端末で追加注文を行う。
(ん~~、考えたいことあるし。
あんまり手のかからない感じが良いな……)
そう考えた雨木は、赤身で、なるべく厚めの肉を選ぶことにした。
ゴブリンダンジョンのあとは焼肉屋に行く。
それが雨木のルーティーン、いつもの流れだ。
だが今日は、いつもと違うことがあった。
(ふー、これ、どうすっかな……)
胸ポケットに入っている、折りたたまれた紙をちらりと見る。
ダンジョンから帰ろうとした時に、女性警察官に渡された手紙だ。
字面からして、おそらく急いで書いたメモのような伝言。
そこには連絡先と、書いた経緯、連絡が欲しいことが記されていた。
(小鳥遊日向さん……二十二歳ね。
当時は十二歳くらいか……正直、覚えてねぇな……)
空手に打ち込んでいた十年前、何度か会ったことがあるらしい。
雨木は、何もしなくても周囲に怖がられ、距離を置かれるタイプだ。
自分でも自覚はある。
だが、あっちの世界ではそうでもない。
もっと鬼のように怖い存在もいれば、漫画みたいにデフォルメされた体型の選手がいたりする。
強い男は、もれなくゴツくて無骨だった。
そんな世界なのだ。
(……黒騎士とか、ブラックナイトとか呼ばれて。
今じゃ完全に黒歴史だけどな、ったく)
そんな、戦う男の世界の中で、雨木はどうもビジュアルが良い方だったらしく、
妙な字名を付けられ、マスコミにも幾度か取り上げられた。
道場関係者はそれを歓迎し、……今思えばかなり煽っていた。
持ち上げられたことを、随分あとになって後悔もした。
(随分ガキに群がられたもんな。外側しか見てないキッズたちに。
……あの中のどれか、だったってわけだ)
空手をやっていたこと自体に、後悔はない。
だが、黒騎士などと呼ばれた黒歴史や、それ以上にやらかした最後の試合。
そして、その後の辞め方。
決して、良い思い出ばかりではない。
そのことを、どの程度まで知っているのかは分からない。
だが、あの頃の自分を知っている人間が、今さら何の用かと、考えてしまう。
(空手関係者とは……あんまり良い人間関係を築けなかったからな。
正直、面倒くさいが先に立つ。
……あー、これはあんまり良くない思考だな)
頭を軽く振り、思考をリセットする。
二杯目のビールを飲み干し、次の酒の注文に移る。
(今日はハイボールにしようかな。
……注文ついでに、一旦切り替えて考えるか。
空手関係者、ではあったけど――今は警察関係者、か)
タブレット端末での注文を終えると、先に頼んでいた肉が運ばれてくる。
店員は皿を置き、空いたジョッキを回収して戻っていく。
チェーン店らしい、淡々とした対応。
だが今の雨木には、それくらいの距離感がちょうどよかった。
(ふふっ……警察関係者からの連絡、とか。笑える響きだな。
……なんか、やらかしたみたいじゃねぇか)
とはいえ、そんな感じの手紙ではない。
急いで書いたことは伝わるが、女の子らしい丸い字で、どこか柔らかい文面だった。
相手の容姿も、一見では空手をやっていたとは思えなかった。
警察官でなければ。
その制服を着ていなければ。
手紙を渡されたことで、雨木の胸が弾んだかもしれない。
背は低く、細身で、可愛らしい印象の女性だった。
そしてそれは、どこかコメットという――
今、苦手としている女性冒険者を思い出させた。
(熊澤さんに、このことは知ってるのか聞いてみるか?
……いや、だったらこそこそと、メモみたいな手紙は渡さないよな?
……内緒で俺に伝えたいことがある?
流石にそれは、俺に都合が良すぎる考え方だろうよ……)
背が高く、大人の女性らしい雰囲気の熊澤と、
手紙を渡してきた小鳥遊日向は真逆のタイプだった。
それが勝手に、雨木の警戒心を煽る。
新しく運ばれてきたハイボールを飲みながら、焼肉を口に運ぶ。
飲んでは頼み、食べては頼み。
時間はあっという間に過ぎ、空いていた周囲の席は、
仕事帰りのサラリーマンと、小さな子供連れの家族で埋まっていた。
(……帰るか。
稼ぎ時に、おひとりさまが席を占領してるのも悪い)
まだ食べられる。
だが、座ったのは四人掛けの席だった。
いつまでも一人で居座るのも悪い気がして、切り上げることにした。
会計を済ませて店を出る。
七月の夜はうだるように暑く、すぐに汗がにじみ出てくる。
代謝の良い雨木は、すぐに汗だくになるだろうと思った。
(今夜も熱帯夜だな。
この分なら、すぐに酒は抜けそうだし……少し歩くか)
帰るだけなら、雨木の家はすぐそこだ。
駅近くのマンションに住んでいる利点だろう。
だが、どうせ汗をかけばまたシャワーを浴びることになる。
ダンジョンを出た時、一度浴びているというのに。
なら、思い切り汗をかいてから帰るのも同じだった。
普段通らない道を歩きながら、雨木は考える。
手紙を渡してきた小鳥遊日向のこと。
そして、担当警察官である熊澤のことを。
(……んー、とりあえず、一回連絡してみるか。
結局のところ、他人の気持ちや事情なんて、考えても正確には分かんねーしな)
連絡をするだけなら、大きな問題にはならないだろう。
そう割り切ることにした。
小さな問題はいくつもある。
空手関係者と、今さら関わりたくないという不愉快さ。
そして、担当である熊澤に不信感を抱かれる可能性。
(でもゴブリンダンジョンに、もう一人くらい話ができる相手がいた方がいい。
……そう思ってる自分もいるからな~)
その担当の熊澤に対して、わずかな不信感を覚えている自分もいた。
とはいえ、いきなり電話をかける気にも雨木はなれなかった。
ならばとりあえず、チャットアプリで反応を見ることにした。
イージス端末を取り出し、専用アプリではなく、一般的なチャットアプリを立ち上げる。
胸元の紙のメモを開き、そこに書かれたIDへ連絡を入れる。
……すると、すぐに返事が返ってきた。
その速さに少し面食らいながらも、雨木は返信を打つ。
そのせいで――
家に帰る頃には、すっかり身体からアルコールは抜けきっていた。
※本作は作者による構成・執筆を基に、一部AIを補助的に利用しています。
しばらくは週末(土日0時)更新を目標に進めていきます。
難しい週もあるかと思いますが、引き続きよろしくお願いいたします。




