高級料亭にて①
高級料亭の静かな廊下を、案内されて雨木は進む。
女将風の女性従業員が襖を開けると、その奥にはすでに美濃原がいた。
手酌で日本酒を注ぎ、ひと口含んでいたところだったが、雨木の姿を見ると杯を置いた。
「早かったな」
「そっちこそね。こういう店で飲むのは初めてだから、念のため早めに来たんだけど、余計だったか」
「気にするな。俺も酒は好きだ。
だがダンジョンがある限り、俺の仕事は終わらん。こういう機会でもなければ、息抜きも出来ないからな。
少し飲みたかっただけだ。……まずは座れ。飲めるんだろう?」
美濃原はそう言って、向かいの席に置かれたお猪口を見やり、お銚子を差し出してきた。
雨木は腰を下ろし、「いただきます」と軽く言って杯を受ける。
そして返杯し、互いに一息で飲み干した。
喉に流れ込む日本酒の感触が、場の緊張を少しだけ緩める。
ゴブリンダンジョン五階層のボス部屋を攻略した後も、雨木は単独でゴブリンキャプテンへのダイブを続けていた。
その最中に、美濃原の提案を受け入れる決断をしている。
個人の力に限界があることは、雨木自身が一番よく分かっていた。
どれだけ突っぱねようとしても、冒険者稼業を続ける以上、ダンジョン省の干渉を完全に避けることは出来ない。
それなら、知らない誰かに上から命じられるより、わざわざ会いに来た美濃原という男との接点を大事にした方がましだと考えた。
月が替わって七月。
冒険者としての税務申告のやり方を調べる必要が生じた雨木は、その用事にかこつけて美濃原にアポを取った。
「せっかくだし、高い飯でも奢ってよ。酒でも飲みながら、腹を割って話そう」
そんな身も蓋もない誘いを、美濃原は笑って受け、この席を用意したのだった。
運ばれてくる美しい和食のコース料理に舌鼓を打ちながら、二人はとりとめのない話をする。
やがて話題は雨木の前職へと移り、エネルギー関連の担当だったということで少し盛り上がった。
それを受けて、美濃原も自分の仕事の話を振る。
まだ互いに深くは踏み込まないが、相手の輪郭を探るようなやり取りが続いた。
やがて話題は、自然とダンジョン関連へと移っていく。
雨木の予想に反して、美濃原は饒舌だった。
そのことに、雨木は少し驚かされる。
ダンジョン省が出来た当初の話。
実はダンジョンが十年以上前から発見されていたこと。
正確には、深淵十二紋の前身である残照八座が、ダンジョン省を快く思っていないこと。
そして、残照八座がどのようにして深淵十二紋へと変わっていったのか。
それらの話は、あまり他言するなと釘を刺されたが、厳密な緘口令というわけではないらしい。
特に、冒険者の旧アイコンとも言える残照八座――
その八つのグループの系統に属する者であれば、ダンジョン省との確執は割と知られているのだという。
雨木自身は、深淵十二紋にも興味はなく、ダンジョン省に忠誠を誓うつもりもない。
だから話の中身そのものには、さほど執着はなかった。
だが聞いている分には十分に面白く、酒の肴としては悪くない。
もちろん、深淵十二紋の序列第三位――六星勇団に睨まれる可能性も、頭の片隅には置いたままだったが。
座敷のテーブルの上では、料理は追加分まできれいに片付き、
空になった日本酒のお銚子がいくつも並んでいる。
よく飲み、よく食べる雨木の様子に、美濃原はまた少し好感を持ち、
それにつられるように、自分もまたよく飲み、よく食べた。
美濃原は従業員を呼び、テーブルの上を一度片づけさせる。
そして鞄から一冊のノートを取り出し、雨木の方へ滑らせた。
「先にこれを返しておく。参考になった」
それは、雨木がダンジョン省について美濃原にするつもりだった提案を、思いついた端から書き溜めていたノートだった。
勉強の合間に、ジム帰りに、食事中に。
浮かんだ考えをそのまま書きなぐった、家にあった余り物の大学ノート。
アポを取ったのはある程度まとめてからだったが、
「それを見た方が早そうだ」と言われて美濃原に持っていかれた代物だ。
それが今、雨木の手元へと戻ってきた。
続いて美濃原は、鞄からもう一つ書類の束を取り出す。
赤字で書き込みが入ったそれは、雨木のノートのコピーだ。
先生に採点されたみたいで、なんとなく居心地が悪い雨木だった。
「殴り書きだったんだけどね」
「気にするな。冒険者側の、フィルターを通していない意見を一度見たかっただけだ。
今後も好きに書け。そして、見せてくれ」
「えー……」
美濃原は五十近い歳だ。そして雨木は三十を過ぎた男。
おっさんとおっさんが交換日記をしているみたいで嫌だな、と雨木は思う。
とはいえ、ここまで細かく目を通してくれたこと自体は、悪い気分ではなかった。
「最初だからいっぱい書いたけどさ。この先は、そうポンポン出てこないと思うよ。
でも、やるなら俺にもコピーをくれ。
それ見ながら話した方が、どう考えても早いだろ」
雨木の言葉に、美濃原は「それもそうだな」と頷く。
そして従業員を呼び、手元の書類のコピーを頼んだ。
至れり尽くせりだなと少し呆れつつも、雨木は内心で小さく驚いていた。
「そういえばさ。取引停止になってるモンスターカードのところを読んだんだけど。
あれって本当に呪われるの?」
「興味があるのか?」
「そりゃーね。何をしたら取引停止なんて扱いになるのか気にもなるさ。
その理由が呪いって書いてあったら、なおさらだよ」
コピーが終わるまでの時間潰しだったが、もともと聞いてみたい話題でもあった。
先日、雨木はモンスターカードを手に入れた。
その事実までは明かすつもりはないが、調べてみると取引停止の理由は異様だった。
「……そうとしか言い切れないみたいだからな」
「モンスターカードを売った側の、その残ったスキルカードが呪いで消滅する、だっけ。
正直、眉唾なんだけど」
「それがな……本当なんだ。
モンスターカードの取引は、一度もまともに成立したことがない」
「え?」
「売れたはずのカードが、機能した例が一つもない。
持っていたこと自体は間違いない。仲間も、周囲も、そう証言している。
売った側も、本物だと言い切る。
ウチの職員もカード名を確認した。
その上で取引が行われ、受け取った側も確かに見た。
……だが、取引後には必ず無地のカードになっている。
何も起こらない。
そのカードを、売った側に戻しても、無地のままだ」
「ちょっと何言ってるか分からないんだけど?
俺の理解力が死んだのか?」
「その場を見ないと分かりにくいだろうな。
ちょうど残照八座が深淵十二紋に変わる頃だった。
モンスターカードを持つ冒険者が、何人も引退を考え始めた」
雨木の脳裏に、少し前に聞いた話が思い浮かぶ。
残照八座――かつての冒険者のアイコン。上位八組の冒険者チーム。
それが政治家の息子の暗躍で、深淵十二紋へと再編された。
スポンサーとマスコミの意を汲んだ四紋が追加され、勢力図が塗り替えられた。
その息子は少し前まで、ダンジョン省次期省長候補の最有力だったという。
「……なるほど。嫌気がさして金に替えて引退しようとしたわけか」
「身も蓋もないが、そういうことだ。
だが取引はどれも成立しなかった。
モンスターカードや職業カードは、単体のスキルカードより数倍強い。
欲しがる奴はいくらでもいる」
雨木は内心で「やっぱりな」と思いながら、
気のない顔で「そうなんだ」と返す。
お銚子を手に取り、少し苦い表情の美濃原に差し出した。
「取引成立までは、間違いなくモンスターカードだった。
双方の仲間も、ウチの職員も確認している。
だが取引が終わると、ただの無地のカードになる。
元の持ち主が《レコルド》に入れても、もう戻らない。
売った側の《レコルド》に、残したカードも無地に変えてな。
売って、優雅な引退生活を夢見た先輩冒険者。
金で、その力を手に入れようとした後輩冒険者。
結果的に、どちらにも恨まれただけの取引だった」
「……それは、キツい」
雨木は思わずそう呟いた。
美濃原は、苦々しい顔で盃をあおる。
「忠告しておく。
その手の話を持ち込まれても、絶対に乗るな」
※本作は作者による構成・執筆を基に、一部AIを補助利用しています。




