研修と境界
ダンジョンの出入口であるポータルは、少し拓けた広場のような空間にあった。
ポータルを囲むように、仮設のコンテナハウスを改造した管理設備がいくつか並んでいる。
ポータルの左右には小銃を携えた自衛官が立ち、広場の隅には簡易ベンチが設置されている。
雨木楓真はそこに腰を下ろし、静かに待機していた。
「珍しい物を持っているな? それは使えるのか?」
声を掛けてきたのは自衛官の矢又だ。
スキンヘッドに鋭い目、感情をほとんど表に出さない。
彼は今日のダンジョン研修における随伴員の一人だった。
雨木は顔を上げ、手にしていた木製のトンファーを軽く回して答える。
「カンフー映画みたいに、って言われたら無理ですね。使えません。
でも振り回すだけなら出来ます。なので使えるって言えば使えますよ。
昔、空手をやってた時にちょっと教わったくらいですけどね」
そう言って立ち上がり、軽く振って見せる。
自己申告の“ただ振るだけ”よりも遥かに様になっていて、矢又の目が細く動いた。
「おっ、良い動きだな。経歴に空手ってあったのは見たが、そういうのの専門だったのかい?」
隣で笑う声があがった。
声の主は鏑木――駐屯地では“カブ”で通る男だ。
やや長めの髪の下には古い傷が隠れており、背は低いが眼光は獣じみて鋭い。
彼もまた、本日の随伴員の一人。
この研修には通常、自衛官二名と警察官一名が付く。
本日は平日の午前十時、参加者は雨木ひとりだった。
「いや、普通のフルコンの空手でしたよ。ただ、通ってた道場の先輩に、こういうのが好きな人がいて、一通り教わったんです。
慣れてる奴が一番かなって思って持ってきました。
ま、正直に言うと、本当は剣とか槍とか欲しかったんですけどね。手に入らなかったんで」
ダンジョン入場資格――通称“冒険者資格”を取得するにあたり、雨木は装備を揃えようと考えていた。
だが現実には、銃刀法という高い壁が立ちはだかる。
日本でもダンジョンが出現し、冒険者という職業が社会に定着して三年。
それでも法改正までは進んでおらず、刃物は包丁まで。刀剣は未だ美術品扱い。
ネットで検索すれば“冒険用武具”を扱う店も出てくるが、どうにも胡散臭い。
結局、雨木は身近なホームセンターで使えそうな物を買い集めることにした。
作業服に安全靴、バール。
腰には、バールとトンファーを収められるように改造した工具用のポーチ。
そして、昔使っていた木製のトンファーを一対。
どれも冒険者になれなくても使える物ばかりだが、それが逆に安心だった。
見た目は冒険者というより、現場に出る作業員に近い。
「ははっ、その辺は仕方がないさ。とはいえ今日はあくまで研修だからな。
アマギ――あんたは今日は手を出さないでくれよ? 万が一、魔物が現れたら、こいつ、カブが処理するから」
「おい、俺だけに押し付けんな! てめぇも働けヤマタ!」
鏑木が肩をすくめ、続けて雨木を見た。
「とはいえ、その通りだぜアマギ。今日は戦闘よりも、ダンジョンで動けるか、それを確認しに入るだけだ。
問題なければ十分もあれば終わる。武器や防具を考えるのは、資格を取ってからでいい」
雨木は小さく頷く。
確かに、そうだと自分でも思っていた。
――試験に落ちれば、全ては無駄になるのだから。
ダンジョン入場資格。通称“冒険者資格”。
公表されている合格率は三割に迫る。
国家資格だが、その内容は殆どが非公開。
そして何より、再試験が存在しない。
一度落ちれば、その時点で道は閉ざされる。
だからこそ、雨木は装備への投資を渋った。
美術品扱いの日本刀なら買えなくもなかったが、もし不合格なら――
ただの無駄遣いになる。
当初は高揚もあり、刀を携えてダンジョンに入る自分を想像したが、数字を見た途端頭が冷えた。
彼は改めて思い返す。
この研修――という名の第一次試験の内容を。
試験名は“空間酔い適性検査”。
唯一公表されている試験内容であり、世間ではその名だけがひとり歩きしている。
ダンジョンとは、世界各地に生まれた空間の裂け目であり、通り抜けることで別位相の世界へ移動する。
それはつまり、地球の法則が通用しない場所に身を置くということ。
だから、向き不向きがでる。
“空間酔い”。
それは完全に体質によるもので、起きる者は必ず起きる。
しかも一度発症すれば、ダンジョンにいる間、症状は治らない。
外に出れば即座に回復するが、内では延々と続く。
めまい、吐き気、意識の混濁――まるで自分の体が他人のものになったような不快感。
努力では克服できない。運次第。
もし自分がその体質なら、その瞬間に人生設計をやり直すしかない。
だからこそ、雨木は日本刀を買うことをやめた。
結果がどうであれ、戻るまでは“何も持たない”方がいい。
今日の研修が終わるまでは、何も決めない。
(落ちたら、それまで。受かったら、その時考えよう)
そう腹を括り、彼は手の中のトンファーを軽く握り直した。
装備の最終確認を終えた頃、新しい足音が近づいてくる。
案内役の女性警察官、熊澤が書類を手に現れ、三人へ視線を向けた。
「準備が整いました。ポータル前へ移動します」
矢又と鏑木が短く頷き、雨木も立ち上がった。
熊澤を先頭に、三人は無言のままポータルへと向かう。
歩みを進めるたび、空気がわずかに冷たくなっていく。
その中心に、鈍く揺らめく裂け目があった。
「じゃ、先に入って確認してくる」
矢又が短く告げ、鏑木が頷く。
それぞれが腰の装備を点検し、銃火器を警備担当に預けると、ポータルの方へ歩き出した。
内部では火薬式の武器は作動せず、電子機器も一切使えない――それがこの空間――ダンジョンの常識だ。
互いに目配せを交わし、一人が、次いで一人が、銀の靄へと足を踏み入れる。
音もなく、痕跡もなく、ただ入口の裂け目だけが残った。
その瞬間、空気がわずかに変わる。
現実感が、ようやく追いついてくる。
「……中の安全が確認できたら入ります。準備をお願いします」
案内役の女性警察官――熊澤が振り返って告げる。
背の高い女性で、制服の線が真っすぐに落ちる。派手さはないが、真面目そうな美人だった。
その静かな佇まいが、雨木の印象に残った。
熊澤は短く状況を確認し、雨木をポータル前へと誘導する。
靄の縁まで進むと、ちょうどその中から矢又が戻ってきた。
「クマ、安全確保。問題なし」
短い報告に、熊澤――通称クマは頷き、雨木へ視線を向ける。
「雨木さん、準備はよろしいですか。ではポータルへ」
静かな言葉に、雨木は息を吐いた。
いよいよだ。
鈍色の靄が揺れ、境界が呼吸するように波打っている。
何が待っているのかは分からない。
だが、踏み出さなければ何も始まらない。
息を整え、手にしたトンファーの感触を確かめる。
そのまま一歩、靄の中へ足を踏み入れた。
※本作は作者による構成・執筆を基に、一部AIを利用して調整しています。




