弱さを見せる夜、距離を測る夜
雨木とコメットの会話は、細い糸を指でつまんだように続いていた。
切れるほど弱くもないが、弾力があるわけでもない。
店内の照明は琥珀色の輪郭を落とし、テーブルに沈んだ酒の匂いが微かに揺れていた。
コメットがちらりと時計を確認する。
その仕草に、帰り支度の気配を感じ取った雨木は、さりげなく言葉を向けた。
「あぁ、先に帰ってもらって大丈夫ですよ。余裕ないって言ってたし、ここの会計は私が持ちますよ。また肉ダンジョンの予約が取れたら連絡しますね」
「えっ? アマギはんは帰らへんの?」
「自分は超ブラックな、クソ仕事辞めて冒険者になったもんで、今は人生楽しみたいんですよ。
飲み屋をハシゴとか久しくしてなかったんで、今日はちょっと飲もうと思ってるんです。
近くのホテル取ってますんで。こっちは気にしないでください」
その一言に、コメットの表情が一瞬だけ止まった。
だが雨木はそれに気づかず、スマホ端末で次に行こうと思っている店の情報を見ていた。
二人の家は肉ダンジョンを挟んで逆方向。
今回は雨木がコメットの家の近くまで出向いた形になる。
もちろん純粋な善意だけではない。
言葉通りに命の休息として、今日は飲んだくれるつもりだ。
(別にそんな日があっても良いだろ?)と雨木は思ってる。
「・・・・・・・出来たらお言葉に甘えてもええ? 実は今月、家賃も厳しいんよ」
だがその言葉のあとも、コメットが席を立つことはなかった。
代わりに、愚痴が糸を引くようにこぼれ始めた。
高校を卒業して京都から東京へ出てきて、フレンチの専門学校に通ったこと。
そして第一志望だった都内のフレンチレストランに就職したこと。
だが待っていたのは、安月給と先輩料理人たちの露骨なセクハラ。
それでも“料理が好き”の一心で踏ん張っていたこと。
それが昨年、新卒の女性の後輩が入ってきたことで変わった。
その子が半年もせず料理長の愛人となり、コメットの上に立つようになった。
理不尽さに耐えきれず、昨年末に辞めたこと。
そこからは短期バイトで何とか生活をつないでいたこと。
「そんでな、冒険者なら上手く行けば稼げる聞いてな。そしたら自分の店を出せるやんか。頑張ってみよう、思ったんよ」
雨木は「帰らないのか」という本音を胸に押し込んで、相槌を続けていた。
自分のブラック勤務の記憶と重なるところがあったからかもしれない。
コメットは酔いが回り、口数が増え、警戒が溶けていた。
外見は“ぽやん”とした癒し系だが、セクハラされる程度には可愛いし、
雨木の好みにも寄っている。
(とはいえ、冒険者仲間としては微妙だからなぁ……)
現在の雨木が知る冒険者は四名。
タカオとレオニスという、働かない大学生の二人。
目の前のコメット。
そしてカナタだ。
この中で親しくなるならカナタだと雨木は思っている。
接点は一度きりだが、歳が同じという理由もあって話しやすかった。
協力して戦った経緯もあり、ある程度の信頼もある。
付き合いはまだ短いが、互いに呼び捨てで呼び合える相手はカナタだけだ。
(まぁ他に冒険者の知り合いがいないってのもあるけど。
口だけで動かなかった連中と違って、あいつは有望だと思うんだよな。体格も良いし、前に出る度胸もある)
と考えながら、目の前の──あのとき震えていただけの女性を見る。
(度胸とは無縁の存在だもんな。結局この人の包丁、一度も働いてないし)
そんな雨木の内心をよそに、酔いの回ったコメットは自分の店の話を語り始めた。
今話題のダンジョン食材を、自力で調達して提供する店。
実現すれば、確かに繁盛しそうではある。
(肝心なのは“どうやって調達するか”なんだけどな。
ま、そこを語らないあたり、自分が戦えないって自覚はあるんだろ)
雨木は突っ込まない。酒場では酔っぱらいこそが最強だからだ。
金の話は、雨木も嫌いではない。
絵に描いた餅は、食べられないからこそ美味そうに見える。
それから一時間ほどして——
「ウチ、東京出てきて、自分のことこんなに喋ったん初めてやな」
ひとりで話し続けたコメットは、満足げにそう言った。
(いや、ほぼ一人で喋ってたよね)
と雨木は内心でつぶやく。
だが表には出さず、軽く笑って返す。
「それは光栄です」
「怒りだしたときは怖かったんやけどなー。それまでは気ぃつかってくれてたやろ? 悪い人やない思うたんよ。勇気出して連絡して良かったわ」
(あー、俺が気ぃ使ってるの分かってて、多数決で残るを選んだのか。その辺はあざといな)
(1、2階層でも俺とカナタが走りだしたら、すぐ自分は速度緩めてたしな。実際足は遅いし、追いつかないだろうけどさ。どこまで信用していいかは怪しいとこだ)
と雨木は思ったが、それも言葉にはしない。
駆け出し冒険者の雨木としては、同業者との縁を簡単には切れない。
“相互”の約束も残っている。
「主催者は大変そうでしたしね。今回は本当にお疲れさまでした。次はもっと上手くやりましょう」
そう言ってグラスを持ち上げる。
雨木としては、そろそろこの席は切り上げたい。
コメットとの話は早めに終わらせて、予定では一人で次の店に移動しているはずだった。
行きたい店も調べてある。
むろん今いる店より客単価の高い店だ。
そこまでコメットに奢るつもりはない。
だがコメットは、帰る気配を見せない。
テーブルには、雨木が頼んでいない皿が増えていた。
コメットが追加で注文したのだろう。
見た目はほんわかとした癒し系のコメットだが、なかなか世慣れている。
さすが京女、ちゃっかりしてんなと雨木は思う。
上手く切り上げられなかった自分を悔やみつつ、雨木は仕方なく、とりとめのない話題に付き合った。
しばらく話に付き合っていると、コメットの様子が変わる。
もじもじと、視線が揺れている。
「……部屋を取ってたとか、最初からその気だったん? ウチ、相談だけのつもりだったんやけど」
「いや、ビジホのシングルですよ。二人で使う想定じゃないです」
否定するが、酔った耳には届いていない。
「ウチな、こういうの久しぶりなんよ。高校の時の彼氏は卒業後、遠距離で駄目になってもうたし、専門学校の時の彼氏も就職したら自然消滅してしもてな」
「いや、聞いてないんですけど? すいません、個人情報流すのやめてもらえますか?」
「んん、ウチそんな軽い女じゃないんよ。でもアマギはんなら、……行ってもええかなって。でもするんなら、ちゃんとお付き合いの形でないと嫌なんよ?」
「あー、この人、マジ、話、聞いてねぇしー」
結局、誤解を解くのにその後一時間もかかり、雨木ははしご酒が出来ず、コメットは気まずそうに帰っていった。
※本作は作者による構成・執筆を基に、一部AIを利用して調整しています。




