三階層の異形
階段を降りると、空気が変わった。
苔の匂いは濃くなり、通路のあちこちに黒ずんだ穴が口を開けている。
ダンジョンは二階層から罠が現れるという。
ゴブリンダンジョンの罠は、落とし穴のようだ。
といっても、深さはせいぜい一段差ほど。
(落とし穴だけで大惨事にはならない。
だが、足を取られたら、それが命取りになりかねない。気を引き締めよう)
二階層に現れるゴブリンも、変わらず素手のままだった。
飛び出してくる一匹を、雨木はトンファーで弾き飛ばし、バールで叩き潰す。
一階層のときよりも動きが鋭く、反応が冴えてきていた。
「……順調だな」
壁際に寄りかかった雨木は、作業服の懐からメモ帳を取り出して開いた。
通路の分岐と目印を、簡単に書き留める。
後で戻る時や、次に潜る時のための記録だ。ここまでも何度も繰り返している。
こういった地味な作業を面倒くさがり、ミスに繋げた人間を、雨木は前職で何人も見てきた。
自分自身でも、過去に幾度か経験している。
冒険者としてのミスは命に直結する。
疎かにはできない。
メモをしまい、深く息を吐いて、また進む。
足元に気をつけながら進めば、二階層も一階層と同じ要領で踏破できた。
何匹かを倒した頃、石段が再び現れる。
湿った風が吹き上がり、雨木は口角をわずかに上げた。
「……もう三階層か。今日は良い感じだ。戻って、また来るってのも面倒くさい。行くか、この勢いで」
死んだら俺は、そこまでの男だった。
そう割り切って、雨木は階段を下りた。
◆
三階層の空気は、さらに重かった。
胸の奥をざわつかせる冷たさが漂い、湿気だけでなく空気そのものが微かに震えているようだった。
だが、やることは変わらない。
曲がり角の手前で立ち止まり、作業服の上着をバールに引っ掛ける。
角の向こうへ、そっと差し入れた。
――ガツンッ。
闇の奥から影が飛び出してくる。
ゴブリンだ。それは変わらない。
だが、ひとつ大きく変わったところがあった。
無手ではなく、握っているのは粗末な木の棍棒。
布を弾いた一撃が、石床を叩き、鈍い音を響かせた。
武器を持った分だけ、見た目の迫力は増していた。
だが棍棒は、何の変哲もないただの棒で、雨木は脅威とまでは捉えない。
体勢を崩した影へ即座に踏み込み、トンファーを薙いだ。
骨の感触が腕に伝わり、ゴブリンは壁際へ弾け飛ぶ。
それでもまだ、よろよろと立ち上がり、必死に棍棒を振り上げる。
「ふむ、昔、なんかであったな。
『武器を持つことが、必ずしも強くなることとは限らない。選択肢を減らすだけのこともある』って奴、それを思い出した」
雨木はゴブリンよりも高く、バールを構える。
――グシャリ。
そして、ゴブリンよりも早く全体重を乗せて振り下ろした。
飛び散った赤が光に呑まれ、影が霧散する。
手にしていた棍棒も、同じ光に飲まれて消えた。
「正直、爪とか牙のが怖かった」
吐き捨てるように言い、雨木は静かに呼吸を整える。
棍棒を握ったことで奴らの動きは単調になった。
型に嵌まった分だけ読みやすい。
むしろ、一階層より楽に感じる。
魔石を拾い、ポーチに収めながら雨木は進む。
角ごとにメモを取る所作は崩さない。
◆
これまでと変わらない、石造りの部屋だった。
ただ、壁の一角にだけ、一本の蠟燭が掛かっている。
「ん? ロウソク?」
ダンジョンの中は、一部の石が光を放つだけで、どこも薄暗い。
ここまでに、そんな物はなかった。
珍しいな、と雨木は思う。
それはイコール、胡散臭い、だ。
そして、だからといって避けて通る男でもない。
警戒しながら、ゆっくりと近づく。
――カタンッ。
いくらか近づいた瞬間、蠟燭が音を立てて外れ、床へ落ちた。
火は消えず、赤い光を撒き散らしながら、まるで蠢くように広がっていく。
蠟燭は踊るように揺れ、また揺れて踊った。
動きは徐々に小さくなり、やがてストンと直立する。
次の瞬間――そこから何かが“生えた”。
煤にまみれた小柄な影が、ゆっくりと地面を押し割るように立ち上がる。
赤い炎の光が、その輪郭を不気味に照らす。
頭上の炎は冠のように揺れ、燃える蠟燭が突き刺さっていた。
《三階層には一匹だけ特殊な魔物が出る》
掲示板で読んだ断片的な情報が、脳裏をかすめる。
「……蠟燭ゴブリン、か。まんまだな。が、ひねる間もねぇ」
苦笑まじりの呟きが、湿気の中に溶けた。
だが、すぐに息を詰め、トンファーを握り直す。
踏み出そうとしたその瞬間、奥の通路の闇から二つの影が飛び出した。
棍棒を構えたゴブリンが、二匹、駆けてくる。
「ちっ、仮にもボスの癖に……サシで勝負できねぇのか。セコイんだよ」
舌打ちしながら位置を測る。
中央に蠟燭ゴブリン。
その左右に、棍棒を構えた二匹のゴブリンが収まる。
三対一。真正面からの囲みだった。
「……なら、先に消えてろ!!」
雨木はバールを逆手に握り、狙いを定める。
そのまま鉄の塊は、一直線に飛んだ。
――ガンッ。
右側のゴブリンの肩口に、バールの先端がめり込み、悲鳴が上がる。
棍棒が床に落ち、体勢が崩れた。
「まず一つ!」
残るは正面と左側。
雨木は腰のホルダーからもう一本のトンファーを抜き、両手に構える。
左から振り下ろされる棍棒。
雨木はそれを左手のトンファーで受け止めた。
衝撃が腕に響くが、すぐに弾き返す。
すかさず右手のトンファーを振り抜き、敵の頭を叩く。
――ガギッ。
乾いた音。ゴブリンがぐらりと揺れ、動きが止まる。
雨木は振り抜いた右のトンファーを、左手のトンファーに打ちつける。
その衝撃を軸に腰を切り、裏拳の要領で振り回す。
崩れかけたゴブリンの逆頭部を、横から弾き飛ばした。
「残念。バールは素人、振るうだけ。こっちなら技量を持って振り回せる」
だが、左のトンファーで追撃しようとした雨木は、正面の蠟燭ゴブリンを視界にとらえた。
頭上の炎を大きく揺らして、構えていた。
次の瞬間、炎がちぎれ飛ぶ。
小さな火の塊が、一直線に雨木へと迫る。
火球というほど整ったものではない。
だが、燃えた石炭を投げつけられたような熱と閃光が襲いかかる。
「……ヤバ」
咄嗟に身を捻り、石床すれすれで躱す。
――ゴォンッ。
火の塊が壁に直撃し、赤い火花が散った。
火花が弾け、視界が一瞬だけ白む。
かすめた熱気に、焦げた臭いが混じった。
「なんだそれ? 無茶苦茶だぞ? くそがっ!」
雨木は歯を食いしばり、トンファーを構え直す。
火を操る敵――未知の魔法。
ここからが、本番だ。
※本作は作者による構成・執筆を基に、一部AIを利用して調整しています。




