卵殻の兵器
ゴブリンは待ち伏せが常套だ。
曲がり角、影、崩れかけた壁。
そういう場所に潜み、飛びかかってくる。
雨木は前回、それを食らって動きが止まった。
二度と同じ無様は許さない。
「なら、先に突っ込ませりゃいい」
雨木は買ったばかりの作業服の上着を脱ぎ、バールの先に引っ掛けた。
角を曲がる前に突き出せば、一瞬だけ人の肩や頭に見えるはずだ。
疑似餌。
緊張状態なのはお互い様だ。
こちらが必死なら、向こうもまた必死。
そしてその緊張が、視界を狭く、鈍くさせる。
囮に食いついた瞬間、叩き潰す。
息を殺し、上着を揺らしながら曲がり角へ差し入れた。
――ガッ。
影の奥から飛びかかる爪が、まだ新しい布を裂いた。狙い通り。
その動きに合わせ、雨木は横合いから踏み込み、左腕を回した。
トンファーが手のひらの中で回転し、横に薙ぐ。
――ガギッ。
骨の軋む感触が左腕に返り、ゴブリンの体は石床を転がった。
すぐにバールを振って上着を外し、高く振りかぶる。
転がった影が起き上がるより早く、体重を乗せて振り下ろした。
――グシャリ。
湿った音と共に痙攣が止まり、光に呑まれて消える。
残されたのは、鈍く光る小さな魔石ひとつ。
雨木はそれを拾い上げ、ポーチへ収める。
「……よし、次だ」
◆
囮を罠に、トンファーとバールで何匹も仕留めるうちに、動きが落ち着いてきた。
初回の挑戦よりも息が整い、足も軽い。
慣れと工夫で効率が変わるのを実感する。
気づけば、すでに十匹近くを倒していた。
「……そろそろ、アレを試してみるか」
雨木がポーチから取り出したのは、小さな卵殻だった。
生卵に穴を開けて中身を抜き、乾かしたあと、
小麦粉、胡椒、七味唐辛子を詰めた即席の目潰し兵器。
もちろん、一種類ではない。
小麦粉・胡椒・七味を三等分で混ぜた“基準ブレンド”。
胡椒を多めにしたもの。
唐辛子を主体にしたもの。
さらに小麦粉だけを詰め、視界を塞ぐ狙いのものもある。
作っている姿を思い返すと、雨木は我ながら滑稽だったと思う。
新聞紙を敷いたキッチンに卵を並べ、計量スプーンで粉を配合する。
三十を過ぎた男が夜中に卵の殻へ粉を詰めている光景は、客観的に見れば怪しい儀式のようだろう。
だが、雨木の戦場はダンジョンだ。
工夫ひとつで敵の動きが止まる。
ならば、何でも試す価値があった。
「……まずは基準、だな」
卵殻の表面に書かれた小さな三角マークを確かめる。
三角の線は全て黒マジックで描かれている。
線の色で中身を判別する仕組みだ。
赤の線が増えるほど七味が多く、
青は胡椒が多く、
黄色の線が増えれば小麦粉が多いという意味になる。
黒線の三角は、“三種を均等に混ぜた基準ブレンド”だ。
投げる前に割らないよう、そっと殻を持ち上げて角をうかがう。
囮を差し入れると、影の中から牙を剥いたゴブリンが飛び出した。
――パアンッ。
乾いた音と共に粉が弾け、霧のように舞った。
狙い通り、顔にまとわりついた小麦粉が視界を奪い、胡椒と七味が粘膜を焼く。
「ギャアアッ!」
ゴブリンは悲鳴を上げ、床を転げ回る。
隙だらけの頭にバールを叩き下ろし、光に変えた。
「いいね……これなら悪くない」
◆
次は七味――唐辛子を主体にした殻。
赤の線が二本入った三角マークを確かめ、角の前に構える。
囮を突き出し、飛び出した影に狙いを合わせて投げる。
――パアンッ。
赤い粉が広がり、ゴブリンは両目を押さえて絶叫した。
涙と鼻水を垂れ流し、壁に頭を叩きつけながら暴れる。
「……えぐっ。俺も眼鏡か、ゴーグルしといた方がいいかもな」
隙を逃さずバールを振り下ろす。
骨の感触、そして光。
魔石を拾い上げ、ポーチに収めた。
◆
三つ目は胡椒を主体にした殻。
青の線が二本引かれた三角マークを確認し、次の角で構える。
囮を差し入れ、飛びかかってきたゴブリンに向かって卵殻を投げつけた。
――ヒュッ。
だが、狙いがわずかに逸れた。
殻は石壁に当たり、粉が宙に散る。
「……チッ」
ゴブリンは方向を変え、飛びかかってくる。
目前まで迫る牙。
反射的に腰をひねり、雨木は横蹴りを叩き込んだ。
――ドガッ。
安全靴越しに返って来る骨の感触。
ゴブリンは壁に叩きつけられる。
呻いたところへ、トンファーとバールを続けて叩きつけた。
光が弾け、魔石が残る。
「……外せば馬鹿な悪戯でしかねぇな。結局最後は、自分の身体が武器。道具に頼り過ぎるのも危険だ」
もう一つ胡椒殻を取り出し、次は慎重に投げる。
――パアンッ。
粉が弾けた瞬間、ゴブリンは目ではなく鼻と喉を押さえ、咳き込んだ。
「グガッ……ゴガッ、ギャアアアッ!」
喉を鳴らして咳き込み、呼吸ができずに床をのたうつ。
涎と涙を撒き散らし、まるで溺れているような有様だ。
「なんか…………目より、鼻の方が利いてないか?」
雨木は一瞬、考え込んだ。
仮説が浮かぶ。
もし嗅覚が主な感覚器官なら、何度も待ち伏せされていることに説明がつく。
床を転げるゴブリンの頭に、バールを叩き込む。
光が弾け、戦果がひとつ増える。
◆
囮を差し入れ、卵殻を投げ、トンファーとバールを振るい続ける。
気づけばポーチの中で魔石が十個を超えていた。
どこで何匹仕留めたか、もはや正確には覚えていない。
ふと足を止めると、目の前に石造りの階段が口を開けていた。
石段は下へと続き、冷たい風が吹き上げてくる。
「……もう階段か。順調だな」
前回は一階層の途中で引き返した。だが今は違う。
囮も卵殻も試せた。失敗もあったが、成果も十分だ。
「……よし。もう一層、行ってみるか」
階段に足をかけた瞬間、空気の重さが変わった。
湿気と鉄臭さが混じった冷気が肺に刺さる。
――ここからが本番だ。
※本作は作者による構成・執筆を基に、一部AIを利用して調整しています。




