イージス端末
チンと電子レンジが鳴り、温め完了の音が部屋に響いた。
雨木は扉を開けて茹で野菜を取り出し、皿に移す。
「……はぁ、五十万のイージス端末なんて買わされたせいで、質素な食生活だな。くそっ、ダンジョン省め。まあ、元からなんだけど」
本日の献立は茹で野菜と茹でた鶏むね肉。
それにオープンオムレツ――正確には卵焼きとスクランブルエッグのあいの子だ。
油を控えた結果、見事に失敗した。だが食えればそれでいいと雨木は気にしない。
高たんぱく低カロリー低脂肪低糖質。
無理なダイエットをする気はないが、身体が資本なのは確かだ。
生活を整える。ついでに無駄な出費も減らしている。
一見すれば初回にしては順調。
だが反省点はいくらでもある。
装備も、道具も、仲間も――そして情報も。
どれも足りなかった。何より、自分自身の覚悟が足りなかったことを雨木は自覚していた。
「いざって時に、足が動かないとかな……我ながら情けねぇ。夢に出そうだ、ったく」
覚悟が足りないというのは、つまり準備が足りないということだ。
充分に備えたつもりで本番に臨み、そして痛感した。
冒険者になると決めた日から、ジムに通って鍛え直した。
資格研修の予定が決まってからは、ホームセンターでバールを買い、装備品として作業服と安全靴を揃えた。
それでも、実際に潜ってみれば、足りないものの多さを思い知らされた。
「差し当たっては体重だな。五キロは落とすか……いや、三キロだな。さすがに日数が足りない。筋力も落としたくない。じっくり取り組まないと」
雨木が空手の試合に出ていたのは、十八から二十二の頃だ。
まずはあの頃の体重に近づけることを目標にした。
幸い、少しだけ時間はある。
ダンジョン省との話し合いを終えて数日。だが彼はまだ動けていなかった。
理由は単純で、次に潜る予定のダンジョンの予約が取れないでいた。
ダンジョン――正確にはその周辺の立入禁止区域に入るには、十二時間以上前に申請が必要になる。
だが人気ダンジョンとなると入場に制限があり、空き枠があまり存在しない。
ダンジョン省で鷹見という女性職員に教わった通りだった。
狙っているのは、川を渡った先、東京都世田谷区の有名ダンジョン。
通称――肉ダンジョン。
難易度が低く、それでいてドロップが良いことで知られている。
雨木も資格を取る前から、その噂を何度か耳にしていた。
「牧場ダンジョン」とも呼ばれるその場所では、動物系の魔物が多く出現し、魔石のほかに食用肉を落とす。
しかも序盤の魔物はあまり強くなく、危険度は低いという。
新人から上級者までが足を運ぶ理由も、そのあたりにある。
「噂じゃ、世田谷区はこのダンジョンのおかげで税収ウハウハらしいな。元から金持ちばっかの地域なのに、羨ましいことだ」
理由は至ってシンプル。その肉の換金率が高いからだ。
新人が低階層で拾える程度の肉でも、市販の肉より質が良いとされている。
最近では高級店だけでなく、町の定食屋でもチラホラと提供され始めている。
資格のない一般人ですら、「立入禁止区域で一攫千金」などと笑い話にするほどだ。
もっとも、実際にやろうとする者がいるからこそ、政府は立入を厳しく制限している。
「まあ、予約が取れないことには話になんねぇんだけどな。クソッ、予定が狂いまくりだ」
雨木は溜め息をつき、ベッドに寝転がった。
枕元に置いた電子端末を手に取る。
盾の紋章を模したロゴが浮かび上がり、短い起動音が鳴った。
「五十万も払わされたのに、先に進んでねぇんだもんな。笑えねぇ……」
ダンジョン省の窓口で「冒険者の必需品ですから」と半ば強制的に買わされた代物。
それが《イージス端末》と呼ばれるものだ。
冒険者専用のアプリ群が組み込まれ、冒険者としての活動を手助けする道具。
なのにまだ始まらない。いや始められない。
(まだ障りだけなのに、確かに便利だもんな、イージス端末。早く色々試したいのに予約が、なぁ……
新人だから、後に回されてそう。ま、稼げる冒険者が優先なのは当然だけどさ……さすがは世田谷。抜け目ねぇ。だからこそ、税収がアップするんだろうけど)
一見は普通のスマートフォン。
だが画面の中には一部、他では見ないアイコンが並んでいる。
――イージススレッド(冒険者専用の掲示板アプリ)。
――イージスボード(仲間募集や依頼の掲示板アプリ)。
――イージスNikkkii(冒険者専用SNSアプリ)。
――イージスマーケット(相場確認とオークションアプリ)。
――イージスウォレット(専用口座管理アプリ)。
――イージスマップ(冒険者の活動と日常生活を繋ぐアプリ)。
これらは全て冒険者専用のアプリであり、イージス端末にしかダウンロードできない。
この端末が、冒険者生活を廻す基軸となっている。
その一つを、タップした。
雨木が開いたのは《イージススレッド》。
資格を持つ者だけが閲覧・書き込みできる、公式掲示板。
見た目や流れは2ch/5ch風で、スレ番や勢いも表示される。
だが省の監視が入るぶん、完全な無法地帯ではない。
実体験ベースの情報が多く、信じる価値はありそうだ。
「やれやれ……まさか冒険者になったら、余計にスマホに縛られる生活になるとはね」
スクロールさせて、世田谷区「肉ダンジョン」の総合スレを呼び出す。
人気ダンジョンらしく、スレの勢いは目を見張るほどだ。
(……情報量がえげつねぇ。なのに、碌に見ないでダンジョンに入るとか有り得ないだろ)
資格を取っただけでは、冒険者の入口にも立てていない。
画面に流れる書き込みの一つひとつが、その事実を雨木に突きつけてくる。
「情報が足りない……全然足りていねぇ。先に覚えなきゃならないことが山ほどあるじゃんか……」
呟きながら指を止めた。
断片的とはいえ、命に直結する情報が転がっている。
知らなければ死ぬだろう。
だが、知っていれば。
(……生き延びられる、かもしれない)
結局のところ、冒険者は覚悟だけじゃ食っていけない――と、雨木は再認識した。
端末を枕元に放り出し、雨木は深く息を吐いた。
ようやくスタートラインに立っただけだ。
埋めるべき穴は、まだ山ほどある。
※本作は作者による構成・執筆を基に、一部AIを利用して調整しています。




