ポンコツと高額端末
「べ、別室でお話させても……よ、よろしいでしょうか?」
上司との確認を終えて戻ってきた鷹見柚羽が、唐突にそう言った。
雨木はわずかに眉をひそめる。どこか言いづらそうな響きだった。
彼女は両手を胸の前で握りしめ、目を泳がせている。
焦りが言葉の端々に滲み、唇は乾いて小刻みに震えていた。
「……まあ、いいですけど」
そう返すと、鷹見はほっと息を吐き、廊下へと先導した。
歩きながらも、周囲を落ち着きなく見回している。
警戒しているようで、逆に挙動が目立っていた。
ビルの奥にある小さなブースに通される。
壁が音を吸い、外の気配が遠のいていく。
時計の秒針がかすかに響き、そのたびに空気がわずかに震えた。
「す、すすすみません。あそこは資格を持たない方とお話する場所でして……えっと、場所を変えろと……あ、いや、その、万が一があると困るので、この個室でお話することに……にゃりました!」
最後の言葉が盛大に噛み、鷹見はハッとして口を押さえた。
頬が赤く染まり、次の瞬間には半泣きの顔になる。
その慌てぶりに、雨木は思わず視線を逸らした。
まあ、上から注意されて焦ったんだろうなと雨木は察した。
理屈は通っている。だがそれ以上に、目の前の職員のテンパり具合のほうが印象に残った。
資格や登録情報の詳細を、一般の耳に触れる場所で扱うわけにはいかない。
冒険者の情報を扱うこの省――特殊空間管理省、通称ダンジョン省では、それが当然だろう。
「それについては分かりました。ということは、自分の資格は問題ない感じですか?」
「し、資格についてはレアケースですが、規則上は問題ないそうです。ただ通常と違うので、もう一度確認してもらっています。その間に進められることを進めたいんですが……」
「分かりました。お願いします」
鷹見はほっとしたように頷き、鞄から三枚つづりの書類を取り出した。
官庁特有のざらついた再生紙。手触りに独特の重みがある。
雨木は小さく息を吐く。さっきも似たような書類を書かされたばかりだ。
役所という場所は、同じ情報を何度でも書かせる仕組みになっているらしい。
鷹見が差し出してきたのは、無駄に太く重いボールペンだった。
官製品特有の書き味の悪さが、握る前から伝わってくる。
「すみません、自分のを使っていいですか?」
胸ポケットから金属軸のペンを取り出す。 滑らかな書き心地と手に伝わる重みに拘った愛用品だ。 そういう細部の快適さに、社会人としての習慣が染みついていた。
「じゃ、じゃあ、先ずは住所ですね。免許証と同じですか?」
「ええ」
鷹見は項目を指差しながら、小さくうなずいていく。
そのたびにポニーテールが小さく跳ねた。
真面目さと不器用さが同居する動きだった。
「ここが銀行口座です。振込先をご記入ください」
「はい」
持参した通帳を見ながら番号を記入する。
これで魔石の換金額が振り込まれる準備が整う。
「ありがとうございます! あとはここに日付と署名を」
署名を終えると、鷹見は小さくガッツポーズを取った。
拙いながらも正直な動作に、雨木はわずかに口元をゆるめる。
「次は、正資格についての説明です」
そう前置きして、彼女は資料をめくった。
緊張のせいか声が少し上ずっている。
「正資格者は、登録されたダンジョンに、許可を得て自由に出入りできます」
「ふむ」
「入場には、そのダンジョンを管轄する警察署の専用部署に電話予約を……えっと、していただきます」
「はい」
紙の擦れる音が、静まり返った部屋に広がる。
ダンジョンが出現した地域を担当する警察署には、専用の部署が設けられている。
出入口の防衛や冒険者の入退場の管理。
さらにトラブル対応など――現場運営の実務を担う場所だ。
鷹見は一つひとつ慎重に確認しながら説明を続けた。
「予約の締め切りは十二時間ごとで……昼と夜の十二時。そこから十二時間後の予約からしか取れません」
「つまり、四日の午前九時に入りたければ、三日の昼十二時までに予約をすれば良い、ということですね?」
「はい!」
勢いよく頷く鷹見の声が、少し弾んだ。
それでもすぐに次の紙へ視線を落とす。
「ただ、これは空いてるダンジョンの場合です。人気のところは人数制限があって、一週間先になることもあります。」
「へえ」
「あと……平日午前十時は新人研修があるので、その時間帯は予約できません」
「あー、なるほど」
説明が途切れ、わずかな沈黙が落ちた。
雨木が次の言葉を待つと、鷹見の指先がそわそわと動く。
胸の前で書類をいじり、視線を泳がせていた。
「そ、それでなんですが……あのですね、正資格を取得した方には……お願いしていることがありまして……」
「お願い、ですか?」
一枚のチラシが差し出される。
視線を落とすと、黒地に銀の印字。
無駄のないデザインが、逆に高価さを際立たせていた。
新品の刃物や高級万年筆のような冷ややかな光沢。
手に取らずとも、値札の桁が頭に浮かぶ。
「い、イージス端末といいまして……その……資格取得者の皆様にご購入をお願いしてまして……」
記された額面は四十八万円。
雨木の指先がぴくりと止まった。
安い車が買える値だ。血の気がわずかに引いていく。
彼のスマホは十万円ほどのミドルクラス機だった。
派手さはないが性能は安定しており、連絡と地図と支払いができれば、それで十分だった。
スマホは仕事道具であって、見栄を張るための飾りではない。
壊れたら買い替える――雨木にとってはそれだけの道具だ。
それを、なんの説明もなく五倍の値段の端末に買い替えろというのか?
「あ、あの、ぶ、分割払いもあります! 魔石代金の振込口座から……毎月四万円ずつ、一二回に分けて……」
公的機関で聞くには場違いな響きだった。
雨木はチラシを指先で押し戻す。
「……これ、強制なんですか?」
声に硬さが混じる。鷹見が肩をびくりと震わせた。
「えっ……い、いえっ……た、たぶん……?」
返答になっていない。
雨木は静かに息を吐き、低く言った。
「……説明、ちゃんとしてください」
「は、はいぃ……」
重い沈黙が降りた。
時計の秒針が一つ刻むたび、空気がわずかに軋む。
冷房の風はあるのに、湿気が抜けず、背中に汗が滲む。
鷹見の手元ではペンが小刻みに鳴っていた。
握っては置き、置いては拾う。
爪がキャップを叩く音が、焦燥のリズムを刻む。
「だから、説明してくださいって言ってるんです!!」
雨木の声が一段深く響いた。
その瞬間、鷹見の背後のドアが、コンコンと二度叩かれる。
低く通る男の声が室内を満たした。
「……鷹見、どうした? 大きな声が聞こえたが……何かあったのか?」
鷹見がびくりと肩を揺らし、慌てて振り返る。
その拍子に、机の上のペンが転がり落ちた。
※本作は作者による構成・執筆を基に、一部AIを利用して調整しています。




