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方向性は違えども②

 城の廊下を歩いていたエルドレッドは、おや、と顔を上げた。


「今、シャノンの声が聞こえた気がする」

「気のせいでしょう」

「気のせいではない。……ああ、やはりあそこに」


 ゴードンに呆れたように言われたエルドレッドだが、振り向いた先にはやはりコーラルピンクの上着があり、つい頬が緩んでしまう。


 エルドレッドがシャノンと婚約して、一つ季節が回った。お互い仕事ややるべきことは多いものの、いずれ夫婦になる恋人としての仲は順調に深まっている。


(先日の旅行先でも、シャノンとゆっくり過ごせたしな……)


 父のもとに挨拶に行ったり母の墓参りをしたりするのが一番の目的だったが、シャノンとボート遊びをしたり一緒にコップを作ったり――そして何より、静かな別邸で一緒に過ごせたのがエルドレッドにとって嬉しかった。


(次にあの別邸を使うとき、シャノンは寝室の鍵をいつでも開けておくと言ってくれた。いつでもシャノンが来てくれるし、いつでもシャノンのところに行くことができるなんて……)


 子どもの頃から、あのドアが開く瞬間を夢見ていた。そしてその夢はおそらく一年以内に叶うことになる。


 愛らしいシャノンをこの腕に抱いて、めいっぱい愛する。

 シャノンが辺境伯領に来てよかった、愛し合う相手がエルドレッドでよかった、と一生思えるように、心を尽くす。


(そしてさらに数年後には、子どもたちを連れて行くことになるのか……。うん、いい。すごくいい……!)


 子どもを抱っこして微笑む聖母のようなシャノンを想像していたエルドレッドの背中に、ゴードンによるきつい一撃が決まった。


 一応辺境伯家当主と執事という関係なのだが、ゴードンはエルドレッドに対して容赦がない。普段から笑顔で毒を吐いてくるし、主人が腑抜けているときには肉体言語をもって諌めてくる。


 暴力と言えばそれまでなのだが、腑抜けているときの自分は周りの声が聞こえなくなっている自覚があるし、背中を軽く叩く程度だとこの筋肉の詰まった体には一切響かないので、容赦なくぶん殴られるくらいがちょうどいいのだ。


「エルドレッド様、シャノン様は後輩指導中です。だらしない顔をされないでください」

「むっ……分かった」


 ゴードンに小声で叱られたため、エルドレッドはきりっとした顔をした。


 確かに、廊下の奥にいるシャノンは少年少女を連れていた。

 ディエゴが見つけてきたという商家出身の新人事務官候補者については、エルドレッドも聞いている。


(確か、どちらも能力は十分だが姉のヘイディの方は特に製図や筆記が得意で、弟のハンネスは暗算に長けているとのことだな)


 筆記と計算は、事務官として必要な要素の柱だ。今の二人はシャノンには遠く及ばずとも、いずれ二人で力を合わせればシャノンの後任として十分な成果を出せるだろう、とディエゴは言っていた。


 シャノンは城内を歩きながら、二人に何かを説明しているようだ。先頭にシャノン、その後ろに姉のヘイディ、最後尾を弟のハンネスが歩いているので、ちょうど身長が小、中、大となっているのがなんとも微笑ましい。


(後輩指導をするシャノンの横顔、美しいな。それにあんなに生き生きとしていて……年少者に教えるのが好きなのかもしれない。彼女ならきっと、いい母親になるだろう)


 そこまで考えたところでゴードンによる二撃目が飛んできたので、妄想の世界に羽ばたこうとした己を叱咤して咳払いをする。


 その声が聞こえたのか、シャノンがこちらを見た。


「あら、エルドレッド様」

「ごきげんよう、シャノン。後輩指導、頑張っているか」

「はい!」


 シャノンが嬉しそうに言い、こちらにやってきた。ヘイディとハンネスもついてきてて、二人揃ってお辞儀をする。


「ごきげんよう、閣下。北方騎士団付事務官候補の、ヘイディ・パルヴァでございます」

「こんにちは、閣下! 同じく事務官候補の、ハンネス・パルヴァです! シャノン様にご指導願っている最中です」

「ああ、君たちのことはディエゴから聞いている」


 そう応じながら、エルドレッドは双子を観察した。


 ヘイディの方は、真面目一筋という感じのする少女だ。今はまだ候補者なので事務官の制服ではなくてありふれたジャケットとスカートという姿だが、服装の乱れが一切ない。騎士ではないのに直立不動の姿勢をしており、その指先までまっすぐ伸びている。


 対するハンネスの方は、姉とよく似たデザインのジャケット姿だが襟が少し曲がっている。よく見ると耳にピアスもしているようで、軟派な雰囲気が漂っている。


 北方騎士団にも制服はあるが細かな服装規定はないので、襟が歪んでいようとピアスをしていようと問題はない。北方騎士団には「あちー!」と言いながら上半身裸でうろつく中年もいるし、ラウハたちは仕事中でもピアスも指輪も化粧もバッチバチに決めているくらいなのだから。


(才能があるのは分かっているが、若い男か……)


 シャノンと同性であるヘイディはともかく、ハンネスについてはやはりどうしても気になってしまう。


 シャノンは二十二歳、ハンネスは十六歳だが、シャノンが小柄で童顔だということもあり、並ぶと同じ年頃のカップルに見えなくもない。エルドレッドの場合は身長差がありすぎて大人と子どものように見えがちだが、ハンネスとだとちょうどいい。


 しかもハンネスは、少し緩い感じするの色男だ。エルドレッドは決して根暗ではないがどちらかというと真面目な性格なので、ハンネスのような柔らかさはない。


(……いや、シャノンを疑うわけではないし、ハンネスがシャノンに懸想するなんてことも考えてはならない。そんなことをすれば双子を探してくれたディエゴにも失礼だし、シャノンだって傷つくだろう)


 我ながらシャノンに対する独占欲は強いと思うが、彼女をがんじがらめに縛り付けたいわけではない。

 嫉妬心をまき散らすのは格好悪いし、若い男だからといって牙を剥けばエリサベトに「根性なしー」などと言われそうだ。


「……シャノンは、私の大切な女性だ。シャノンのことを、よろしく頼む」


 ひとまずエルドレッドは無難な言葉をかけたのだが、途端双子ははっと目を見開き、そして大きくうなずいた。


「もちろんです! 敬愛するエルドレッド様とシャノン様のため、私たちは頑張ります!」

「シャノン様のことなら、俺たちにお任せください! エルドレッド様の大切な方に何かあってはなりませんからね!」

「……ああ、助かる」


 エルドレッドが思っていた以上の熱量を返されて少し驚いたが、シャノンに対する敬意が十分であると分かった。


(……彼らなら、大丈夫だな)


 それに万が一ハンネスがシャノンに異性としての気持ちを向けても、姉のヘイディが窘めてくれるだろう。これ以上の疑惑をかけるのは、ハンネスにも失礼だ。


「よい若者たちだな。シャノンも、教え甲斐があるだろう」

「そんな。二人とも熱心だし知識も豊富だしで、私の方が教えられっぱなしなくらいです」


 シャノンに言うと、彼女は微笑んだ。


「私、頑張ります。ヘイディさんとハンネスさんに教えられることは全部教えて……そうしてあなたのもとに嫁げるようにします」

「シャノン……」


 恋人の健気な発言にエルドレッドは胸がいっぱいになり、だがはっとして振り返った。

 またゴードンにどやされるのでは……と思ったのだが、毒舌な執事はなぜか窓の外の方を見ており、「今日はいい天気ですな」なんて言っている。


(……ありがとう、ゴードン!)


 執事からのゴーサインが出たと解釈したエルドレッドはシャノンの方に手を伸ばし、そっと頬を撫でた。

 後輩の前ではあるもののこれくらいのスキンシップなら許容範囲だと思ったのか……それともこの位置なら自分の表情までは双子に見えないと分かったからか、シャノンは少し躊躇ったもののすぐにエルドレッドの手のひらに頬を擦り付け、嬉しそうに微笑んだ。


(シャノンが今日もかわいい……)


 婚約者の頬を撫でながら、今日は風呂に入るまでこの右手は洗わないようにしよう、とエルドレッドは心に決めたのだった。










 執事のゴードンは、そっと視線を前に戻した。


 エルドレッドがシャノンの頬を撫でているという、彼らにしては控えめな触れ合い。

 一応仕事時間中ではあるが、まあこれくらいの立ち話と触れ合いくらいなら見て見ぬふりをしてやろう、とゴードンは思っていたのだが。


「……」


 老執事の目が、細まる。彼の視線の先にあるのは、少し離れたところに立っている事務官候補の双子。


 二人は、じっとエルドレッドとシャノンを見ていた。

 見るだけならまあいいのだが……二人の目に同じ色合いの熱情がこもっていることに、ゴードンは気づいていた。

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