面影を越えて~息子からの手紙~
――その日を境に、私の人生は一変した。
毎年夏に行う、北部地元民との会談。
往復も合わせるとかなりの日数をかけることになるがこれも辺境伯家当主の役目であるし、あちらには知己の者たちもいる。それに夏の高原地帯は美しくてリフレッシュすることができたが、それでも私の帰る場所は辺境伯城だ。
今回の会談では、なかなかいい話ができた。その子細は省略するとして、私は帰城するなり北方騎士団員であるディエゴのもとを訪ねることにした。
当時ディエゴには、空席になっている事務官の椅子が埋まるまでの間のつなぎとして事務の仕事を任せていた。
ディエゴは、北部に行く私とほぼ同時期に王都に行かせていた。諸々の所用あっての任務だが、その一つに王都の求人ギルドに行って新人事務官を募集させるというものがあった。
辺境伯城では最適な人材がなかなか見つからないため、ならば遠い道のりではあるが王都で人材を探そうということになったからだ。
そのディエゴも一足先に城に帰っていると聞いたから、早速今回の会談について報告しようと事務官室を訪問したのだが。
そこで私は、天使と巡り会った。
コーラルピンクの衣服は後でよく見れば騎士団の制服をまねたジャケットとスカートだと分かったのだが、そのときの私は長旅帰りで疲れていたということもあり、ドレスのようだと思ってしまった。
彼女は辺境伯領の基準からするとかなり小柄でしかも若い顔立ちだったので、当時の私は彼女が十代後半くらいの年若い令嬢だと思ってしまった。
なぜこんな場所にディエゴではなくて、可憐な少女がいるのか。
普通に考えれば、当主である私を素通りして令嬢の客が来るはずもないのに、そのときの私は彼女との出会いにあまりの衝撃を受けたため正常な思考判断ができなくなっていたのだろうと、今では思う。
とにかく、何か話さねば。声をかけねば。
そう思っていた私よりも先に、彼女の方が口を開いた。
「あの……」
その唇から放たれたのは、ごく短いたった二音の言葉。
その声は、小鳥のさえずり。
弦楽器のしらべ。
春の野を吹き渡る風の音。
まさか、彼女は人ならざる存在なのではないか。
私は基本的に神などは信じないが、このときばかりは神が私のもとに妖精か天使を遣わしてくれたのではないかと思ってしまった。
だが、すぐに我に返る。
妖精だの天使だのは、おとぎ話にのみ存在する架空の生き物だ。となると、目の前にいる少女は間違いなく生きた人間である。
そのときの私はまだ、彼女がどこぞの令嬢であると疑っていなかった――いや、実際に元令嬢だったから私の目は正しかったのだが……それはまあいい。
こんな色気のない城にあるむさ苦しい場所に、可憐な淑女がいる。
誰かに無理矢理連れてこられたようには見えなかったから、迷い込んでしまったのか。うっかり屋さんな令嬢……うん、悪くない。
だがかように華奢な女性にとって、身長が二メートルほどある私の巨体はさぞ見苦しかろう。
ラウハたちならばともかく、彼女の前にこうして立っているだけで威圧感を与え、怖がらせるかもしれない。それは、紳士としてあるまじきことである。
だから跪き、彼女を怯えさせないように丁寧に挨拶をしたのだが……私が彼女を「美しい方」と呼んだ途端、それまで困ったような仕草を見せていた彼女に変化が生じた。
色白の頬に、ふわりと色が乗った。
冬の間雪の下で耐えていた花が、ほころぶかのように。
山脈の向こうから朝日が差し込んだかのように。
彼女の顔に驚きと戸惑いと――そしてかすかな喜びの色が浮かんだことを、私は見逃さなかった。
……ああ、今思い出しただけでも胸の奥が苦しくなる。あのときのシャノンはめちゃくちゃかわいくて何度も思い出しては俺はあぁなんだかちょっといろいろまずい
※この後しばらく、意味不明な文字の羅列が続く※
ディエゴの紹介により、彼女――シャノンが北方騎士団付事務官になったことを知った。
ディエゴはたまに私に対して雑になったりもするが、頭の回転が速くて人を見る目もある。そんな彼が選んだ人材なら間違いないだろうと思った。
……ああ、それにしてもシャノンにはついつい視線をやってしまう。
向かい合って立つことで分かったが、彼女の身長は私の肩くらいまでしかない。ラウハたちに見慣れているから、彼女はとても小さくて華奢に思える。
後で知ったのだが、彼女は王都の基準では高身長の部類に入ったそうだ。本人も、そのことをコンプレックスに感じているという。
……だが私からすると、王都の令嬢たちが細くて小さすぎるのだ。
特に小柄な人だと、私の胸の高さより小さいくらいだ。腰も、コルセットで締めているにしろ私の太ももよりも細そうな女性さえいるくらいで……逆に、怖くなってくる。
王城で開かれるパーティーなどに行けばダンスを踊る必要も出てくるが、毎度怖じけついてしまう。
相手は、子どものような体格の女性だ。何かの拍子に骨を折ったり押し倒したりして怪我を負わせてしまうのではないかと思うと、手を取ることもできない。私が社交から遠ざかりがちな理由の一つでもあるのだが、分かってくれるだろうか?
だが、シャノンは小柄だが小さすぎるということはない。
触れても大丈夫そう、と思える令嬢に会えたのは、久しぶりだった。
……このときの私は、若い身空で過酷な北の大地にやってきたシャノンを領主として守り、彼女を一人の民として大切にしようと思っていた。……思っていたはずだ。
だが今思えばきっとそのとき私は既に、彼女に恋をしていたのだろう――
揺れる灯りのもとで、グレーの目がぎゅっと寄せられた。便箋をぺらりと一枚捲ると、その後にもびっしりと文字が記されていた。
息子のエルドレッドが、結婚したいと思う女性を見つけた。その話を聞いたジョナスは、驚きこそしたが反対する気持ちなどは一切湧かなかった。
亡き妻の忘れ形見を、ジョナスは大切に育てた。妻が命を懸けて産んだ子だからこそ優しく厳しく接し、立派な跡継ぎになるように教育した。
その甲斐もあってか、エルドレッドは品行方正で多くの人から好かれる青年に成長した。やや恋愛に関して奥手なところはあるが、父親としてはあれこれ口を出さず彼の気持ちの向かうままに任せようと思っていた。
……そんなエルドレッドが恋をしたのは、元子爵令嬢であるシャノン。
ウィンバリー子爵家という名にあまりいい印象はなかったため、ジョナスは息子に対して「結婚自体は反対しないが、相手の女性についての子細を報告しろ」と命じた。
そうして返ってきたのは、やけに分厚い封筒だった。中に冊子でも入っているのかと思われるようなそれの封を開いたハミルトンは驚くことに、「中身は全て便箋です」と言った。
見れば封筒の中ギッチギチに便箋が詰まっており引き抜くことができず、やむを得ず封筒の方を裂いて中の便箋を救出することになった。
……確かに、「子細を報告しろ」とは命じた。やや筆無精だが真面目なエルドレッドのことだから、シャノンについてよい点も悪い点も含めてきちんと書くだろうとは思っていたが。
誰が、こんな量を書けと言った。
あと、これは報告書ではなくて小説である。
父親に対して、自分と恋人を主人公とした恋愛小説を送る馬鹿が、どこにいるのか。
「……久しぶりに夜更かしすることになりそうだな」
やれやれとばかりにジョナスは言い、ベルでハミルトンを呼んだ。そうして来た執事に、「酒の用意を」と言った。
エルドレッドに心の中で文句を言いつつも、ジョナスはそんな息子の報告書全てに目を通すことを決めたのだった。
『面影を越えて』
おわり




