面影を越えて⑩
いよいよ明日の朝には辺境伯城に向けて出発することになり、自由行動できる最後の一日をどう過ごすかとエルドレッドと相談した結果、シャノンは思いきって「陶芸の工房に行きたい」と申し出た。
「父上がオーナーを務める、あそこか」
テルヒ情報の工房について口にすると、エルドレッドはうなずいた。
「そうだな、見学に行くのもいいかもしれない」
「ジョナス様の許可が必要でしょうか」
「いや、あそこは一部一般開放されているくらいだ。乾燥棚や窯があるところまでは行けないが、作業場には行けるし……タイミングがよければ、土ひねり体験もできるだろう」
「土ひねり……つまり、実際に作れるのですか?」
「ああ。私も子どもの頃に、父上から教わっている。父上ほどの腕前ではないが、簡単なものなら私でも教えられるだろう。できそうなら、挑戦してみるか? 服が汚れるだろうが……」
「やってみたいです!」
エルドレッドの言葉で思い出したのは、テルヒが語っていたクラリッサの作品のこと。今も本邸のどこかにあるというクラリッサの陶器も、ジョナスの工房で作られたという。
(私も、作ってみたい……!)
シャノンが乗り気なのがエルドレッドも嬉しいようで、彼はメイドたちに着替えの準備も命じてから、シャノンを工房に連れて行ってくれた。
ジョナスがオーナーを務めるという工房は、本邸の裏庭の奥にあった。建物全体がまるで窯のような半球形で、大きな煙突からもくもくと煙が上がっている。
「夏だから少し暑いだろうが、大丈夫か?」
「はい。上着を脱げば大丈夫です」
幸い今日はよく晴れているわりに、気温はそこまで高くない。王都で育ったシャノンにとっては、もう少し暑かったとしても平気なくらいだ。
逆にエルドレッドの方が心配だが、彼は「まあ、私もいざとなったら上を脱ぐからな」と気軽な調子で言っていた。
上を脱ぐ……つまり、上半身裸になるということだろうか。
(そ、それはちょっと、刺激が強いわ……!)
シャノンは美術品くらいでしか男性の裸を見たことがないので、エルドレッドの体がどれほどのものなのかを想像する材料に乏しい。
以前、妹のオリアーナが嫌がらせでシャノンに見せてきた艶本にもそういうものはあったが、あれは少々ファンタジー要素が入っていたのであまり参考にならない気がする。
本当に脱いだらどうしよう……とどきどきしながら工房の扉をくぐった先は、広々とした作業場だった。カウンターの向こうにはたくさんのろくろがあり、職人たちが作業をしている。
窯の場所から離れているからか、中の気温はそれほどでもない。エルドレッドが「これなら脱がなくていいな」とつぶやいたので、シャノンはほっとしつつも少しだけ残念に思ってしまい……つい頬が熱くなってきたので、念のために上着を脱いでおいた。
「これはこれは、エルドレッド様!」
「皆、仕事中悪いな。私のかわいい婚約者が、工房の見学をしたいとおねだりしてきたもので」
職人に対するエルドレッドの言葉だけを取ると、まるでシャノンがわがままを言ったかのようだ。
だがそう言う彼の表情はとろけているし、声は蜂蜜がけシロップのように甘い。
それを見聞きした他の職人たちも、「なるほど」と言わんばかりの視線を向けてくるので、シャノンは少し居たたまれなくなってエルドレッドの陰に隠れた。
「そういうことでしたか。もちろんゆっくり見ていただければ嬉しゅうございますし、今は場所も空いておりますので体験もできますよ」
「おっ、だそうだ、シャノン。やってみるか?」
「は、はい!」
エルドレッドの声も弾んでおり、シャノンもうなずいた。
そういうことで二人は別室で汚れてもいい服に着替え、ろくろに向かった。
周りにいる職人たちは皆男性で、シャノンより若そうな者もいるが相変わらず高身長で、しかも体格もよかった。
(でも、この高さから見られるのにもすっかり慣れたわ)
ちょうど目が合った若い職人に微笑みかけると、彼ははにかんで笑った。
それを見たエルドレッドがわざとらしいほど大きな咳払いをして椅子に腰掛け、広げた脚の間にとん、とシャノンを座らせた。
「では、やってみようか。……手順は私が教えるから、皆は土の準備などだけ頼む」
「かしこまりました」
シャノンに教えたくてたまらない様子のエルドレッドに命じられた職人が、灰色の土の塊を持ってきて、ろくろの上に載せた。
「では、何を作ろうか」
「初心者なら、花瓶やコップがおすすめです」
「では、コップにしようか。土台作りまでは私がするし、ろくろを回すためのペダルも私が踏むから、シャノンは成形だけに集中してくれ」
「はい、ありがとうございます」
確かに、最初からシャノンが一人でやっても粘土遊びにしかなりそうにないので、エルドレッドの補助はありがたい。
そうしてシャノンはエルドレッドの膝の間に座り、彼が土台を作るまでを見届けることになった。
エルドレッドは両手を水に浸け、回るろくろの上でうねうねと動く土に両手を沿わせた。彼が上に下に手を動かすたびに土の形が変わり、まるで生きているかのような土の変化にシャノンは見入ってしまう。
「わ……すごい」
「おもしろいだろう? ……さあ、シャノンも手を濡らして」
「はいっ」
シャノンも意気込んで応え、エルドレッドの大きな両手に包まれるような形で土に触れた。
「わっ、柔らかい」
「少しの衝撃で形が変わるから、優しく触れる。親指で、中央に穴を空ける感じで」
「こ、こうですか?」
「上手だ。中の穴を広げて、他の指で周りの形を整えるように――」
「ああっ!」
シャノンの右手の爪が、ほんの少し土に触れた。それだけでぐわんぐわんと土は形を変え、エルドレッドがせっかく整えてくれた土台が崩れてしまう。
「あわわ……変になっちゃいました!」
「こういうこともよくある。ええと、形を直すには……」
一旦ろくろを止めたエルドレッドが、まるで花びらのように広がってしまったコップの縁の部分を直そうとしてくれる……が、一度崩れた形はなかなか戻ろうとせず、どうしても歪になってしまう。
「うーん……私ではこれが限界か」
「これはこれで味があるから大丈夫ですよ!」
「だがせっかくなのだから、もっといいのを作らせたい。この辺りを……」
「……少し、いいか」
二人で考え込んでいるところに声がかけられたため、はっとして振り返った――がシャノンの背後はエルドレッドの胸板だった。
シャノンの分も背後を見たエルドレッドが、「父上!」と声を上げたため、シャノンも来客の正体が分かった。
「ここにいらしたのですか」
「おまえたちが、来ていると聞いてな。……シャノン嬢はどこに?」
「ここです!」
はい、とシャノンがエルドレッドの胸板と腕の隙間から汚れた手を挙げると、ジョナスがそばに来て一瞬目を見開き、そして縁の部分がぐにゃぐにゃになった作りかけのコップを見る。
「……コップか」
「はい。縁の部分を修正途中で」
「……私が直してもいいか」
ジョナスが聞いてきたのに驚いたのは、シャノンだけではなかった。
「父上が!?」
「たまにはいいだろう。……シャノン嬢も、いいだろうか?」
「あ、はい、もちろんです。ありがとうございます。ですが、お召し物が――」
シャノンたちと違い、ジョナスはぱりっとした装いをしている。もう既にシャノンもエルドレッドも土まみれなくらいだから、ジョナスも着替えをしては……と思ったのだが。
ジョナスは上着だけを脱いで後ろにいたハミルトンに渡し、シャツの袖をまくった。両手を水に浸けて息子に「ペダルを踏め」と言い、ろくろのまえにしゃがむ。
そうして回り出した不格好なコップを真剣な眼差しで見ると、そっと両手で添え――
「戻った!?」
「すごい……さすが父上です」
「ふっ、年の功というやつだ」
一瞬で元の形に戻したジョナスは立ち上がり、職人が差し出した水瓶で手を洗った。土に触れたのは一瞬とはいえ、彼の服装に汚れの一つも見当たらない。
「さあ、続きをやってみなさい」
「……はい」
「ありがとうございます、ジョナス様!」
シャノンとエルドレッドが答えるのを、ジョナスは少し目を細めて見下ろしていた。
あの後、シャノンのコップは無事に完成した。
シャノンは糸を使って土台から切り離されたコップを両手に載せ、ほう、と見つめる。
「できました……!」
「初めてにしてはなかなかの出来だ。……乾燥して焼き上がるまでしばらくかかるから、完成したら送ってくれ」
「かしこまりました」
この後のことは職人に任せることにして、シャノンは焼かれる前のコップをじっと見つめてから、それを職人に渡した。
「きれいに焼き上がるといいですね!」
「ああ、記念の品になるな」
「はい! 私とエルドレッド様……そしてジョナス様の、合作ですね!」
シャノンは何気なく言ったつもりだったが、エルドレッドははっとした様子で息を呑み、そして「そうだな」と噛みしめるようにつぶやいたのだった。




