面影を越えて⑥
別邸滞在初日は荷物の整理やら建物の案内やらであっという間に時間が過ぎ、長旅の後ということもあってシャノンもエルドレッドも早めに就寝した。
そして翌朝、普段の自室とは違う部屋で目覚めたことで少しだけ落ち着かない気持ちになっていたシャノンだが部屋を出るなり、廊下で待ち構えていたらしいエルドレッドがおはようのキスをしてくれたため、「いつもどおり」を感じることができた。
朝食は、温かな朝日降り注ぐテラスでいただくことになった。
普段では経験できない屋外での朝食ということで少しだけドキドキしたが、搾りたての果実のジュースやふっくら焼き上げたパン、辺境伯城付近ではやや高値で取り引きされる野菜のサラダやヨーグルトなど、普段城で食べるものとはまた違うもののとてもおいしい食事のおかげで、心もお腹もいっぱいになった。
「今日はまずは、母上の墓参りに行こうと思う」
食後のお茶を飲んでいるときに向かいに座るエルドレッドが言ったので、シャノンはうなずいた。
「確か、町の墓地とは違う場所にお墓があるのでしたっけ」
「ああ。父上が母上……とご自身のために作らせた特別な墓所でな。関係者以外立ち入り禁止で、墓石の手入れから雑草駆除まで全て父上がなさっているという」
「草抜きまで……」
「他の誰にも、近寄らせたくないのだろうな。さすがに私にはいつでも来ていいと言ってくれているが、なるべく父上とは時間をずらして墓参りをするようにしている」
そう言うエルドレッドの声は、あまり明るいとは言えない。
結婚して二年足らずで死んだ妻の墓を、二十年以上経った今も夫が守り続けている。それははたして美談と言えるのか、もしくは救いのない悲しい物語なのか。
(……エルドレッド様も、気にされているのね)
そうは思うものの、まだ辺境伯家の一員でもないシャノンに何か言えるはずもなく、ただ笑顔でうなずいた。
「そうなのですね。ではジョナス様のお邪魔にならないよう、そっとお墓参りをさせていただきます」
「……そうだな。母上も、シャノンに会いたがっていることだろう」
そう言ってやっと、エルドレッドは笑うことができた。
食事と身仕度を終えたシャノンたちは本邸仕えの案内係のもと、エルドレッドの母親が眠るという墓所に向かった。
途中まではラウハたちを護衛として連れられたが、途中で「騎士はここまでで」と言われた。
そのためエリサベトが持ってくれていた献花を受け取って三人で進むが、黒い鉄の門の前では案内係の使用人も足を止めた。
「ここからは、エルドレッド様とシャノン様だけで行っていただきます。少し広いのですが、エルドレッド様は場所をご存じなので大丈夫かと」
「ああ、問題ない」
エルドレッドはそう言ってから上着のポケットから鍵を出し、鉄の門にかけられた頑丈な錠前を外した。鍵は普段ジョナスの書斎にあり、自由に持ち出していいのはエルドレッドだけだという。
鍵を大切そうにポケットに戻したエルドレッドは、鉄の扉を開けた。そこそこ年季が入っていそうな鉄扉なのに、ほとんどきしみ音を立てない。
ジョナスは墓石や墓所だけでなく、鉄の門に油を差す作業までしているのかもしれない。
「さあ、行こう。墓所ではあるが、なかなかきれいな風景だろう?」
「……はい」
エルドレッドに手を取られて歩きながら、シャノンは辺りを見回す。
墓所、というと暗かったりジメジメしていたりするイメージがあるが、ここはまるで小さな花園かと思えるほど美しく整えられている。
王都近郊と比べて花が咲きにくいランバート辺境伯領だが、この町は領内南端にありしかも季節は夏だからか、色とりどりの花が咲き乱れていた。
「……素敵な場所です」
「母は、結婚するまで王都を出たこともなかったそうだ。母にとって、ランバート辺境伯領の冬は厳しすぎて……だから父上は母上の墓所を、花で埋め尽くしているのだろうと私は思っている」
エルドレッドがそう言うので、シャノンは足下に咲いた花に視線を落とした。
きれいな花だが、これらはエルドレッドの亡き母の魂を慰める役割だけでなく、ランバート辺境伯領の厳しい気候から墓所を守る役目も持っているのかもしれない。
まるで小さな騎士のように凜と咲く花たちを見ながら歩くこと、しばらく。
「あれだ」
エルドレッドが指さす先にあったのは、小さな墓石。ちょうど今日はよい天気で、夏の日差しが白い墓石をまぶしく照らしている。
辺境伯夫人の墓用にしては小さめの石だが、近づいてみるとそれは美しい模様が彫り込まれた見事な意匠のものだとわかった。
(これが生没年で……これが、名前ね)
表面に彫られた文字を目で追い、『クラリッサへ、永久に変わらぬ愛を』を黙読したところでシャノンはその場にしゃがみ、献花台に花束を置いた。
エルドレッドはシャノンの手を離し、ポケットから畳んだ布を出して広げた。それらを自分たちの足下に置き、シャノンと揃ってその上に膝を乗せる。
「……母上、お久しぶりです。婚約者のシャノンを連れてきました」
「シャノン・ブレイディでございます」
エルドレッドの言葉に合わせるようにシャノンは自己紹介して、胸の前で両手を組んで祈りを捧げた。
(エルドレッド様の、お母様。どんな方だったのかしら)
エルドレッドは父親とは目の色が違うから、彼の澄んだ青色の目は母親譲りなのかもしれない。
そういえば、一度会っただけではあるものの、エルドレッドの母の兄でシャノンの養父になってくれたブレイディ侯爵は、目の色が青かった気がする。
貴族令嬢にしては体格が大きめで体力もあるシャノンと違い、深窓の令嬢だっただろうエルドレッドの母にとって、ランバート辺境伯領の土地は優しい場所ではない。
彼女だってそれを分かっていたはずだが、それでも好きな人の手を取ることを選んだのだろう。
暖かい王都で別の人と一緒になっていれば、もっと長生きができたかもしれなくても。
(恋……いえ、きっととても強い愛だったのね)
祈りを終えて顔を上げたシャノンは、墓石に刻まれた『クラリッサ』の隣に不自然な空白があることに気づいた。
飾り彫り模様もそこだけは避けているようで……いずれそこに、ジョナス・ランバートの名が刻まれるのだろうと分かった。
「父上も、この墓に眠る気のようだ」
エルドレッドも同じことを考えていたのか、墓石を見つめながら言った。
「代々のランバート辺境伯家の人間が埋葬される墓は、きちんと存在する。だがそこは山の上にあるため、母上の棺をそこに持っていくことをかたくなに拒んだのだそうだ」
「……クラリッサ様が体を冷やしてしまうから、でしょうか」
「ああ、きっとそうだろう」
シャノンが言葉を選びながら言うと、エルドレッドは小さく笑った。
「そして、母上が眠る墓所に自分も弔ってもらうのだと言って聞かない。気持ちは分かるが辺境伯家としての面子もあるのだ、とハミルトンたちに説得されても聞かず、ならば山の上の墓に入れるのは片足一本分だけでいいなどと言い出して……」
王国は土葬が基本なので、それはあまり想像したくない光景だ。
だがそれほどまで、ジョナスは亡き妻のことを想っており……死後も離れたくないと考えているということなのだろう。
「……その、エルドレッド様はジョナス様のお気持ちを尊重されるのですか?」
何が、と具体的に言うのははばかられたのでぼかしつつ問うと、エルドレッドはうなずいた。
「そのつもりだ。……葬儀は、生きている者――死者に置いていかれた者が未練を残さないようにするために行うものだ。父の言葉を無視すれば、私自身が苦しみ続けることになるだろうからな」
「現実的ですね」
「父上は、怖いからな。私が至らないことをすれば、死んでも化けて出てきそうなんだ」
エルドレッドは小さく笑ってから、立ち上がった。シャノンも布から立ち上がるとエルドレッドは敷いていたそれを手早くまとめ、墓石に向かってお辞儀をした。
「また伺います。そのときには……シャノンと、もう結婚しているかもしれません」
「よろしくお願いします、クラリッサ様」
シャノンも言うと、献花台に置いた花束が、夏の風を受けて少し揺れた気がした。




