面影を越えて⑤
別邸にはラウハたちがおり、既に荷運びも終わっているようだった。
別邸は本邸よりも一階低い二階構造で、一階が使用人やお付きの部屋で、二階が主用のエリアになるそうだ。
シャノンの部屋も当然、二階にある――のだが。
「……あー、その、シャノン。先に言っておくが、やましい心は一切ない」
二階に上がったところでエルドレッドが気まずげに言うので何事かと思ったら、彼は廊下の奥にあるドアの前に立った。
「まずは、ここがあなたの部屋だ。リビングや寝室はもちろんのこと、浴室や衣装部屋も併設されている。あなたのために、新しい家具を準備している」
「ありがとうございます」
エルドレッドがドアを開けた先には、ゆったりくつろげそうなリビングがあった。さすがにクローゼットやソファ、テーブルなどは年代が感じられるが、カーテンなどは新しい。
「素敵です……ゆっくり過ごせそうです!」
「それはよかった。……それで、こちらが私の部屋だ。子どもの頃から使っている」
そう言ってエルドレッドはシャノン用の部屋のドアを開けたまま、廊下の隣の部屋に向かった。
こちらは先ほどのシャノン用の部屋と違い、ものが多かった。子どもの頃から使っているというだけあり、ほどよい生活感が漂っているようだ。
ソファカバーやカーテンなどの色が黒や青が多いのは、きっとそれらがエルドレッドの好きな色だからなのだろう。
「私たち、部屋が隣同士なのですね」
「あ、ああ。それは……元々この二つの部屋は、夫婦用として作られているからだ」
何気なく言ったつもりが、そう答えるエルドレッドはやけに動揺している。
(……辺境伯城にある私の新しい部屋も、女主人用のものだって言っていたわよね)
あそこでも部屋が隣同士なのだから今更な気がするのに、エルドレッドが妙に焦っているのが気になる。
シャノンがじっと見つめていると彼は気まずそうに頬を掻き、そして観念したのか肩を落とした。
「……それで、だな。シャノン、こちらへ」
「え? ええ」
エルドレッドに手を引かれて、シャノンは彼の部屋に一緒に入った。
家具などは彼が成長するたびに買い換えているのだろうが、ずっと昔に今のシャノンより小さなエルドレッド少年がこの部屋を使っているときのことを想像すると、なんだかくすぐったいような愛おしいような気持ちになってきた。
リビングを横切り、その先のドアの前に立つ。
「ここは?」
「寝室だ」
「……」
「待ってくれ! おそらく今、あなたは誤解をしている!」
思わず頬が熱くなりエルドレッドをにらみ上げてしまったからか、彼は慌てて首を横に振った。
今の状況で、「そういう」誤解をしない方が難しいと思うのだが。
「私は決して、そういうつもりであなたをここに通すのではない!」
「部屋に連れ込むとかではなくて?」
「連れ込む……のは連れ込むが……違う、中を通るだけだ!」
エルドレッドが慌てて言うのだが、不信感はまだ解消しきれない。
「……寝室を通ってどこに行くのですか?」
「まあ、来てくれ。不埒なことは絶対にしないと誓う。もし誓いを破ったら、私の顔を原型がなくなるまで殴っていい。……いや、それではシャノンの華奢な手が傷つくから、私が自ら顔を殴ろう」
「分かりました。エルドレッド様のことを信じますので、参りましょう」
真剣な顔でとんでもないことを言うエルドレッドの背中を押すと、彼は寝室のドアを開けた。
換気のために寝室の窓は開かれており、かなり大きめサイズのベッドには新しいシーツが敷かれている……のだがそこはあまり見ないようにして目をそらしたシャノンは、寝室の奥に別のドアがあることに気づいた。
「エルドレッド様、あのドアは?」
「……開いてみてくれ」
エルドレッドが言うので、シャノンはドアの所に向かってノブに手を掛けた。鍵穴らしきものは見当たらず、ノブを回すとゆっくり動いた。
ドアを開けたシャノンは……あれ、と声を上げる。
「また寝室?」
「……」
「……えっ、もしかして――」
寝室の隣に寝室だったので一瞬よく分からなかったが、そこにあるベッドが小さめで花柄の上掛けがかかっているのを見て、ぴんときた。
(これって……)
この寝室にも別のドアがあったのでそこを開いたシャノンは――その先が、先ほどエルドレッドが見せてくれたシャノン用の部屋のリビングであると気づいた。廊下に続くドアも、開いたままなのが見える。
「……」
「……シャノン、最初に言ったように……私には全く、やましい心はない。この構造も、最初からこうなっているんだ」
それはさすがに、エルドレッドを信じている。
いくらシャノンのことになると駄犬化しがちなエルドレッドでも、まだ結婚もしていないシャノンと自分の寝室をつなげるためにわざわざ別邸の工事をさせたりはしないだろう。
「それに、ほら、ここを見てくれ」
「……こちら側には、鍵がついていますね」
エルドレッドに呼ばれてドアの所に向かったシャノンは、ドアノブの下部にツマミ状の鍵がついていることに気づいた。もう一度エルドレッドの寝室側のドアを見て見たが、こちらには鍵がない。
「ここの鍵は、女主人の部屋側だけから開け閉めできるんだ。そちら側から鍵をかけていれば、こちらから開けることは絶対にできない。鍵さえかければ、壁も同然だ。だから安心してくれ!」
「……ふふ。分かっていますよ、エルドレッド様」
シャノンは、小さく噴き出した。これでやっと、部屋に通す前からエルドレッドがそわそわしていた理由が分かった。
エルドレッドはたまに残念な美丈夫になってしまうが、シャノンへの愛と気遣いを捨て去ることは絶対にない。
「鍵のことなら大丈夫ですし……隣の部屋がエルドレッド様なら、とても心強いです」
「そう言ってくれるとありがたい。ここは平和な町だから大丈夫だが、もし何かあればいつでも私のところに相談に来てくれ」
「はい、よろしくお願いします」
シャノンが笑顔で言うとエルドレッドも安心したように微笑み、シャノンの頬に軽くキスを落としたのだった。




