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5  求人ギルドでの出会い②

「慎重なのはよいことですよ。……そうですね、まずはこちらを見ていただければ」

「はい」


 男性に促されたので、彼が貼ったばかりの求人票を手に取って見る。


「……ランバート辺境伯領・北方騎士団付事務官?」

「はい。前任の事務官が高齢によって退職してから、後任がいなくて。今は私が中継ぎをしているのですが、本業ではないので……」


 ランバート辺境伯領といえば、王国北部一帯を治める辺境伯家の領地だ。王国内の高位貴族としての歴史は比較的浅いしはっきり言って僻地だが、国防という点での要所と言える。


 王国の北には北方地元民たちが暮らしており、大昔には地元民が王国に攻め込むこともあったという。今は辺境伯家が地元民とうまく渡り合っている状態で、地元民との軋轢を起こさないためにも、王国は辺境伯領のことをそこそこ重視しているとか。


(でも、辺境伯家当主の方についての記憶はあまりないわ。確か……少し前に代替わりしていた気がするけれど)


 ただでさえ王都と辺境伯領では片道で馬車半月ほどかかるのに、冬季になると豪雪のために通行が困難になる。簡単に領地と王都を行き来することはできないから、シャノンが辺境伯家当主のことを知らないのも仕方ないことかもしれない。


「あなたは騎士様ですか?」

「はい。申し遅れました、私、北方騎士団所属のディエゴ・グラセスと申します」


 ディエゴと名乗った男性がお辞儀をしたので、シャノンもお辞儀を返す。


「シャノンと申します。……名乗れる家名がなく、失礼します」

「ふむ? ……まあ、それは今はいいでしょう」


 ディエゴはシャノンの姿を上から下まで見てから片眉を上げつつも、求人票の方に視線を戻した。


「私はランバート辺境伯領で暮らす騎士なのですが、事務官募集の求人など諸用のために王都に来ました。残念ながら辺境伯領民は一般市民階級ではまだ読み書き計算が徹底しておらず、王都であれば事務官になるだけの能力を持った方がいると思ったのです」

「……そう、ですね。王都の識字率は高い方ですし」


 高い方といっても百パーセントではないが、王都で暮らすには最低限の読み書きと金勘定できる能力が必要だ。だからディエゴは事務官として働けるだけの才能を持った人を探すために、はるばる半月の道のりを南下してきたのだろう。


(諸条件は……悪くなさそうね)


 求人票を見ながら、シャノンは考える。


 辺境伯当主が主君となるので、給金は悪くなさそうだ。姉や妹は金貨と銀貨の違いも知らないだろうから、これもお金の価値を教えてくれた先生のおかげだ。


 悪質な雇い主だと勤務先でひどい目に遭うこともあるそうだが、辺境伯家当主ならばそこまで大変なことにはならないはず。


(ただ……北の国、ね)


 王都近郊は温帯だが、ランバート辺境伯領の大半は亜寒帯だ。ただでさえ北部に位置するのに山道を通っていくので高度も高く、秋の終わりから雪が降り始め真冬には表を歩けないほどの豪雪になる日も多いという。


(私は寒いより暑い方が苦手だけれど、だからといって豪雪地帯で知られるランバート辺境伯領の気候に絶対耐えられるかと思ったら……)


 と、そこまで考えてシャノンは、自分がこの求人を受けるつもりでいることに気づいた。

 はっとしてディエゴの方を見ると、彼はにこにこしていた。


「もしかしなくても、興味を持っていただけましたか?」

「えっ? ……ええと、ちょっとだけ」

「それはありがたいです。……私はこれでも人を見る目はある方と自負しておりまして、シャノンさんならうちで働くのに十分だと思いました」

「え、ええと……でも私、事務仕事なんてしたことがなくて」

「それほど難しくはありません。なんなら、今私の介助なくこの求人票の隅から隅まで読み込むことができるくらいの識字能力と、給金の勘定ができるくらいの計算能力があれば十分です」


 どうやら、そこまで見抜かれていたようだ。

 にこやかな男性に見えるが厳しい環境の騎士団に勤めるだけあり、鋭い目を持っているのかもしれない。


(私の価値を見いだしてくれたのなら、すごく嬉しい。……でも)


 ぎゅっと胸のところで拳を固め、付近に自分たち以外の者がいないのを確認してから、シャノンは口を開いた。


「そう言っていただけて、嬉しいです。……でも、私にはもったいなすぎるお話です」

「そうですか?」

「……私、実家を勘当されたのです」


 シャノンが、勘当される前の家名がウィンバリーであること、婚約者に婚約破棄されたことが原因で家から追い出されたことなどを告白する間、ディエゴは眉一つ動かさなかった。


「……なるほど。おそらくあなたは平民ではないだろうとは思っていましたが、やはり貴族令嬢でしたか」

「分かりましたか?」

「家名なしの平民だというのに、貴族のお辞儀が完璧にできる人はいませんからね。事情がおありなのだろうとは思っていましたが……それは、お辛い思いをされましたね」


 ディエゴが心から労るように言うので、つい胸の奥がじくっと痛んで涙腺が緩みそうになる。


 ――ジャイルズに婚約破棄を告げられたときも暴言を吐かれたときも、勘当を言い渡されたときも。

 シャノンは涙一つ、流さなかった。


 だがそれは悲しくないからではなくて、きっと泣くことができなかったからなのだろう。


 つい十数分前に知り合ったばかりのディエゴなのに……いや、ディエゴだからこそ、シャノンの「悲しい」という気持ちに触れられたのかもしれない。


「……ありがとうございます。ディエゴさんのお言葉、胸に染み入ります」

「それはよかったです。……とまあ、あなたの事情は分かりましたが、だからといって何も問題はありませんよ」


 ディエゴはにっこり笑って言い、シャノンの手からそっと求人票を取ってひらひらさせた。


「実家との関係が何であろうと、人柄がよくて能力があるのなら何も問題ありません。そして私から見たシャノンさんは、うちの事務官として採用するに十分な資質をお持ちです」

「……」

「うちに来ませんか? 冬は寒くて物資にも限りはありますが、いわゆる『嫌なヤツ』はいません。もしあなたに嫌なことをするやつがいたとしても、あなたを採用した責任者として私がそいつをシメ上げますので、大丈夫です」

「あら……ふふふ」


 穏やかそうな見た目にそぐわない物騒なことをさらりと言うものだから、ついシャノンは噴き出してしまった。

 それを見たディエゴは満足そうにうなずき、求人票を差し出してくる。


「細かい契約はのちほどということで……いかがですか? 少なくとも、ご実家よりはずっといい待遇をするとお約束しますよ」

「……分かりました」


 シャノンは手を差し出し、ディエゴから求人票を受け取った。


(……これまで私は、誰かに命じられた道を歩いてきた)


 シャノンが何かを選び取るのは、きっとこれが初めてのこと。


「よろしくお願いします、ディエゴさん」


 ここで判断をしたことを、後悔しないようにしたい。

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