面影を越えて④
本邸の使用人たちは、エルドレッドの姿を見ると嬉しそうな顔になった。
「お久しぶりでございます、若旦那様」
「久しぶりだな。……こちらが、私の妻となる女性であるシャノンだ」
若旦那様を迎えるために使用人たちがずらりとそろう前でエルドレッドにそっと肩を抱き寄せられたので、シャノンはお辞儀をした。
「シャノン・ブレイディでございます。どうぞよろしくお願いします」
「シャノン様ですね。お噂はかねがね」
この屋敷の使用人の中で一番地位が高いらしい高齢の執事が、にこやかに言った。
彼はエルドレッドの父が当主だった頃に本城で執事として仕えており、主人の引退に伴ってこの町に移ったため、彼の部下だったゴードンが後任となったとのことだ。
「あのお小さかった若旦那様が当主として立派に務められているだけでなく、自力でこんなにお美しいご令嬢をお迎えになる日が来るとは……わたくしめも嬉しゅうございます」
「なんだか若干気になる言い方だが……まあいい。ハミルトン、父上は在室か」
「はい、三階のお部屋でお待ちになっています」
エルドレッドにハミルトンと呼ばれた執事は「すぐに、ご案内します」と言ってシャノンたちに背を向けた。すぐさま使用人たちがさっと左右に分かれ、彼らの間をシャノンたちが歩く形になる。
「……ハミルトンさんも、昔のエルドレッド様のことをよくご存じですね」
廊下を歩きながら話しかけると、エルドレッドは呆れたような顔でうなずいた。
「私が『お小さかった』頃なんてもう十年以上前だというのに、あいつは今でも私のことを子ども扱いしてくる。十五歳の頃には既に、ハミルトンの背を追い越していたはずなんだがな……」
確かに、エルドレッドは大柄だしハミルトンは名前からして王都に近い人間だししかも高齢だしで、かなり小さく見える。
そんな老執事に子ども扱いされるのに困りつつも、頭が上がらない……というところだろう。ランバート辺境伯家に仕える執事は、誰も彼も強かなようだ。
辺境伯領の南部に存在するということもあり、屋敷の見た目や内装は辺境伯城より王都のものに近かった。
天井は高くて、窓から初夏の日差しがさんさんと降り注いでくる。足下が石畳やタイルではなくて磨かれた木材というのもあって、温かみも感じられる。
北国の風習と王都の風習をよい感じに取り込んだ、住み心地のよさそうな屋敷だと思えた。
「素敵なお屋敷ですね……」
「辺境伯城とは全く違うだろう? 私も子どもの頃からこの屋敷が好きで、よく使用人の子とかくれんぼをして遊んだりしたものだ」
そんなことを話していると、三階の部屋に到着した。
南向きの部屋には暖かな陽気が満ちており、ソファに中年男性が腰掛けていた。
(この方が、エルドレッドのお父様……)
おそらく白いものも混じっているのだろう銀色の髪に、がっしりとした体つき。
そこまではシャノンの隣にいる息子と同じだが、目の色はグレーで顔つきは険しい。エルドレッドの柔和な美貌は、母親譲りだったようだ。
「お久しぶりです、父上」
「ああ、久しいな、エルドレッド」
挨拶をした息子をちらっと見てから、エルドレッドの父はすぐにシャノンの方を見てきた。なるほど、エルドレッドが「顔は若干怖い」と言っていたのは本当だし表情も厳しめなので、つい震えそうになる。
だがシャノンはすっと背筋を伸ばしてから一歩進み出て、ドレスのスカートを少し摘まんでお辞儀をした。
「お初にお目にかかります。エルドレッド様と婚約いたしました、シャノン・ブレイディでございます」
ブレイディ、の名を聞いてエルドレッドの父の指先がぴくっと震えた。だがシャノンが自分の義兄の養女になった経緯は彼も聞いているようで、静かにうなずいた。
「エルドレッドの父の、ジョナス・ランバートだ。……エルドレッドから、手紙であなたのことを聞いている。エルドレッドはどちらかというと筆無精だったはずだが、あなたのことになると何かの小説本かと思うほどの量の手紙を寄越してきた」
「……仕方ないでしょう。シャノンのことを報告するということで、ペンが止まらなかったのですから」
父親に皮肉られたというのに、エルドレッドは開き直っている。
「それに、子細述べよとおっしゃったのは父上でしょう」
「私はいずれ義理の娘となる女性について細かに書けと言ったのであり、おまえを主人公とした恋愛小説を執筆しろと言ったのではない。息子の恋模様についての短編小説を読まされる父の気持ちになってみろ」
「分かりました。では、いずれ息子が生まれたときに体験します。……ふふ。私とシャノンの子ども……か……」
「……シャノン嬢。本当に、この息子でいいのか?」
途中から空想の世界に飛び立ってしまった息子を気味悪そうに見るジョナスが問うてきたので、シャノンは苦笑した。
「エルドレッド様でいいのではなくて、エルドレッド様がいいのです。誰にでも優しくできて、領民思いで、強くて格好いい……そんなエルドレッド様だから私も好きになって、おそばで支えたいと思ったのです」
「シャノン……!」
「どけ、エルドレッド。感極まったからといって視界を塞ぐな」
感動のあまりシャノンを正面から抱きしめてきたエルドレッドに、ジョナスが容赦ない叱責を浴びせる。どうやらエルドレッドは、親しい人の前では駄犬化するようだ。
……それはいいとして、恋愛小説云々については後でちゃんと聞き出すつもりだ。
ジョナスと挨拶をして、さあここから未来の舅による未来の嫁への質問攻めか……と思いきや、ジョナスはあっさりと「もう下がってよい」と言った。
「シャノン嬢の人となりは、今のやりとりだけで十分分かった。エルドレッドを御するだけの力があり、礼儀作法も完璧に身に付いている。言葉遣いも、貴族として申し分ない。私から言うことは、何もない」
「……ありがとうございます、ジョナス様」
「ではそろそろ、愛しい恋人を別邸の方に案内してもよろしいでしょうか? ああ、あと父上には白磁を土産として持ってきておりますので、すぐに運ばせますね」
「……おまえ、私に陶磁器を献上すればどうにかなると思っているな」
ジョナスは息子の短絡的な思考を咎めるが、グレーの目が少しきらきらしているように見えるのは勘違いではないはずだ。何だかんだ言って、息子が持ってきた土産の品に興味があるのだろう。
シャノンはエルドレッドに連れられて部屋を出て、廊下で待っていた執事に「シャノンを別邸に連れて行く」と告げた。
「案内は不要だ。もう、自分の第二の実家のような場所だからな」
「かしこまりました。シャノン様も、どうぞごゆっくりお過ごしください」
元々曲がり気味の背中をさらに曲げてお辞儀をした執事に見送られて、シャノンたちは一旦一階まで降り、そこから渡り廊下を使って別邸に移動した。
「あっ、湖……」
「ここからでも見えるだろう? あそこが、私の子どもの頃の遊び場だ」
渡り廊下からは、針葉樹林に包まれるようにして広がる湖が見えた。この屋敷と別邸は少し高い場所にあるからか、青く澄んだ湖面がよく見える。
「あそこで、ボートを?」
「そうだ。せっかくだし、明日一緒にボートに乗らないか?」
エルドレッドが誘ってくれたので、シャノンは彼の顔を見上げて笑顔でうなずいた。
「はい! ……あ、でもエルドレッド様お一人に漕いでもらうことになるのですよね?」
「何も問題ない。愛する人のためにオールを手にボートを漕げるなんて、男冥利に尽きる。あなたは一緒に乗ってくれるだけでいい」
エルドレッドは自信満々に言う。
シャノンはボートのオールなんて握ったこともないから彼の代わりに漕ぐことはできないし、漕げたとしてもそれはそれでエルドレッドのプライドを傷付けそうなので、おとなしく彼に漕いでもらうのが一番だろう。




