面影を越えて③
エルドレッドの父親が暮らす町には、城を出発して三日後に到着した。
真冬であれば到着まで何十日もかかるそうだが、旅に最適な夏ということもあり馬車は順調に進み、針葉樹林を抜けた先に町並みが広がった。
「わあ、小麦畑!」
「ちょうど小麦の収穫の季節だな。ここで作られたパンは、とてもうまい。子どもの頃、よく焼きたてを食べさせてもらったものだ」
「そうなのですね」
「ああ。……おや、皆で迎えをしてくれているな」
辺境伯領主が来ることは町の人々に知らされていたようで、騎士を従える馬車の姿を見て小麦畑で作業していた人や町を歩いていた人たちが足を止め、お辞儀をしてきた。
「窓を開けて、応えよう」
「……私もご一緒して大丈夫ですか?」
「もちろんだ。さあ、こっちへ」
窓を開けたエルドレッドに手を引かれたシャノンが座ったのは、エルドレッドの広げた膝の間。
まるで父親に抱っこされる娘のようだが、二人の体のサイズと馬車の狭さを考えると、こうでもしないと二人一緒に窓の外に向かって手を振ることができない。
民たちに手を振るエルドレッドに倣って、シャノンもぎこちなく手を振る。
(こ、こういうのは初めてだわ……!)
シャノンは元令嬢であって、王族ではない。それにウィンバリー子爵家は領地を持たない貴族だったので、民に向かって手を振るというのは初めてだった。
ぎくしゃくしてしまうシャノンだが、民たちはシャノンの姿を見てにっこり笑っていた。
「私のことも、皆知っているのですか?」
「今日の旅行に婚約者を連れていることは、もちろん皆知っている。だが、こんなに愛らしい天使だったとは思わなかったのだろう。……おや、あそこにいる若者があなたの方を凝視しているな。窓を閉めるか」
「だめですっ!」
「はは、分かっている。冗談だ」
……エルドレッドは朗らかに笑って件の若者にも手を振っているが、場所が場所、状況が状況なら、本当に窓を閉めてカーテンまでかけてしまったかもしれない。
馬車はのどかな田舎町の通りを進み、やがてその先に小さな屋敷が見えてきた。
「あれが、父上がお住まいの場所だ」
エルドレッドは開けたままの窓から腕を出して屋敷を指さし、そしてその横の方に指先を滑らせる。
「それから、私たちが滞在する予定の別邸はあちらにある」
「あっ、別の建物なのですね」
「……屋敷の方は本来、領主夫妻の住まいだからな。それに、ラウハたちも連れるとしたら別邸の方が広さの点でもいい」
確かに、ついてきてくれたラウハたちまで本邸の方にお邪魔したら、かなりの大所帯になってしまいそうだ。
馬車はまず、本邸の前で止まった。そこでシャノンたちを下ろしてから別邸の方に向かい、荷物を運び出すそうだ。
「さて、行こうか」
「はい……」
「大丈夫だ。父上は顔こそ若干怖いが、中身はそうでもない。手紙でも、シャノンに会いたいとしつこく書いていたくらいだからな」
緊張するシャノンの背中に手のひらを添えて、エルドレッドは力強く言った。
「それでも不安なら……とっておきの魔法の言葉を教えよう」
「魔法の言葉?」
「ああ。……父上は、陶磁器に目がない。だからどうしても父上と一緒にいるのが苦痛になったら、『お土産は白磁です』と言いなさい。その瞬間、父上は手土産として持ってきた陶磁器のことが気になって仕方なくなるから、その隙に逃げればいい。私も昔からよく使ってきた手法だ」
エルドレッドが自信満々にそんなことを言うので、シャノンは小さく噴き出した。
そういえば城を出発する際、エルドレッドが騎士たちに「これは絶対に割れないように」と言って、大きな箱を運ばせていた。なぜ長旅に割れ物を、と思ったのだが、父親への手土産だったようだ。
なおシャノンはシャノンで手土産として、道中の町で花束を購入している。
エルドレッドが冗談めかして言うものだからシャノンが笑うと、彼はほっとしたようにうなずいた。
「ああ、その笑顔が一番いい。私の天使は、やはり笑っている顔が一番素敵だ」
「ふふ、ありがとうございます」
背中に手を添えてくれるエルドレッドの腕に触れると、そこから勇気を分けてもらえるような気がした。




