面影を越えて①
ここから夏編です。11話+おまけ1話です。
今回のエルドレッド駄犬化率はいつもよりは控えめです。
『ごきげんよう。何かご覧になっているのですか?』
おもしろくも楽しくもないパーティーに飽き飽きしていると、そんな声がかかってきた。
不機嫌を隠そうともしない顔のままでそちらを向くと、見たことのない令嬢がいた。アッシュグレーの巻き毛と青い目が印象的な、かわいらしい雰囲気の女性だ。
『壺を見ているだけだ』
興味津々で尋ねられたが会話をする気になれないので、そう言った。
嘘ではない。パーティーの雰囲気が嫌なので、会場の隅に置かれていた陶磁器を眺めていたのだ。
すると令嬢は「まあっ!」と声を上げた。
『あの壺、とっても素敵ですよね!』
『なに?』
思わず令嬢の方を凝視すると、彼女は微笑んだ。
『わたくし、美術品が好きなのですが……陶磁器に特に関心がありまして。様々な陶芸家の作品の中でも、百年ほど前に活躍したジョール・ハトソンの絵皿は見ていてうっとりしてしまうくらいで……』
『分かるっ! ……あ、いや、すまない』
自分も推している陶芸家の名前が出てきたので過敏に反応してしまい、恥ずかしくなってきた。
だが令嬢は穏やかな微笑みを浮かべて、隣に座ってきた。
『よろしかったら、陶芸品のお話をしません?』
『……喜んで』
ぎこちなくうなずくと、令嬢は嬉しそうに笑った。
あの日の出会いが、人生の分岐点だった。
最愛の人と出会えた記念すべき日であるが……彼女の運命を変えてしまった日でもある。
もし、あの日自分と出会いさえしなければ。
彼女は今も、生きていられたかもしれないのに。
「ご準備はよろしいですか?」
執事のゴードンに尋ねられて、エルドレッドはうなずいた。
「ああ。私たちが留守の間、城のことは頼んだ」
「お任せください。……閣下こそ、シャノン様たちに迷惑をかけませんように」
「……分かっているとも」
子ども扱いされたのが不服のようでエルドレッドは少し顔をしかめたが、自分が周りに迷惑をかけかねないことは重々承知しているようで、殊勝な態度でうなずいた。
日よけの帽子を被ったシャノンはエルドレッドと並んで本城の玄関前におり、周囲には城勤めの使用人や騎士たちが集まっていた。
「では皆、行ってくる」
「いってらっしゃいませ、閣下、シャノン様!」
「お気をつけて!」
皆に見守られながら、シャノンたちは中庭に待機している馬車のもとに行く。そこにはラウハたち北方騎士団の正騎士がおり、彼らが整列しお辞儀をする中、エルドレッドに手を取られたシャノンは馬車に乗った。
「では、行こうか」
「はい。……楽しみです」
「そうだな。私も……楽しみだ」
二人が乗車してドアが閉まり、お付きの者もそれぞれ騎乗すると、馬車が動き出した。
辺境伯家当主とその婚約者を乗せた馬車は本城前の門をくぐり、城下町に下りる。そこでも仕事の手を止めた人々に見守られながら大通りを南下し、外側の門も通過する。
門の外は、青草茂る夏の風景が広がっていた。
王国北端に位置するランバート辺境伯領の夏は、王都で生まれ育ったシャノンにとっては「暖かいなぁ」くらいだ。日差しも弱く、日中外に出ていてもほんのり汗ばむ日があるかないかという程度。
逆にこの北の大地で生まれ育った人たちは、王都の夏はかなり厳しいそうだ。エルドレッドもなるべく夏は王都に行きたくないそうだし、領地で育った馬たちもへばってしまうという。
(冬の間は守られっぱなしだった私も、夏の王都ならエルドレッド様たちを支えられるかもしれないわね……)
もしエルドレッドが夏に王都に行かざるを得ない状況になったとしても、そのときはいつもと逆にシャノンが彼を支えられそうだ。
そういうことでランバート辺境伯領の人々は夏の暑さに敏感で、シャノンが被っている日よけ帽子もメイドが押しつけたものだ。シャノンとしてはこれくらいの日差しで肌を傷めたりはしないのだが、相当心配されてしまった。
これからシャノンたちは、辺境伯領南部にある町に向かう。
(エルドレッド様の、お父様……。やっとお会いできるわ)
シャノンは、膝の上でぎゅっと拳を固めた。
シャノンとて、決して暇ではない。特に今は、いずれシャノンの後任となる事務官採用について考える必要がある。
だがエルドレッドの父のもとに挨拶に行くという大仕事の方が優先されるので、後任者捜しはディエゴやレイラたちにいったん任せ、ラウハら騎士を伴い外出することになったのだ。




