春が呼ぶ再会⑦
シャノンが息を呑んだ瞬間、女性ははっとした様子で身を翻した。すぐさまラウハが進み出て、「曲者!」と叫ぶ。
「シャノン、すぐに兵士を呼ぶ!」
「待って、ラウハ!」
シャノンは、今にも走り出しそうだったラウハの手を掴んだ。
「乱暴はしないで!」
「シャノン?」
「先生……待って、先生!」
かなり年を取ったように見えたが、間違いない。
ラウハも何かを察したようで、シャノンに掴まれていない手を鎧の内側に入れ、そこから出した笛をピィーと鳴らした。そうして走ってきた兵士に、「あの女性を捕まえろ。乱暴はするな!」と命じた。
辺境伯城の街を守る兵士は騎士とは役割が異なり、直接命令を受ける立場ではない。だが今のラウハはエルドレッドの恋人であるシャノンの護衛をしており、未来の辺境伯夫人を守りその願いを叶えなければならないという点では騎士も兵士も共通している。
すぐさま兵士たちは針葉樹の林に向かって走り出し、間もなくコートの女性を連れて戻ってきた。ラウハの命令どおり、捕縛するのではなくてあくまでも女性の両脇を固める形である。
「連れて参りました」
「ご苦労。君たち、立ち会いを頼む」
「はい」
いつもの陽気な表情から一転して凜々しく指示を出したラウハに従い、兵士たちはその場に直立不動の姿勢を取る。
その間で、小柄な女性がうなだれていた。今の間にフードを被ったようで、シャノンからはフードの頭がやけに大きく見えていた。
……女性は、自分の顔を見せるつもりがないようだ。体が小刻みに震えているからか、さしものラウハも態度を和らげた。
「……そなたは、何者だ? なぜ、シャノン様の後をつけていた?」
ラウハが問うと、女性は首を振りながら「申し訳ございません」とかすれた声を上げる。
「私は……決して、お目に留まるつもりはございませんでした。ただ、シャノン様のお姿を見守られたら……ただそれだけできれば、と」
「……そなたは」
何か言いかけたラウハの手を、シャノンはツンツンとつついた。彼女に見つめられたシャノンがうなずくと、ラウハは小さく息をついてから肩を落として一歩下がってくれた。
シャノンは、一歩前に出た。すると女性はますます体を小さくさせて、シャノンの視線から逃げるような格好になる。
「……先生、ですよね?」
震える声で、シャノンは尋ねる。
ずっと、忘れなかった。
忘れるはずのない、シャノンにとって王都に残っているたった一つの、楽しい思い出。
母が連れてきてくれた、薄給で雇われたという女性家庭教師。
彼女は、当時八歳で知らない女性を前に怯えるシャノンを前にして膝を折り、視線の高さを合わせてくれた。
『初めまして、シャノンお嬢様。今日からあなたの家庭教師になりました――』
「ねえ、そうでしょう? レイラ先生……!」
シャノンが叫ぶような声で言った途端、女性の膝ががくっと折れてその場に座り込んだ。その拍子にフードが外れ、白髪混じりの黒髪が露わになる。
……出会ったときに既に三十歳を過ぎていた彼女だが、その頃は髪が真っ黒だった。頬はふっくらしていたし、こんなに痩せていなかった。
「シャノン様……お嬢様……!」
「あなたは……シャノン様の、家庭教師か?」
シャノンが雑談で先生のことを話していたのを聞いていたからか、ラウハは察したように問い詰める。
とうとう名指しで呼ばれて逃げ場がないと思ったのか、女性――シャノンの「先生」であるレイラは、力なくうなずいた。
「さようでございます……。私はかつて、ウィンバリー子爵家のご令嬢の家庭教師として雇われた、しがない女でございます……」
「やっぱり、先生……! どうしてここに……?」
シャノンがその場にしゃがんで問うと、レイラはうつむいた。
「……王都で、あなたがランバート辺境伯閣下の婚約者になられたと聞きました。もう私には、家族も財産もございません。ですが……修道院入りする前に、せめてひと目だけでもあなたの姿を見たいと思いました……。ご実家で苦労されていたあなたが、幸せそうにされている姿を……」
「先生……」
そこでレイラははっとした様子で顔を上げ、何やら怯えた表情で自分の体をぎゅっと抱きしめる。
「それだけでございます! すぐに、ここを出て行きます! 決して、金品を乞うたりはいたしません! どうか、お見逃しください……!」
「待って、先生! 落ち着いて!」
怯えて震えるレイラにシャノンが声をかけると、間にそっとラウハが割って入った。
「……彼女がシャノン様の恩師であるというのは、間違いないようだ。ここでは、ゆっくり話もできない。シャノン様、彼女を城に連れて行くのはいかがでしょうか」
「なりません! どうか、私のことなどお見捨ておきください!」
「……そんなの、できるわけないでしょう!」
思わずシャノンは声を上げ、立ち上がった。
そしてきょとんとするレイラの手を引いて、立ち上がらせる。
『こちらですよ、シャノン様』
……そう言ってシャノンの手を引いてくれたときは大きいと感じた手が、今はこんなに小さく、骨張って感じられるなんて。
シャノンと別れてからの十年間、レイラが歩んできた道のりが険しいものだったと否応なく想像させる手のひらに、胸が痛くなってくる。
(私は、先生のおかげでここまで来られた)
「ラウハ、城に連絡を。先生を連れて行きます」
(だから、今度は私が先生を助ける)
シャノンの言葉に、ラウハだけでなく兵士たちも姿勢を正し、深くお辞儀をした。




