35 訣別②
「……先ほどから、何を言っているのか知らないが」
そこでエルドレッドは口を開いてシャノンの腰をそっと引き寄せて耳元にちゅっと唇を落とし、それから威嚇するような目で子爵家の面々を見た。
「少なくとも……そこの令嬢、あなたの解釈は間違っている。私はシャノンに捕まったのではなくて、私がシャノンを捕まえたのだ。絶対に他の男に渡したくない、と強く思って、な」
「なっ……!」
「それから、そちらの令嬢」
「そこ」扱いされた姉が顔を真っ赤にする傍ら、今度は「そちら」呼ばわりされたオリアーナが期待に目を輝かせるが――
「先ほど、シャノンが言ったとおりだ。……私には、指一本触れないでくれ。私はシャノン以外の女性に触れる趣味はないし、触れられたくもない」
「えっ……」
「最後に、おまえ」
とうとう「おまえ」扱いされた父がびくっと身を震わせ、エルドレッドは小さく首を傾げた。
「先ほどからおまえたちは、シャノンのことを娘だの妹だのと呼んでいるが……何か、勘違いしていないか?」
「……そ、それは勘当の件ですか!? ですので、そちらは誤解で――」
「私の婚約者の名は、シャノン・ウィンバリーではない」
エルドレッドは懐に手を入れて、そこから出した書類をぱっと開いて父たちに見せた。
「彼女は先日、ブレイディ侯爵家の養女となった。彼女の名は、シャノン・ブレイディ。ブレイディ侯爵令嬢であり、いずれランバート辺境伯夫人となる女性だ。ウィンバリー子爵家とは何の関係もない」
「え」
父はぽかんとして、目の前の書類をまじまじと見ている。それに姉と妹と……それからさすがに気になったのか母ものぞき込んできた。
……王都に来た日、シャノンたちはとある貴族の家を訪問した。
それは、ブレイディ侯爵邸――エルドレッドの生母の実家である。
エルドレッドの両親は陶磁器という共通の趣味を持つことで意気投合し、恋愛関係になった。だがブレイディ侯爵家は娘を僻地に嫁がせることに反対し、二人は侯爵家を振り切るような形で辺境伯領に行って結婚した。
だがエルドレッドの母は線の細い人で、エルドレッドを産んだ年の冬に肺炎により亡くなった。
これを聞いた侯爵家は激怒し、二度とうちと関わるなと辺境伯家との絶縁宣言をした。
しかし、時間が流れれば人の心も変わる。
そして辺境伯が後妻を迎えることなく亡き妻のみを想い、忘れ形見の息子のこともしっかり育てたということもあり、エルドレッドが成人したのを契機に両家は和解した。
それから、侯爵家は娘が遺したエルドレッドのためにできることをしたい、何かあればいつでも言ってくれ、と申し出てくれた。
だからエルドレッドは、シャノンとの結婚について侯爵家に相談した。
先日彼と一緒に侯爵邸を訪問したシャノンを、エルドレッドの母方の祖父母が迎えてくれた。彼らは娘の忘れ形見が立派に成長していること、そして結婚を考えるようになったことを、喜んでくれた。
彼らはかつての約束を守るべく、動いてくれた。
まずはシャノンが本当に子爵家から勘当され貴族名簿から除名されているのを確認し、彼女を貴族の娘として復活させる方法を考えた。
そうして妥当だとされたのが、ブレイディ侯爵家現当主であるエルドレッドの母方の伯父の養女となることだった。つまり、シャノンをエルドレッドの従妹にするのだ。
王国では近親婚を避けるためにいとこ同士での婚姻を禁じているが、これは両者に血縁上の関係がある場合のみとされている。
養子縁組みによって結ばれた血縁関係のないいとこであれば、結婚が許される。むしろこれは貴賤結婚を解決するために、昔からよく使われる有名な手法だった。
妹の忘れ形見の願いを叶えるのならば、ということで、伯父も快諾してくれた。
こうしてシャノンはエルドレッドの伯父の養女として、ブレイディ姓を名乗ることが許された。
これさえクリアすれば、あとは楽だった。
国王に提出する書類には、エルドレッド・ランバートとシャノン・ブレイディの名が書かれている。二人が本当のいとこではないことは証明済みなので、国王の許可もすんなり下りる。
むしろ、「あのエルドレッドが、好いた女のためにここまでするとは」と茶化すようなお言葉さえ添えられていたとか。
侯爵家と国王を味方につけられた二人に、もう怖いものは何もない。
シャノンの背後にはブレイディ侯爵家がおり、二人の結婚に異を唱えようものならそれは国王の判断をないがしろにしたことになる。シャノンとウィンバリー子爵家の縁は完全に切れているので、親戚面されることもない。
……ということを、エルドレッドは簡単に説明した。
それを聞いた父は真っ青になってうなだれるし、姉は「えっ? 妹じゃない? えっ……どうしよう」と挙動不審で、妹は妹で「……じゃあ、わたくしにチャンスはないの!?」と勝手に怒っていた。
「……シャノンはおまえたちとはもう、関わってほしくないという。だから、私たちに二度と近づくな。……行こう、シャノン」
「……はい」
書類をしまったエルドレッドが言うので、シャノンは応じてから……振り返り、母と視線を交わした。
母はこれまでのやりとりの間、一言も言わなかった。さすがにシャノンが侯爵家の養女になったことを知ったときには驚いた顔をしていたが、それでも何も言わなかった。
母もまた、シャノンを見た。
最後に会ったときより、ずいぶん老け込んだように思われる母は……声には出さず、口の形だけで伝えてきた。
『幸せに』と。
(ありがとうございます、お母様)
シャノンは軽く目を伏せることで応じて、前に向き直った。
心の奥底で、母も幸せになるようにと呼びかけながら。
シャノンたちはその後すぐに会場を離れたので、これ以降はあくまでも噂の範疇だが。
シャノンを利用しようとした父は「娘を勘当したくせに、手のひらを返した恥知らず」と社交界での笑いものになったという。せめてあの場で、勘当したことを謝るくらいのことをすれば、未来は違ったかもしれないのに。
そしてそろそろ結婚している時期なのではとシャノンも思った姉のダフニーはなんと、婚約者とは結婚できなかったそうだ。
その理由はいろいろ噂されているが最も有力なものは、姉の悲劇のヒロインぶり体質にほとほと呆れた相手の男が浮気相手と一緒に逃げたから、というものだった。
真偽のほどは分からないし、シャノンにとってもどうでもよかった。
そして妹のオリアーナはあれでなかなか図太いので、今もあちこちの男性にアプローチをかけているそうだ。
したたかで計算高いので恋人が絶えることはないが、その恋人の数もだんだん減り、しかも相手も高齢化して最近は中年男性と一緒にいる姿をよく見かけるとか、見かけないとか。
母がどうしているのか、シャノンは長く知ることはなかった。だがもっと長い時間が流れて、「ウィンバリー子爵夫妻が離婚したらしい」ということを聞いた。
その後の母がどこで何をしているのか、シャノンが知ることはなかった。




