33 戦いに向けて
(ここに戻ってくるのも、半年ぶりね……)
春の陽気に満ちた王都の街並みを、シャノンは不思議な気持ちで眺めていた。
今、シャノンは辺境伯家の紋章入りの馬車に乗って王都の大通りを進んでいる。二十一年間、ウィンバリー子爵家の次女として過ごしてきた故郷だというのに、望郷の気持ちはほとんど湧いてこない。
(たった半年だけれど、もう私はすっかり北の国の人間になってしまったのかしら)
この調子だと、王都で過ごす夏が暑くてかなわない、と思えてしまいそうだ。
それはそれで嬉しいことなので思わずくすっと笑うと、隣に座っていたエルドレッドがこちらを見てきた。
「何か面白いものでも見えたか?」
「いいえ、特には何も」
「そうか。……私にとっては一年に一度来るか来ないかの場所だが、あなたにとっては生まれ故郷だろう。行きたい場所などはないか?」
「……大丈夫です、ありません」
生まれ育った場所、王都。
思い出がないわけでもないが、シャノンにとって王都で過ごしていて楽しいと感じたのは、子どもの頃に家庭教師の先生と一緒にいた頃くらいだ。
(そういえば、ジャイルズはもう王都にいないそうね)
情報収集したメイドが教えてくれたのだが、かつて某公爵邸でシャノンに婚約破棄宣言をしたジャイルズは、「公爵閣下の誕生祝いの席で、なんということを」と顰蹙を買った。
おかげで貴族たちから総スカンを食らい、「無礼なモヤシ男」と笑われることに堪えられなくなった彼は領地に逃げていき、それ以降社交界で姿を見せないという。
(興味深いけれど、どうでもいい情報だったわね)
ふっ、と小さく笑い、シャノンは目を細めた。
シャノンが唯一大切にしておきたい先生との思い出は、自分の胸の中にきちんと刻まれている。だから、もう王都に未練はない。
エルドレッドは「そうか」と短く言い、シャノンの髪を一房手に取って唇を落とした。
「確認になるが……私たちの婚約に関しては、三日後に国王陛下が開かれるパーティーで公表されることになる」
エルドレッドの言葉に、シャノンはうなずいた。
王国貴族の婚約発表の仕方は、人それぞれだ。
結婚報告の際には国王夫妻に謁見を求める必要があるが、婚約であればさらっと書面だけで済ませる者もいれば、自邸で開いたパーティーでサプライズのように知らせたり、また今回のシャノンたちのように大規模なパーティーでお披露目するという方法もある。
その中であえて二人は、一番衆目を集める方法を選んだ。
こうすることで、シャノンが王都にいる間必然的につきまとう『壁令嬢』の蔑称や婚約破棄されたこと、実家から勘当されたことといった苦い思い出を払拭できると思ったからだ。
「国王陛下については、問題ない。私たちの婚約に関する報告書は既に送っていて、許可のお言葉ももらっている。国王陛下は私の遠い親戚にもあたるので、全面的に応援してくださるとのことだ」
「ありがたいことです」
「後は……私の未来の妻が悲しむような要素を、全てこの会でひねり潰せたらいい」
そう言うときのエルドレッドはどこか含みのある笑みを浮かべていた。
なるほど、これが彼の「狼」らしい表情なのだろうが、シャノンがそっと彼のあごを撫でると甘えるように頬ずりしてきた。
「ありがとうございます。でも、無理はなさらないでくださいね」
「無理なんて、何一つないさ。……私のかわいい姫君のためなら、何でもする。どうか私に任せてくれ」
「頼りにしています、エルドレッド様」
心からの感謝を込めてエルドレッドの頬を撫でると、彼は「もっと撫でてくれ」とうっとりと目を細めた。
……いつの間に、シャノンは猛獣使いになったのだろうか。
国王主催のパーティーで、シャノンはエルドレッドから贈られたドレスに袖を通した。
婚約してから、エルドレッドはシャノンにこれでもかというほどの贈り物をしてくれる。
ドレスや靴、髪飾りなどの服飾品はもちろんのこと、花が育ちにくい雪国でもめげずに花を買い求めてくれるし、化粧品や家具など、もう十分だと思うほどの量のものを贈ってくれた。
今回王都に持ってきたドレスもエルドレッドが用意したもので、それを纏ったシャノンを見た彼は、ほうっと息を吐き出した。
「シャノン……とてもきれいだ」
「ありがとうございます、エルドレッド様。……こういうドレス、あまり着たことがないので嬉しいです」
「あなたのきれいな肩の形と背中がよく見えて、素敵だよ」
エルドレッドはそう言って、露わになっているシャノンの背中に唇を落とした。
普段彼が贈ってくれるドレスは、基本的にどれも雪国仕様だ。生地は厚めで、首元から手首まですっぽり覆うデザインにすることで冷気が入り込むのを避ける。そんなドレスに合うように、髪はまとめて毛皮でできた帽子を被ることが多い。
だが今回の舞台は王都なので、今王国で流行っているデザインをふんだんに取り入れた。
スカートラインはストレートだがお尻の部分を膨らませて、ボリュームを持たせる。裾にはレースをたっぷりあしらっており、そして胸元や背中を大胆に開けるというのが今の流行らしい。
昔だったら、どんなに流行っていたとしてもシャノンがこういうデザインのものを着ることはなかった。
ふくよかな姉やスレンダーな妹なら胸や背中のラインを美しく見せられるが、シャノンだと肩幅の広さが目立ってしまい『壁令嬢』のあだ名をほしいままにしてしまうからだ。
(正直なところ、これを着るまではちょっとだけ怖かったわ)
胸と背中が大胆にカットされたデザインは、昔の自分のコンプレックスを刺激してくる。
だが、エルドレッドが贈ってくれたものであり――コンプレックスを打破したいと思うから、シャノンはこれを身に纏った。
そして、エルドレッドは大袈裟なほどシャノンを褒めてくれた。男のように広くて不格好だと言われた肩を「きれい」と言い、骨の大きさが目立つ背中にキスをしてくれる。
(……もう、大丈夫だわ)
壁と罵られ心の中で泣いていたシャノンは、もうどこにもいない。
エルドレッドが愛でてくれるこの体を、シャノンも愛することができるから。
「……私、あなたに見初めてもらえて本当に幸せです」
シャノンが正直な気持ちを吐露するとエルドレッドは小さく笑い、シャノンを自分の方に向かせてからそっとキスした。
「それは私の台詞だ。こんなに可憐で愛らしい天使を私だけの人にできるなんて、どれほど神に感謝しても足りないくらいだ」
「エルドレッド様……」
「だが……このきれいな背中が不特定多数の者に見られるのは、なんだか嫌だな。これを着けなさい」
そう言ってエルドレッドがメイドから受け取ったのは、薄手のショール。
北の国に古くから伝わる文様が刺繍された純白のレースショールをふわりとシャノンの肩にかけて、背中や肩のラインが見えにくくする。
「うん、これでいい。……その背中で魅了するのは、私だけにしてくれ」
「私の背中で魅了できる人はあなたくらいだから、大丈夫だと思います」
「あなたは未だに、自分の魅力を分かっていないな。……まあ、領地に帰るとこのドレスを着ることはないし、堪能できるのは私一人だからいいか……」
エルドレッドがぶつぶつ言うので、こら、と彼の背中を軽く叩く。
筋肉質で大柄な彼なのでシャノンの一撃くらいなんともなさそうだし、逆に嬉しそうだった。




