31 『ご褒美』の行方②
自分が言い出したことなのに緊張していると、エルドレッドが「シャノン」とどこか神妙な声で言った。
「私はどうやら自分の感情を隠すのが苦手なようで、これまで散々ディエゴやゴードンたちにからかわれてきた。だから……きっと、あなたも気づいているのだと思う。でも、きちんと言わせてくれ」
「は、はい!」
「シャノン、好きだ。かわいくて一生懸命で怒った顔もいっそう魅力的なあなたが、大好きだ」
甘くて優しい声音で囁かれて、シャノンの肩がびくっと震えた。
まさに、愛の告白。
途中で異物が混入していた気もするが、そこまで気にならない。
(やっぱり……そうだった)
そうかもしれない、とは思っていた。
エルドレッドはシャノンのことが好きで、結婚とかのことも考えているのかもしれない、と耳年増なシャノンは想像していた。
……それは、本当だった。
エルドレッドは、故郷で『壁令嬢』と呼ばれ捨てられたシャノンのことを、好きになってくれた。
「……嬉しいです、閣下」
「で、では!」
「私も、あなたのことが好きです。……好きなのだと、ごく最近気づきました」
そう、あの、ラウハと恋人の密会場面を見たとき。
ラウハの恋人とエルドレッドが全く同じ表情をしていたことがきっかけで、気づいてしまった。
(私も……閣下のことが、好き)
この、温かくて優しい気持ちにつける名前に。
エルドレッドは青色の目を見開くと口元を手で押さえ、そこから野犬のような低いうなり声をもらした。
「どうしよう……ものすごく、嬉しい……! ああ、シャノンも同じ気持ちでいてくれるだなんて!」
「閣下……」
「私のことはどうか、エルドレッドと呼んでくれ」
「分かりました。エルドレッド様」
初めて名前を呼ぶことになり少し恥ずかしがりながらも言うと、エルドレッドは「いいな……すごくいいな……」とつぶやいた。
「それから、だな。あなたの首の傷が痛むようなら後日でいいのだが……口づけを、してもいいだろうか」
「っ、はい! 是非今、してください!」
遠慮しつつ尋ねられたので、シャノンの方からがっつり食いついた。
『ご褒美』のことをしっかり考えている今のシャノンからすると、ファーストキスはまさにウェルカム状態である。
許可をもらったエルドレッドはふーっと大きく息を吐き出し、シャノンの両頬に手を添えた。
彼の大きな手に挟まれるとそれだけでなんだか安心できて硬い手のひらに頬ずりをすると、「あまり私を煽るな……」とかすれた声で懇願された。
エルドレッドの顔が近づいてきたので、シャノンはとっさに目を閉ざした。
おかげで目の前が暗くなり、いつ唇が寄せられるかという期待と緊張と不安で胸がどきどきして……吐息が絡み合い、唇がそっと重なった。
軽く触れて離れるだけの、かわいらしいキス。
「……初めてのキスがあなたで、よかった」
唇が離れたところで目を開いたシャノンがそうつぶやくと、エルドレッドは驚いたように目を丸くした。
「初めて? 元婚約者とは、していないのか?」
「あの人とは、手をつなぐことさえ稀なくらいだったので……」
「そうか。……シャノンの唇をもらった初めての男は、私なんだな」
「はい。そして叶うことなら、最後の人でもあってほしいです」
シャノンが笑顔で言うと、エルドレッドは「んんっ」と低くうめいて少し身をのけぞらせた。
あまりにも自分らしくない発言だったのでドン引きされたのだろうかと思うと悲しくなったが、彼の顔が真っ赤なのでそうではないとすぐに分かった。
「……もちろんだとも。シャノン、私はあなただけを生涯愛し……妻として迎えるつもりなのだからな」
「ん……あ、えっ」
それはさすがに想像していなかったのでシャノンが驚いた声を上げると、エルドレッドは「あなたは、そうではなかったか……?」としゅんとした。飼い主に叱られた犬が、まさにこんな感じだろうか。
(いや、そうではなかったというわけではないけれど……)
エルドレッドは真面目な男だから、恋の延長線上に結婚があると考えるのだろう。
彼の性格を考えるとそれも当然だろうし、そう遠くない未来結婚や子どもを持つことを考えねばならない立場の彼だから、シャノンを恋人ひいては生涯の伴侶にすると決めるのもおかしなことではないのかもしれない。
「それは……とても、嬉しいです」
「そうか!」
「でも私は、平民です」
「身分のことなら、どうにでもなる。あなたには高い教養と淑女としての作法が備わっているのだから、もうこれ以上求めるものなんて何もない」
「その……私、故郷では『壁令嬢』と呼ばれておりまして」
「……ああ、確か、王都の基準では背が高い方だからだったか? そんなの、この地方では問題にならないどころか、あなたは小さくてかわいい。それに私は、あなたのしっかりとした強さと意志を感じられる背中が、大好きだ」
そう言いながらエルドレッドは、シャノンの背中や肩に触れてくる。
それは決して官能的なものではなく、シャノンが長年抱えてきたコンプレックスを静かに優しく解きほぐすかのような手つきで、むしろ彼に撫でられて嬉しい、気持ちがいいとさえ思われた。
シャノンの身分も、高身長も、エルドレッドは全く問題ないと言ってくれる。
シャノンという一人の人間を見てくれる。
それが、とても嬉しい。
「……私、あなたの妻として恥ずかしくない人になれるでしょうか」
「もう十分、あなたは私が求めるものを満たしている。それに、あなたはもはや北方騎士団……だけでなくこの城中の人気者だ。あなたが私の妻になると言えば皆、諸手を挙げて喜んでくれるだろう」
それは、シャノンもなんとなく想像できた。
(……何事も、やってみないと分からない。私にとっての「大当たり」は、この辺境伯領にあったのね)
大昔に家庭教師の先生に言われたことを思い出してくすっと笑ったシャノンは、エルドレッドの胸に身を寄せた。
「……ありがとうございます、エルドレッド様。私、あなたの奥さんになれるように頑張ります」
「シャノン……! で、では私と婚約してくれるか?」
「……はい」
恋人になると同時に、婚約者。
一気に飛んでいった気もするが、エルドレッドは高位貴族なのだからこういうことも珍しくはない。
シャノンがうなずいたのを見てエルドレッドは安堵したようで、「よかった!」と大きな声を上げた。
「ああ……信じられない。こんなにかわいい人を、私の妻にできるなんて。……どうしよう、夢を見ているのだろうか? 実は私はユキオオカミ調査中に雪山で転んで昏倒し、未だ非現実世界にいるのではないか……?」
「現実ですから、安心してください」
ほら、とシャノンがエルドレッドの頬を軽く抓ると、彼は「本当だ、痛い」と納得してくれた。それはいいのだが、「もっと抓ってもいい」とやけに嬉しそうな顔をするのは、どうにかしてほしい。
「……では諸々が落ち着いたら、皆にも知らせよう。シャノン、あなたと結婚を見据えた交際を始められること……とても嬉しく思う」
「私もです。……どうかよろしくお願いします、エルドレッド様」
「ああ」
エルドレッドはシャノンを抱き寄せてほう、と息をついてから、腕を離した。
「……今日はいい一日になった。素敵な『ご褒美』をありがとう、シャノン。では名残惜しいが、そろそろ行かなければ」
「はい――えっ?」
「えっ?」
「『ご褒美』って、どういうことですか?」
甘い気持ちに浸っていたシャノンははっと覚醒して、今にもソファから立ち上がりそうなエルドレッドの服の裾を掴んだ。




