3 『壁令嬢』、家を出る
ジャイルズは「シャノンに恥を掻かされた」と言い、彼の父も「ただでさえ大柄で見栄えがしないのに、横暴なことをする女性を嫁にすることはできない」と言って、婚約破棄を申し出てきた。
これを聞いたシャノンの両親は怒り狂い、「せっかく結んでやった縁を、よくも!」とシャノンを責めた。
姉のダフニーは「私がもっとちゃんと、シャノンを教育してあげていれば……」としおらしく涙を流して両親の同情を誘い、妹のオリアーナは「シャノンお姉様は馬鹿だから、仕方ないわね!」と笑った。
どちらも非常にウザかった。
婚約破棄になっただけでなく、男爵家への融資が白紙になったというのも両親にとっては痛手だったようだ。
「おまえがおとなしく嫁いでいれば、数年もすれば元手が倍になって返ってくるはずだったのに!」
「せっかく、二十年以上も育ててやったというのに!」
どうやら両親は、シャノンをマート家に嫁がせる際に提供した金が大金になって返ってくると踏んだ上で、マート家への融資を提案したらしい。
娘の持参金なんて甲斐性のあることをする人たちではないとは思っていたが、やはり最初からシャノンを利用して金を稼ぐ予定だったようだ。
既に姉は名門伯爵家の次男を婿に迎えることが決まっており、妹もたくさんの恋人の中からそろそろ本命を見つけるべきかと思っている頃。
そんな今、二十一歳にして婚約者なしになってしまったシャノンを、家族が丁重に扱ってくれるはずもない。
「出て行け! おまえのような醜女をこれ以上養うつもりはない!」
つばをまき散らしながら父が叫ぶと、さしもの母もぎょっとしたようだ。
「あなた! でもシャノンにも、まだ嫁ぎ先が……」
「私がもう、こいつの顔を見たくない! 自分の娘だとも思いたくない! 私の娘は愛らしいダフニーとオリアーナだけで十分だ!」
それまでは母と同じく突然の勘当命令に驚いていた姉と妹も、父に褒められたからか一気に態度を変え、「そうよね」「私たち二人だけで、十分だわ!」と手のひらを返した。
母は勘当までは……とは思っていたようだが、父の圧力とダフニーとオリアーナの「私たちも、シャノンが家族だなんて恥ずかしいわ!」「お母様、どうかご英断を!」というすがるような言葉に絆されたようで、やがて厳しい表情でうなずいた。
「……そうね。きっと、あなたのような子を産んだのが、間違いだったのよ」
「お母様……」
「出て行って。……私の娘はもう、ダフニーとオリアーナだけで十分だわ」
母は冷えきった声で言い、シャノンに背を向けた。
母に背を向けられて言葉を失うシャノンを、ダフニーが哀れむような眼差しで――だが口元は笑っている――、オリアーナが隠そうともせずけらけらと笑いながら、見ていた。
シャノンが家を出ることになったのは、婚約破棄が決定してから三日後のことだった。
父は即日シャノンを追い出そうとしたが、母とほんのわずかな使用人があれこれ言い訳をして留めさせ、二日間の猶予をもらえることになったからだ。
出発の日の朝、質素なワンピース姿でトランク一つを抱えたシャノンに、母は無表情で小さな革袋を押しつけてきた。
「お母様、これは?」
「……」
母は、表情を固まらせたまま何も言わない。三日前の夜から、母はシャノンに口を利いてくれなくなっていた。
だが使用人に命じてお古のトランクを用意させたり、最低限の衣類や王都内で使える馬車チケットを手配してくれたりした。どれも父や姉、妹たちに隠れてではあったがシャノンの逃げ仕度を整えてくれた。
そして子爵邸の裏門から出ようとするシャノンに、無言で押しつけた革袋。その布地の膨らんだ形からして、中には小銭が入っていると分かる。
「いただいてもよろしいのですか?」
シャノンの問いに母は何も言わず、袋を放った。地面に落ちたときに立てたジャン、という音からして、中がお金なのは確定だろう。
最低限の路銀は与えられているが、多いに越したことはない。シャノンはしゃがんで、革袋を拾った。
「ありがとうございます、お母様。……お役に立てず、申し訳ございません」
「……」
「どうか、お体に気をつけてください。……さようなら、お母様」
シャノンが頭を下げて言うが、母は最後まで何も言わず背を向け、メイドを伴って屋敷の方に行ってしまった。
(……お母様もきっと、苦しんでらしたのね)
革袋をぎゅっと握って上着のポケットに入れ、後ろを振り返ることなく歩きながらシャノンは思う。
父はシャノンに対して容赦なかったし、姉のダフニーは「妹を正しく導けないだめな姉」の演技をする自分に酔いしれながらネチネチとシャノンをいじめ、妹のオリアーナの方はあからさまに貶してきた。
母も、シャノンに暴言を吐いてきたし役立たずだとか壁のような娘などと言ってきた。それでも、シャノンが生きていけたのは母がいたからだ。
家庭教師だって、父はダフニーとオリアーナだけで十分だろうと言ったそうだが、シャノンにも最低限の教育をと言ったのは母だったという。
かわいくない、でかいだけの次女を産んだ、母。
母に対して愛情などは持ち合わせていないが感謝の気持ちはあるし、大柄に育った自分が母を悩ませる一因になっていたのだという自覚もある。
(お母様、どうか幸せに)
父と姉妹はともかく、母の幸せだけは願いたいと思えた。