19 薪置き場でのひととき
ランバート辺境伯領の冬の訪れは、早い。
王都近郊であれば秋の終わりからぼちぼち冬支度を始めれば十分だったし、多少の雪は降るものの外出が困難になるとか交通が麻痺するとかいう規模の積雪になることは滅多にない。なったとしても、王都の備蓄は十分なので飢えることもない。
だが王都よりむしろ北方地元民の地域に近いランバート辺境伯領は、秋の中頃から寒風が吹き付けてくる。そして王都ではまだ木々が紅葉しているだろう頃には広葉樹の葉が全て落ち、間もなく雪が降り始める。
辺境伯領の冬は、長い。
長い冬を越すために、人々は秋の間にしっかりと備蓄を行う。そして用事がない限りは表に出なくてもいいようにして、この間は辺境伯城周辺の街も活気が失せる。
だが街の家のほとんどには地下通路があり、そこを通った先にある地下広場で歓談をしたり飲み食いをしたりするので、人の交流が絶えることはなかった。
といってもそれは平民のことで、北方騎士団は雪の中だろうと仕事がある。むしろ、雪の季節に騎士団の本領発揮となることも多い。
「では、日没までには帰ってくる。シャノンは、部屋を暖めて待っていてくれ」
「かしこまりました。皆様、いってらっしゃいませ」
雪降る騎士団棟の中庭にて、深紅の衣装を纏った騎士たちが整列している。彼らの肩や頭にも雪が積もっているが、特に誰も気にした様子はない。
積雪期になってから、皆は冬用の衣装になっていた。雪国で暮らしたことのないシャノンが、騎士たちのブーツが底が平べったい皿のようになっているのを初めて見たときは、不良品かと思ってしまった。
通常のブーツで雪の上を歩くと足が雪の中に埋まり、歩行困難になる。また凍った雪の上だと滑りやすくなるため、あの底面が皿のような形をした靴を履くことで雪に埋まったり滑ったりするのを防ぐという。
雪の日も見回りはあるし、山岳部には獣が出没したりする。ユキオオカミと呼ばれる真っ白な毛皮を持つ凶暴な狼が特に脅威とされ、人里に下りてくることもある。そういった獣と戦ったり山に追い返したりするのも、北方騎士団の仕事であった。
(狼なんて、図鑑で見たことがあるくらいだわ……)
雪の中、手を振りながら去っていく騎士たちを見送り、シャノンははあっと息を吐き出した。騎士たちは鎧の上に防寒コートを着ているくらいだったが、シャノンは上から下までもこもこだ。
辺境伯領の真冬は、刺すような冷えに苛まれるという。そこでラウハたちの助言を参考にしつつ秋のうちに特注の防寒着を仕立ててもらった。
それだけでなく、「女の子は、お腹を守るべきよ!」ということで、ふかふかの腹巻きも装着している。格好よくはないが、腹部を冷やすと将来妊娠出産する際にも障りが生じる可能性があると言われたので、分厚いものを購入した。
騎士たちの大半が出払った騎士団棟は、静かだ。今回居残り組になった者たちと、同行者に選ばれなかった騎士見習いたちの姿をちらほら見かけるくらいだ。そんな彼らも暇なのではなくて、城内の雪かきをしながら体力作りをしたりと、鍛錬と仕事に余念がない。
(今日の薪運びは、私一人でやろう)
普段は誰かの手を借りるが、いつまでも甘えているわけにはいかない。それに、皆には皆の仕事がある。重かろうと手が汚れようと、シャノン一人でできることはしたかった。
いつも通う薪置き場は、ちょうど人気もなかった。雪で薪が湿ると使い物にならなくなるので、冬の間は鍵付きの倉庫の中に積まれている。
(何回か往復すれば十分な量を持っていけるし、運動にもなるわよね)
鍵を借りて中に入り、どんと積まれた薪を前にしばし考え込む。一度にたくさん運べたら効率はいいが、途中で取り落とすかもしれない。それくらいなら、少量を運んでいく方がいいだろう。
薪は男性使用人によって小さめに割られた後、紐で縛られている。この縛られた状態のひとかたまりで薪二十本分くらいはあり、シャノンが両腕でなんとか抱えられるほどだ。
運ぶ途中で紐が解けてバラバラと足下に薪が落ちる絶望を想像するとやはり、一束ずつ運びたいところだ。
「……おや、そこにいるのは騎士団棟の天使殿かな?」
「えっ?」
後ろから明るい声がしたので振り返ると、薪置き場の入り口にエルドレッドの姿があった。
秋の間は騎士団制服に似たジャケット姿だった彼も、さすがに毛皮のコートを着ている。それでも体格のよさや胸や腰の太さがよく分かるのだから、筋肉はすごい。
「ごきげんよう、閣下」
「ごきげんよう。こんな暗がりで、誰が何をしているのかと思ったら。もしかしてそれらを運ぶつもりか?」
「はい。騎士団の皆様が外勤務中で、帰ってきたときに暖炉の薪が切れないようにしたいので」
「素晴らしい心がけだ。だが、あなたの体では運ぶのも大変だろう。私が代わりにしよう」
「いいえ、私がします」
シャノンはきっぱりと言った。
エルドレッドとは、しばしば顔を合わせて言葉を交わす仲になっていた。辺境伯家当主とおしゃべりなんてとんでもない……と思う人はこの城にはおらず、シャノンに限らず他の騎士や使用人も、エルドレッドと気さくに話をしている。
エルドレッドだけでなく、城の人たちは皆シャノンに対してやや過保護だ。彼らの中でのシャノンは小柄でか弱い女の子で、ちょっと転べば大量出血で死ぬとでも思われているのではないだろうか。
(でも私だってやるときはやるし、閣下の手を煩わせるなんてとんでもない!)
「私だって、ひとかたまり分くらいは持てます! というか、持てないといけないと思うのです」
「なぜ、持てないといけないんだ? ここらの薪は確かに小さく割られ持ち運びがしやすいように紐でまとめているが、その基準は北国の人間だ。私たちにとってはなんてことない大きさのものでも、あなたが持てば体を痛めるかもしれない」
エルドレッドは、心からそう言ってくれているのだろう。シャノンが万が一にでも怪我をしたりしないように、先回りをしてくれている。
その気遣いは、嬉しい。だが――
「……私は確かに皆様よりは体が小さいけれど、何もできない子どもじゃありません。……いえ、この地域では子どもでも、薪運びを手伝いますよね?」
「それはそうだが、あなたの本業は事務だろう?」
「……私が、自分の力で運びたいんです。ほら、そうすればディエゴさんたちが帰ってきたときに、ちょっとだけ達成感がありますし……私だって辺境伯領で暮らす人間なんですから、少しは強くなりたいですし……」
なんとかエルドレッドを納得させようと言い訳を募っていると、ふいにエルドレッドが顔を背けた。
「……健気でかわいすぎる」
「えっ?」
「いや、何でもない。あなたがそこまで言うのなら、あなたの仕事を奪うのはやめておこう」
何やら言われた気もするがその後の言葉にすっかり意識を奪われてしまったシャノンは、ぱっと表情を緩めてうなずいた。
「ありがとうございます! 私、頑張ります!」
「ただし。あなたが薪を運ぶ後ろを、私も同じように薪を持っていこう」
「えっ、それは――」
申し訳ない、と言おうとしたシャノンの唇に、手袋の嵌められたエルドレッドの人差し指が迫る。
触れるか、触れないか。
そんな距離にかざされた太い人差し指にどきっとして口を閉ざすシャノンを見て、エルドレッドは小さく笑う。
「考えてもみなさい。あなたがもし、足を滑らせて薪もろとも倒れたとして、周りに誰もいなかったら?」
「それは――」
「打ち所が悪く、気を失ってしまったら? ……ディエゴたちは、驚き悲しむだろう。まさか自分たちが帰城して一番に見るのが、薪に埋もれて廊下に倒れるシャノンの姿なんて――」
そのシチュエーションだとどう考えてもシャノンが薪に埋もれる展開にはなりそうにないが、廊下で滑って転んで気絶するというのは十分考えられる。
(だったら閣下ではない他の人を……って言ったら、その人の仕事の邪魔をすることになるし……)
シャノンはしばしうーっとうめいたのちに、渋々うなずいた。
「……分かりました。では、お願いします」
「ありがとう!」
「……ちなみに閣下、お仕事は大丈夫ですよね?」
念のために問うと、エルドレッドは少しぎくっとしたのちにうなずいた。
「あ、ああ。急いでするべき案件はない」
「本当ですか?」
「ほ、本当だとも。ほら、行こう!」
少しわざとらしく言うエルドレッドをじろっと見てから、シャノンはやれやれと薪を抱えた。
(念のために、執事さんに後で言っておこう……)




