18 エルドレッドの気持ち③
シャノンを騎士団棟まで送り届けて、エルドレッドはゴードンのもとに戻った。
「戻ったぞ、ゴードン」
「おかえりなさいませ。……憧れのシャノンとのデート、とても楽しかったようですね」
「デ、デートなどではない。紳士として当然のことをしただけだ」
どうやら自分の弛んだ表情と気持ちは執事には筒抜けだったようで、ふっとからかうような眼差しを向けられたため、エルドレッドは咳払いをした。
「だがまあ、提案してくれたおまえには感謝している」
「それはようございました。……何かあればいつでも、この老いぼれを頼ってくださいませ」
「……次はないように頑張る」
エルドレッドはそれだけ言うと背を向けて、歩きだした。
ゴードンの部屋から離れて、すれ違った使用人たちが頭を下げたので鷹揚に手を振って応え、今日の執務についての報告をしてきた書記官と少し話をして――執務室に到着して一人きりになった彼は革張りの椅子に腰かけ、深い深いため息をついた。
「シャノン……とてもかわいらしかった……」
思い出すのは、先ほどのゴードンの部屋から騎士団棟事務官室までの道のり。
最初こそ緊張している様子だったシャノンも、エルドレッドが城の構造や歴史について教えていくうちにだんだん肩の力を抜き、あれは何、これは何、と自分から聞いてくれるようになった。
エスコートを申し出たときには小さすぎて壊したらどうしようかと思ったシャノンの手だが、話をしているうちに熱が入ったのか彼女の方からぎゅっと握ってくれるようになった。
その力は元貴族令嬢にしては強い方だと思えてどこか安心する反面、暴力などとは無縁の世界で育ったことが分かる優しい握力に、庇護欲がそそられた。
『ありがとうございました、閣下。……ご一緒できて、嬉しかったです』
はにかんでお礼を言われたとき、本日二回目の頭ちゅどーんとなった。
今すぐこのかわいい人を抱きしめて自室に連れ込みたいと思いつつもそんな欲望をねじ伏せ、紳士の笑顔で応じることができた自分は、本当に偉いと思う。
「……いや、待てよ。今の俺、気持ち悪くないか?」
ふと、頭の片隅で冷静な自分が囁いたため、デスクの上で頭を抱えていたエルドレッドははっと我に返った。
ディエゴたちと違い、エルドレッドは夏から初秋にかけて北方に行っていたこともありシャノンとの初対面が遅れてしまった。彼女とまともに顔を合わせたのも、今日でやっと二回目だ。
(それなのに、こんなにかわいいかわいいと思ったり、部屋に連れて行きたいと思うのって……気持ち、悪いんじゃないか……?)
そうだ、以前テルヒが、「会って間もないのに好意をだだ漏れにする男、きんもーい!」と言っていたではないか。
周りにいたラウハやエリサベトも、「分かる分かる、性欲だだ漏れ男ってキモいよねぇ!」「関係が構築されていないのに好き好き言われてもキモいだけなのに、分かってないわよね」と言っていたではないか。
それを聞いていたときのエルドレッドは、「初対面で性欲丸出しなんて、紳士にあるまじきことだ」と彼女らの持論にどちらかというと賛成だった。
(だが、今の俺はまさにその「キモい」男なのではないか……!?)
ラウハが言っていた「性欲だだ漏れ」までではないと信じたいが、シャノンの方がどう思っているかは分からない。
彼女は実家で冷遇されていたとはいえ貴族の生まれで、優しい人だ。だから今日もエルドレッドを立てるためにお世辞を言いつつも、心の中では「こいつキモい」と思っていたかもしれない。
シャノンのあの小さな唇から「キモい」なんて言われたら、エルドレッドは辺境伯城の塔から身を投げるかもしれない。エルドレッドは頑丈だしこの城は全体的に背が低いので、身投げしても軽傷で済むかもしれないが。
「失礼します、閣下。ご確認いただきたいことが……」
「ディエゴ。俺は、キモいだろうか」
「えっ? あの……えっ?」
ちょうどいいところにディエゴが執務室にやってきたので顔を上げて尋ねると、ディエゴは心底ドン引きしたような顔でこちらを見てきた。
ディエゴはエルドレッドより十歳ほど年上で、妻子もいる。そして辺境伯領の誰よりも早くシャノンと知り合っている。
(王都で、最初にシャノンと知り合った……うらやましい……い、いや、こういうところが「キモい」のかもしれない!)
ディエゴに焼き餅を焼くのはやめにして、エルドレッドは咳払いをして彼を見上げた。
「いや、すまない。確認することがあるなら、言ってくれ」
「あ、はい。それはすぐに終わるのですが……大丈夫ですか、閣下?」
「……大丈夫、ではないかもしれない」
ディエゴが差し出した書類を見つつ、いや彼なら相談できるはずだとエルドレッドは思った。少なくとも、ゴードンよりはよい相談相手になると思う。
そういうことで書類を確認してサインをした後で、エルドレッドはシャノンについてのあれこれをディエゴに打ち明けることにした。
最初は戦々恐々とした様子で話を聞いていたディエゴだが、すぐに彼は白けた顔になり、今にも手の爪の甘皮でも剥きだしそうなけだるげな態度になった。
「……はぁ。つまり閣下は、シャノンのことをかわいらしい素敵な女性だと思いアプローチをかけたいと思いつつ、これがいわゆる変態行為にならないのか心配なさっているのですね」
「……有り体に言えば、な」
「なるほど。……まあ少なくとも今の段階では、ラウハたちに『キモい』と言われるようなことはないと思います」
ディエゴがそう言ってくれたので、知らぬうちに息を詰めていたエルドレッドはほっと安心して深呼吸した。妻子持ちのディエゴが言うのだから、きっと間違いないだろう。
「そうか……それなら安心した」
「もしかして閣下、シャノンを奥方として迎えようとお考えで?」
「まっ、まだそこまでではない! だがシャノンにはこれまで辛い思いをしてきた分、ここで幸せになってもらいたいし……俺としても彼女がそばにいてくれたら毎日楽しいだろうと思うし……」
「はあ」
照れ照れしながら言うエルドレッドをディエゴは生温かい目で見て、返却してもらった書類をケースに入れて小脇に抱えた。
「それって正直、もうかなり恋をしていますよね?」
そのものずばり言われて、エルドレッドは呆然とした。
(恋? これが……社交界で皆がよく言う、恋というやつなのか?)
だがよくよく考えてみると、シャノンのことをかわいいだけでなくそばにいてほしいと思うくらいなのだから、これがいわゆる恋なのではないかと思わされた。
「っ……だめだろうか? やはり、まともに顔を合わせるのが二回目だというのにそう思うのは、『キモい』だろうか?」
「それだけで『キモい』とは思いません。一目惚れなんて、よくある話です。そこから結婚につながるのもおかしな話ではありません」
「……父上と母上は、共通の趣味があってそこから恋に発展したと聞いているが」
「そういうパターンもある、というくらいです。いいのではないですか、見た目から始まった恋でも」
ディエゴは、やれやれとばかりに年下の主君を見下ろす。
「とはいえ、シャノンを勧誘した私から申し上げますと……彼女は元令嬢で、今は平民の階級。閣下が関係を求めた際、断れる立場ではないのだということは重々お知りおきください。そんなことがあれば、私は彼女をここに連れてきたことを一生後悔します」
「ああ、もちろんだ」
伏せ気味になっていたエルドレッドは顔を上げて、きっぱりと言った。
シャノンにそばにいてほしい、もっと彼女のことを知りたい、愛でたいとは思うが、そこにシャノンの気持ちが伴わないのならばこの気持ちを封じるつもりでいる。
そうであるべきだと分かっているし……もしエルドレッドが無体を働こうものなら、城中にいるシャノンのファンたちがエルドレッドを袋だたきにするだろう。
特に、ラウハたち女性騎士三人組。彼女らは躊躇うことなく、エルドレッドを半殺しにするに違いない。
「シャノンに無理強いをさせたり悲しませたりはしない」
「よいと思います。……まあ少なくとも閣下は女性に無体を働くタイプではないと思いますし、シャノンもあなたに優しくされるのはまんざらでもないと思うはずです」
「そうか!」
「まあ、何事もほどほどにしてください。きちんと仕事をした上で誠意をもった恋をするのなら、誰も何も申しませんよ」
「分かった、そうする!」
ゴーサインをもらったエルドレッドはほくほくの笑顔でディエゴを見送り、一人きりになった執務室で天を仰いだ。
(シャノン……どうやら俺は、君に恋をしているようだ)
辺境伯夫人に求められるのは、極寒の地でも生きていける体力と貴族としてのたしなみ、そして跡継ぎを産める体だ。
身も蓋もない話だが、合計出生率が決して高いとは言えない北の国では、美しいだけで病弱な姫君などはあまり求められない。
だがシャノンなら。
北国の人間と比べると華奢ではあるものの決してひ弱ではなく、賢く、城の者たちからの人気を集めるだけの魅力がある彼女が、エルドレッドの申し出に対してうなずいてくれるのであれば。
「……まずは、この冬を無事に越せたらいいのだが」
エルドレッドは、窓の外を見た。
重苦しく広がる曇天は、もうすぐやってくる雪の季節を示唆しているかのようだった。




