17 エルドレッドの気持ち②
シャノンは、ウィンバリー子爵家の元令嬢だと名乗った。
ウィンバリー子爵家に三人の娘がいるのはなんとなく知っていたが、そこの次女が勘当処分を受けて身分を失い、生計を立てるために辺境伯家に流れ着いていたとは思わなかった。
そこでツテを頼って調べたところ、シャノンが実家から勘当されたのは婚約者の男から婚約破棄を告げられたことにあり――その原因が彼女の高身長と骨格であるということが分かった。
(高身長と、骨格? 確かに、他の貴族令嬢はもっと華奢だが……)
王都では小柄で細身の女性が好かれる傾向にあるそうだが、二メートル近い身長と木の幹のごとき胸囲を持つエルドレッドからすると、触れるのも躊躇われるような存在だ。
間違いなく自分が標準よりでかすぎるのが問題なのだが、小さな女性は恋愛対象にするのはおろか、近寄ることさえはばかられてしまう。
だがシャノンは少なくとも、近寄るのが怖いと思うような存在ではなかった。
辺境伯領の恰幅のいい女性たちに慣れてしまったために小柄には思えるが、弱々しくはない。
すっと伸びた背筋は美しくて、実家から追い出されようと強く生きる背中は頼もしい。それでいて春の妖精のような可憐さも持ち合わせているのだから、もはや最強である。
(その元婚約者の男は、見る目がないな。……いや、もし見る目があったらシャノンがここに来ることはなかったのか……)
ならば、見る目がなくてよかったのかもしれない。感謝状の一つでも送るべきだろうか。
とはいえ、婚約破棄された娘を慰めるどころか勘当するなんて、彼女の実家もしれたものだ。
ディエゴの情報によると、彼女の母だけは最低限の路銀を持たせてくれたそうだが、父や姉妹については救いようもないという。
(若い身空でこんな極寒の地にやってきて、帰る家もない。……彼女にとってここが新しい故郷になってくれればいいのだが……いやもちろん、下心などはなく)
自分で自分に言い訳しながら、エルドレッドは城内を歩いていた。
城の者から聞くシャノンの評価は、おおむね良好だ。王都からやってきた謎の多い新人事務官だが働き者で、何よりも小さくてかわいい。
既に彼女は騎士団の女性たちの妹分としてかわいがられているようだし、男性騎士たちからもかわいい存在として愛でられている。
騎士の中には、かわいらしいシャノンが提出書類の不備について怒ってくる姿に興奮する者もいるらしい。
……今度の練習試合で、ぶちのめす必要がありそうだ。
見習い騎士たちからは「きれいなお姉さん」として憧れの眼差しを向けられ、城の下働きの者からは娘や孫のようにかわいがられる。そんな彼女は城を歩いているだけでお菓子をもらうので、不思議そうに首を傾げている姿も見られるとか。
(皆の気持ちも分かる。シャノンはかわいらしいし……この城は、かわいいものに飢えている)
なんといってもここは、王国北端の僻地だ。北方地元民との混血も多いため人々は総じて体格がよく、それは子どもも例外ではない。
王都であれば人形や子犬、子猫などかわいいものがたくさんあるが、この地域で作られる人形は総じて……リアルすぎてやや不気味なところがあり、愛でるのにはあまり向いていない。
猫はほとんど見られず寒さに強い犬ならいるが、それも大型犬ばかりだ。子犬となるとかわいいが、あっという間に「小さくてかわいい」とは言えないサイズになってしまう。
シャノン本人はそれほど自覚していないようだが、もう既に彼女は辺境伯城のアイドル的な存在になっている。
彼女に触れていいのは親しい女性騎士たちだけで、他の者は原則お触り禁止。遠くからその姿を愛でるのがよしとされる、まさにこの領地に笑顔と春を運ぶ妖精のような存在だ。
……そんなことを考えながら歩いていたエルドレッドは、執事の部屋のドアが開きっぱなしになっていることに気づいた。
エルドレッドの父が子どもの頃から城で働いている執事のゴードンは優秀で頼りになるが、エルドレッドに対しては毒舌で容赦がない一面もある。
そんなゴードンは几帳面な性格なので、部屋のドアを開けっぱなしにすることはない。さては、下働きの誰かでも来ているのだろう、と思ったのだが――
「……決して悪いことではないのですが、我らが主君のエルドレッド様はどうにも落ち着きのない方で。少しはあなたを見習ってほしいくらいですね」
(あいつ、俺の悪口を……!)
落ち着きがないという自覚はあるので耳に痛いが、気に食わない。
だからエルドレッドはゴードンを黙らせようと彼の部屋に乗り込んだのだが――入り口付近に立っていた人物がエルドレッドの登場に驚き、持っていた書類用ケースを取り落としそうになった。
だがそこは、運動神経抜群のエルドレッド。すかさず身をかがめてケースを片手でキャッチし、床に落ちることを防いでみせた。
……しかしそこで、エルドレッドは気づいた。
書類ケースを持っていたのがシャノンであり――彼女がケースを落としそうになったのを拾うためとはいえ、まるで彼女を後ろから抱き込んでいるかのような体勢になっていることに。
驚いて振り向いたシャノンの顔が、エルドレッドの頬のすぐ横にある。
見開かれたグレーの目は少しだけ潤んでいるようで、至近距離で彼女の視線とぶつかってしまったエルドレッドの頭が、ちゅどーんとなった。
(なんて……かわいらしいんだ……!)
前回の初対面のときにも近くで彼女の顔を見たが、こんな近距離となるとインパクトが桁違いだ。
(唇が小さい……頬が赤い……耳の形がかわいい……歯まで小さくてかわいい……)
大柄なエルドレッドにとって、シャノンは何もかも小さく見えた。口なんて、エルドレッドが親指一本差し込めばそれだけでいっぱいになってしまいそうなほど小さい。
なお、歯の大きさと体格には相互関係がないとされているので、シャノンの歯が小さいと感じているのはただの思い込みである。
(つむじがかわいい……い、いい匂いがする……!)
ふわりと漂う香りに、エルドレッドの胸が激しくときめく。
女性騎士たちからは土とアルコール、洗濯係の女性からは石けん、厨房係の女性からはソースというふうに、働く女性たちから労働分野の匂いがするのは当然のことだと思っていた。
そして王都のパーティーで見かける女性たちから香水や花の匂いがするのも、まあそういうものだろうと理解していた。
だがシャノンから香るのは、それらのどれとも違う。洗髪用の石けんの匂いもしなくもないが、それだけではない。
「甘い」のような簡素な表現では形容できない、どことなく安心するような匂いがして、くらりときそうになった。
あえて表現するとしたら、「かぐわしい」あたりだろうか。「おいしそう」もアリな気がしてきた。
(この匂いは、なんだ? もっと嗅ぎたい……い、いや、待て、俺! 紳士だ、紳士の心得を思い出せ!)
まさか知り合って間もない女性の首筋に顔を突っ込んで匂いを確認できるはずもなく、エルドレッドは必死になって引っ張り出した紳士の心得に従って体を起こし、胡散臭くない笑顔で書類ケースをシャノンに渡した。
ケースを受け取ったシャノンは、もう落とすまいとしているのかそれをぎゅっと胸に抱き込んだ。なんとなく、ケースがうらやましくなった。
表面上では紳士を振る舞っていたが、老練の執事はエルドレッドの中のやましい心に気づいているようだ。しきりににやにやしてからかってくるし、挙げ句――
「シャノンの用事も終わりましたし、エルドレッド様が騎士団棟に送って差し上げたらいかがですか?」
(何だって!?)
基本的にお堅い執事からそんな提案が飛び出してくるとは思わなくてエルドレッドは驚いたし、シャノンも「申し訳ない」と遠慮していた。
それなのに、途中から彼女は考えを変えたようだ。
「閣下にとって煩わしくなければ、お城の案内も兼ねて付き合っていただきたいのです」
……かわいい人だな、と思っている相手がこちらをじっと見上げておねだりしてきて、断れるはずもなかった。
(そ、そうだ! 俺は、この城の主。俺には、シャノンに城の案内をしながら彼女を騎士団棟まで送り届けるという大義名分がある!)
エスコートのために手を差し出すと、シャノンは恥じらいつつも手を乗せてくれた。
(手まで小さい……どうしよう、握りつぶしたりしないよな……?)
エルドレッド・ランバート、二十三歳。
恋愛や結婚について堅実すぎるくらい慎重に考えていたからか、いい年でありながら彼の恋愛に関する経験値はそこら辺にいる少年以下であった。
この城は
かわいいものに
飢えている
意図せず生まれた川柳




