16 エルドレッドの気持ち①
エルドレッド・ランバートは、ランバート辺境伯当主である。
父親譲りの体格と母親譲りの美貌を持つエルドレッドは、城内を歩いているだけで人目を集める。
辺境伯城にいる者は地元民が多くてエルドレッドのことを子どもの頃から知っている者が多く、そういうこともあってか使用人たちから過度に恐れ敬われることはなく、居心地がいいと感じていた。
……よく使用人たちが、「エルドレッド様はあれだけ素敵な方なのだから、早く奥方を見つければいいのに」と言うのを聞く。彼らに悪気がないとは、分かっている。
エルドレッドも、もうすぐ二十四歳になる。結婚はともかく婚約者くらいはいてもおかしくない年齢だし、たまに王都に行ったときには即座に令嬢たちに取り囲まれるくらい人気がある自覚があった。
(だが俺としては、妻選びは慎重にしたい)
彼がそう思う背景には、両親のことがある。
若い頃の父はエルドレッドほど朗らかな性格ではなくて、どちらかというと近寄りがたい雰囲気のある青年だった。
そんな父だがまだ辺境伯令息だった頃に、王城で開かれた国王の誕生パーティーに父親の名代で出席した。
そこで父は、可憐な女性――のちに妻となる令嬢と出会った。
貴族令嬢らしく繊細で儚げな印象の令嬢だったが、父とは陶芸という共通の趣味が見つかった。二人はダンスもそっちのけで陶芸の話で盛り上がり、次のパーティーでも会おうと約束した。
煩わしい王都を嫌っていた父だが、その令嬢と約束してからは毎回楽しそうにパーティーに行くようになった。
父が自ら焼き上げ彩色した陶芸品を見せると、令嬢は目を輝かせて見入っていた。父もまた、芸術作品に対する造詣が深い令嬢にすっかり恋をしていた。
結婚してほしい、と申し出たのは父の方だった。
それに対して令嬢は、喜んで、と答えたそうだ。
儚げな娘が冬の寒さ厳しい辺境伯家に嫁ぐことに令嬢の両親は反対したそうだが、令嬢の方が意地になった。そして両親の反対を振り切って恋人の手を取り、辺境伯領に渡った。
母は、幸せだったそうだ。
父と結婚し、愛情を受け、エルドレッドという息子を授かり――息子が己のことを「ははうえ」と呼べるようになる日を待たずに、肺炎で死んだとしても。
母は、辺境伯領に来て二度目の冬を越すことができなかった。
一度目の冬の時点で怪しくて、夏に息子を産んだ後は暖かい場所で療養してほしい、という夫の願いを固辞して彼のそばを離れず、豪雪が窓を打ち付ける夜に息絶えた。
母は、辺境伯領で生きるにはか弱すぎた。
父も尽力したが、元々貴族の娘として平均的な体力しか持たない小柄な母では、耐えられなかった。
母の没後、父は後妻を娶ることもせずに辺境伯領の統治と息子の教育に心血を注いだ。
父は二年前にエルドレッドに爵位を譲り、辺境伯領南端にある穏やかな療養地に移った。そこには亡き妻の墓もあり、暖かい場所で妻と共に暮らす生活を送りたいと思っていたという。
(俺がひねくれることなく前向きな性格になれたのは、間違いなく父上のおかげだな)
エルドレッドは、両親のことを尊敬している。領主だからと教育を使用人に丸投げせず厳しく優しく接してくれた父と、記憶にはないもののエルドレッドを産み落としてくれた母のことを、素晴らしい人たちだと思っている。
だからこそ、自分の結婚は慎重にしたいと思っていた。
温暖な気候の王都で生まれ育った貴族令嬢に、この亜寒帯の土地は厳しすぎる。逆に、ラウハたち女性騎士は吹雪を前にしても「これくらい、そよ風同然よ!」と言うくらい強い体を持つから、そういう点では伴侶に向いている。
だが辺境伯夫人として社交に出ることを考えると、伴侶は貴族令嬢であることが望ましい。そうでないと、父と母の逆パターンの二の舞になるかもしれないからだ。
それでも、王都でエルドレッドが出会ってきた貴族令嬢は皆小柄で体が細すぎる。
エルドレッドの胸にも届かないほど小さな令嬢を見たときには、まだ子どもだろうかと思い……彼女が自分と同い年だと知って仰天したものだ。
辺境伯家に嫁ぎたいと思う令嬢は決して少なくないが、かといって軽い気持ちで選ぶわけにはいかない。ただでさえエルドレッドは体が大きくて小さな妻だと不用意に触れることで怪我をさせるかもしれないし、細い体は極寒の地で暮らすのに不向きだからだ。
そういうことで、若くとも辺境伯領主としてやっていけていると思いつつ、結婚についてはいずれなんとかしなければ……と思っていた、矢先。
『あの……?』
騎士団棟の事務官室に現れた、可憐な女性。
ピンク色の服はよくよく見ればジャケットとロングスカートだと分かるのだが、そのときのエルドレッドは北方地元民との打ち合わせから帰ってきたばかりで少々疲れていたらしく、春色のドレスだと思ってしまった。
ベージュブラウンの髪は、いわゆるハーフアップという形にまとめている。ぱっちりとした目はランバート辺境伯領の空のような淡いグレーで、困っているのか少し潤んだ目でエルドレッドを見上げている。
華奢な女性なら、王都で見たことがある。
だが彼女は今にも折れそうなほど細くて心配になってくる貴族令嬢とは違ったし、かといってアルコール度数の高い酒をガバガバ飲む北方騎士団の女性たちとも違う。
(なんだ、この可憐な姫君は……!?)
ディエゴの執務室であるはずの事務官室に舞い降りた、春の妖精。
一瞬幻かと思ったが、どう見ても現実だ。だがそれでも、ここで逃してしまえば彼女がそのまま空気の中に溶けて消えていってしまいそうに思われて、エルドレッドはその場にひざまずいた。
『これは、失礼しました。……まさかこのような場所で、あなたのような可憐なご令嬢にお会いできるとは思っておりませんでした。私は、エルドレッド・ランバートと申します。……もしかして、我が城で道に迷われたのでしょうか?』
エルドレッドが案内を申し出ると、春の妖精はエルドレッドの正体を知って驚いた様子を見せた。
だが、エルドレッドが「美しい方」と言うとぽっと顔を赤らめた。
(な、なんてかわいらしいんだ!?)
その直後現れたディエゴにより、エルドレッドは春の妖精が新人事務官であり、自分とさほど年齢が変わらないことを知った。
成人したての十八歳くらいかと思っていたが、そう思うのは彼女がまだ少女のように愛らしい顔立ちをしているからなのだろう、と分かった。




